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川西が残した究極の万能機?!十八試甲戦闘機 陣風‼【ゆっくり解説】【第20回】 

宵月のチャンネル
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紫電改を手がけた川西が最後に計画し甲戦闘機「陣風」 あらゆる側面において考え得る最高の技術が投入された「究極の戦闘機」とも言えるこの戦闘機の技術的特徴とどういった経歴を辿ったのかについて見ていきます!
ついったー→ yo...
#日本海軍 #陣風

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7 сен 2024

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Комментарии : 288   
@grbx102
@grbx102 3 года назад
海軍の一部で「烈風見限るべし」とまで言われた機体ですね。仮に発動機が誉からハ43に変わっても高性能を発揮できたでしょう。 皮肉なのは、これだけの「名機になりうる素材」を作れる技術力はあっても川西には試作から量産へ持っていけるだけのリソース足りなかったという点・・・。紫電改の量産&不具合改修で手一杯でしたからねぇ。
@user-my1xl8vl5r
@user-my1xl8vl5r 6 месяцев назад
20:54 で紹介されている計器はレーダースコープではなく偏流測定器ですね。横風による飛行経路のズレ(偏流)の角度を算出する航法支援装備で、A7M烈風にも同じ物が積まれています
@user-cc9cj2kz2t
@user-cc9cj2kz2t 3 года назад
紫電をつくるまで水上機専門の企業なのにすぐにこんなものまで創ってしまえるのすごい
@nekome2011
@nekome2011 2 года назад
空力的には問題なくても機体表面の加工とか細かい所は全然だめだったと言われている
@masanoriueno7709
@masanoriueno7709 2 года назад
川西に単発機は無理だよ、強風から紫電改の一連の流れを見れば経験不足、実力不足は明らか。 異常な過大評価だ。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 2 года назад
菊原さんがいなけりゃ、紫電とか作らなかったんじゃないかな。
@user-tl6ed3ox4x
@user-tl6ed3ox4x 2 года назад
紫電は改造設計だから実質習作。陣風で本格的に参入する積りだったんだろうね。無理の無い姿だから自信作なのは確かだな。
@user-zr7rz5rx5g
@user-zr7rz5rx5g 2 года назад
軍当局からガタガタ注目付けられながら設計するしかない三菱や中島と違って自由に造れたからじゃない?
@TheBikkuri
@TheBikkuri Год назад
改めて見たら多くの一次資料に当たった詳細な大作ですね。照会ならここにあたるとしてもよいでしょう!!
@user-wv9ws9qy5s
@user-wv9ws9qy5s Год назад
何といっても、飛行機はエンジン性能て事ですね。 機体設計が、少しぐらい不味くても、そこそこのエンジンがあれば戦えるて事だもんな。
@JerryMouse5
@JerryMouse5 6 месяцев назад
F6F「呼んだぁ〜?」
@hitac01
@hitac01 3 года назад
陣風は見ただけで高性能を感じさせる。
@NV124KX660
@NV124KX660 2 года назад
当時の川西技術陣の不眠不休の努力は敬仰の他ないが、いくら究極のレシプロ戦闘機といえ我が方が未だモックアップ段階にあるというのに、米側ではすでに、のちに朝鮮戦争で活躍したロッキードP80シューティングスター ジェット戦闘機の試作機が飛んでいるのであるから、どのみち勝負にならなかったのは明らかである。あの戦争はどうあがいても勝てなかったが、オール国産の兵器で3年8ケ月を戦い抜いた大東亜戦争の技術戦で先人が心血を注いだ設計技術は戦後の自動車開発、鉄道開発に生きた。
@yuzukusu2613
@yuzukusu2613 2 года назад
