北条氏の忠実な家人として、吾妻鏡にもたびたび登場する平盛綱。
吾妻鏡上では、泰時との深い絆で結ばれている様子も見て取れますが、盛綱は御家人ではなく、御内人という北条氏の一家臣でしかありませんでした。
しかし、北条得宗家の権力が高まるにつれて、御内人の筆頭となった盛綱、その子孫たちの権力も高まっていき、ついには北条氏を操るまでの力を手にします。
ですが、御家人ではなかったゆえに、鎌倉幕府を完全に支配することはできず、御家人の身分になろうと朝廷を利用した結果、後醍醐天皇の倒幕の遠因を作ってしまいました。
今回は、平盛綱の生涯、御家人になれなかったがゆえに、幕府の形さえも歪めてしまった子孫のその後について紹介します。
-----------------------------------
参考文献
細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』
amzn.to/3ELevms
-----------------------------------
レキショック Twitter
今日はなんの日? その日にまつわる歴史のできごとを毎日発信しています!
/ reki_shock_
レキショック WEBサイト
rekishock.com/
【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
www.nhk.or.jp/...
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式Twitter
/ nhk_kamakura13
#鎌倉殿の13人 #大河ドラマ #歴史
4 окт 2024