まあ、そのまま開発続けていても誉42型がまにあわず、代わりに誉23型あたりを積んだ試作機が数回飛行したのみとかになりそう
@abbtk14
@abbtk14 3 года назад
やはりエンジンが最大のネックでしょうね。機体設計やコンセプトは悪くないのにエンジンで行き詰り、たとえ試作までこぎつけても性能が出ないという…。
@user-wb5hn5gf5t
@user-wb5hn5gf5t 3 года назад
開戦前の日本は、九気筒九百馬力エンジンの飛行機を輸入していた。単純に九気筒をダブル配列にすれば、日本は開戦前に、十八気筒千八百馬力エンジンの開発ができたのにと思いました。残念です。
@user-mn6vx1gl2r
@user-mn6vx1gl2r 3 года назад
@@user-wb5hn5gf5t 動かした瞬間に爆発しそう
@eijitakeuchi6209
@eijitakeuchi6209 3 года назад
そうですね、一番のネックはエンジンでした。後は米独のようにフルスケールの風洞が作れていれば、空力の問題で開発が遅れた機体や、開発中止になった機体が戦争中盤以降に配備できていたのですが。
@user-wb5hn5gf5t
@user-wb5hn5gf5t 3 года назад
@@user-mn6vx1gl2r このエンジンを九気筒のまま、ボアを三割増やすと排気量は二倍、出力も二倍にすることが出来ます。千八百馬力エンジンをダブル配列にすれば、B29のエンジンを遥かに上回るエンジンになったでしょう。このエンジンなら単発機、双発機、四発機のいずれ を作っても世界最強の飛行機が出来たでしょうね。当時の陸海軍の技術者の頭の中は、アメリカの飛行機よりも小さなエンジン、アメリカの飛行機よりも軽い機体にすれば、長期戦を戦い抜くことが出来る、格闘戦で一撃で撃ち落とせば勝てると考えていたのです。アメリカの航空兵は背後に日本機が迫ると、フルスピードで急降下して、危機を脱出、猛スピードで反転急上昇して、日本軍機の背後に付いて、弾幕射撃で日本軍機を撃ち落としていました。当然ですが、開戦初期でさえ撃墜スコアは五対一、戦争末期になると、撃墜スコアは二十対一となりました。非常に悔しいけれど、貧弱な武器で戦争に勝つことはできない、と言う現実を日本人は学びました。
@user-wb5hn5gf5t
@user-wb5hn5gf5t 3 года назад
航空機工場の技術者だった方が、ニ分間でいいから、なんとか動かしてくれ、と言われて、頑張ったが、当時の日本の技術ではダメだった、と言っていました。小学校の二年生頃だったと思いますが、動かなくなったベアリングが投げ捨てられいました。
@kuroneko7857
@kuroneko7857 3 года назад
多くに情報から推測されてるので興味深くて面白いですね! うぽつです。
@user-br3do8zp8p
@user-br3do8zp8p 3 года назад
当時開発に携わった技師さん達の奮闘ぶりが、想像できました。
@user-sm5le6iq8w
@user-sm5le6iq8w 2 года назад
やはり四翔ピッチプロペラの最強感は凄いね。
@zeroforwardslips9458
@zeroforwardslips9458 5 дней назад
バックで流れている愛国行進曲って良い曲だと思う。
@gorimutyuu
@gorimutyuu 3 года назад
高い出力を安定して出せる発動機が無いと戦闘機の開発は思うに任せないですね。あと空技廠がアメリカのNACAの様に航空機の設計に必要な理論や技術的なデータを各メーカーに提供や提起して開発の助けになれる事が少なかったのも足枷になったと思います。
@TheBikkuri
@TheBikkuri 2 года назад
空技廠の方向性に問題あったよね。エンジンで3年か4年遅れた。1年半なら機体設計で勝てた。双発機のナセルを除く。
@masanoriueno7709
@masanoriueno7709 2 года назад
後進国の悲哀を感じますなぁ。
@tif9590
@tif9590 Год назад
中島 三菱 に続く川西が3番目になったのか
@user-cx6qd5dy3c
@user-cx6qd5dy3c 3 года назад
17試陸戦が最初からハ43を使えたのは陸上機だから100mmほど大きくても艦戦のように出来るだけ軽く、小さく作らなくても良かったからなのかなぁ 排気タービンとかもあるだろうけど。 そのあと誉になったのは信頼性に疑問が残るハ43よりそれなりに改善されている誉に統一したいからかな
@user-fk3qw2eq7i
@user-fk3qw2eq7i 3 года назад
難しいのが戦闘機というのは安定性が高すぎるのも問題なんですよね 垂直尾翼の面積を多めに取ったり上反角をつけてもロール性能が低下してしまったら格闘戦に弱くなってしまいます 紫電改でも後期生産型では安定性重視から格闘性能向上を目指したため垂直尾翼の形状が変化しています
@user-xz9dq9rq5o
@user-xz9dq9rq5o 3 года назад
現代の戦闘機は不安定な操縦性をフライバイワイヤーとコンピューターで制御してますね
@mkep82da
@mkep82da 7 месяцев назад
紫電改は水上機の影響が残ってて垂直尾翼の面積がまだまだ大きすぎたので減積したわけよ。
@user-uc6ru2on8r
@user-uc6ru2on8r 5 месяцев назад
ロールレートが悪いとドックファイトより一撃離脱のダイブに入るための下にいる敵機とのポジション争いで有利に立てない。シムやってる奴は理解してるがロールレート悪くて切り返しが鈍いってのはそういう事
@user-vg7sv4fc4f
@user-vg7sv4fc4f 3 года назад
残念ながら研究室レベル戦闘機をいくら開発しても、彗星のようにメンテできねえ、手作りできねえ、となりほぼ妄想戦闘機だわな でも動画を見るとカッコいいなあ 相変わらず変更・変更で完璧を目標とし人的資源を浪費する日本であった
@user-jz5kz7kr2m
@user-jz5kz7kr2m 2 года назад
結局戦争後期の戦闘機って全て「誉」頼みなんだよね
@SNDNJ7W
@SNDNJ7W Год назад
誉以外の2000馬力級エンジンがね… ハ43/ハ211は全然出来ないし、護系列の護改やハ46は原型からコケてるし、ハ44は排気タービンがアレだし…
@shinzomiwa160
@shinzomiwa160 4 месяца назад
ハ43は地震の所為で工場が壊滅した。
@user-el7fq3il8y
@user-el7fq3il8y 3 года назад
川西航空機って今は新明和工業⁉️
@user-mc1mb8ge4x
@user-mc1mb8ge4x 2 года назад
そう、川西は新明和の前身です。
@bob3yorkie
@bob3yorkie 2 года назад
救難飛行艇も作っていますが、パッカー車とかの特殊車輌も作ってますよね。 違うかな?
@user-mc1mb8ge4x
@user-mc1mb8ge4x 2 года назад
@@bob3yorkie そうですね。 ダンプ車のダンプ部分等も作ってます。
@hutuunonamae
@hutuunonamae Год назад
せやな。主力は特装車やけど。
@fukidai
@fukidai Год назад
新明和工業といえば床屋の椅子と洗面台。😊
@mogurofukuzo10
@mogurofukuzo10 3 года назад
陣風は名前しか知らんかった。子供向けの「日本の戦闘機」(秋田書店?)では、軍用飛行機評論家の秋本実先生が(烈風に続く日本海軍最後の戦闘機で)「計画のみ」としていたような気がします…ただ、もうジェット機の時代への過渡期ですよね…
@user-vy7oi9nr3x
@user-vy7oi9nr3x 2 года назад
3,40年位の「航空ファン」にもごくわずかですが記事にありました(というか、そこでこの機体の存在を知った次第です)
@user-rq3ox9jo1v
@user-rq3ox9jo1v 5 месяцев назад
秋元先生の本って写真でみるシリーズかなぁ。わしの子供の頃のバイブルのうちの一冊です。もちろん今でももってます。
@user-vc6gz4yv6k
@user-vc6gz4yv6k 3 года назад
アメリカは同時期に電探積んだF6Fを夜間戦闘機として運用してたんだよなぁ 技術力の格差が…
@user-ns2ng8vm6q
@user-ns2ng8vm6q 3 года назад
設計技師ですら栄養失調って・・・ 大学生とか熟練工を前線におくったり日本はわざと負けようとしてるのかな?
@user-vc6gz4yv6k
@user-vc6gz4yv6k 3 года назад
対米開戦前に中国と戦いながら英米にケンカを売ってる時点でわざと負けようとしてるとしか思えないんだよなぁ
@user-tm5pu7xp2m
@user-tm5pu7xp2m 3 года назад
人間は他人の不幸を欲しています。プライドが高い人はその傾向が強い。自分が卑小な存在であることが気に食わない。 小市民たちもそうだし、権力者もまた民意に叩かれる公僕ですし。 つまり何百万人も死んだら気持ちいいだろうなぁ、という悪意が深層意識には蓄積されていく。戦争の理由の一部ですね。負けても憂さ晴らしにはなるんです。
@sunami808
@sunami808 3 года назад
学徒出陣で出されたのは法学部やら文学部とか文系。当時学生でも医学部生はそのまま大学に残れた件
@user-rk2ml6eq6o
@user-rk2ml6eq6o 2 года назад
全くです。勤労動員にしたって、当時の工業学校の生徒(現在なら工業高校生徒)なら、即戦力の現場作業者として十二分に使えるのに、その子達は雑用で使い、 今で言えば、女子高生を現場作業者として使っています。これじゃ、能率も製品のクオリティなんかあったものではありませんよ。まさに、日本は負けるべくして 負けたんですよ。
@Zematis1
@Zematis1 Год назад
本が一冊作れるんじゃないの?って位の情報量😮あざす!
@913kikuchi
@913kikuchi 2 года назад
8/31試製陣風が艦これにも実装され限定海域突破の報酬となりました。
@y--sizuki
@y--sizuki 3 года назад
久々の投稿お疲れです。 聞きたかった機体だけに、期待度高し。 なんというか、戦況が悪化していく大戦後期に向けて 試作機が 多くなっていったのはドイツとも共通ですね‥‥ あと、誉42型発動機って42で、死に となって縁起面でダメだと思うのだけど、流石に形式数字の吉凶について拘りが無くなったのだろうか…??
@user-nh9uj1cb3k
@user-nh9uj1cb3k 2 года назад
🥰良くぞここまで調べたね。今の技術をもって作ってみたいね。🌸🌸🌸
@user-ld2mf2ki8v
@user-ld2mf2ki8v 3 года назад
優れた兵器とは、作りやすく、壊れにくく、壊れても直しやすく、取り扱いが容易なもの。 ハイスペックで工芸品のように手間のかかる兵器の製造は戦略的に誤りではないか?
@user-vy4ig1tf6d
@user-vy4ig1tf6d 3 года назад
負けこんでる国は超兵器で逆転を狙おうとするんで…まあ陣風と同等以上の性能を安定して出せる機体を当時のアメリカ軍は大量に作っていますね。
@user-ld6bv8vl3y
@user-ld6bv8vl3y 2 года назад
AK47みたいだな。
@user-xe5bk5xn9x
@user-xe5bk5xn9x 3 года назад
陣風本当に大好きだ、単発機に有るまじき大火力と角度のついた主翼!war thunderでも自分の愛機ですわ、上昇力は平凡だけど大体の敵は格闘戦で行けるし、高速域で舵が固まりにくいのも良い、それに高火力だから一瞬のチャンスを逃しにくいという、ほんまに最高やで
@user-mh4gu9lh1c
@user-mh4gu9lh1c 3 года назад
プラモデルにならないかな? 出たら即買いだ😁
@ironaxe9278
@ironaxe9278 10 месяцев назад
川西って、FK-3とかの航空機用の電探メーカーでもあるから、コクピットに電探用ブラウン管を装備したんだろうね。自動空戦フラップといい、器用なメーカーだよね。FK-3電探と併せて、陣風に八木アンテナをどんな具合に搭載したのか、想像するのも面白い。 ところで、左翼の上面にポッコリ出てるバルジは何のためか、誰か知ってる? 左右のバランスからして、八木アンテナを付けるなら右翼かな。
@324ch-mitsuyo_ch
@324ch-mitsuyo_ch 3 года назад
液体酸素ってたしかマイナス180℃位だったはず。そんなものを積んでのか。それだけでも凄いな。
@toto-pe4on
@toto-pe4on 3 года назад
幻の戦闘機「陣風」 加西で試作機の貴重な写真展 去年有ったみたいね知ってたら行きたかった
@napo196035
@napo196035 2 года назад
優秀な設計があっても工業生産においてもっとも大切な製造技術を支える熟練工が戦地に採られていたのでは限界だったと思う。悲しすぎるぜ。今で言うP・D・C・Aを速く回すには絶対に必要で設計の試行錯誤を速める為にも熟練工の余剰が必要なんだ。発動機には致命的に作用したと思われる。
@user-on4ph4yj4f
@user-on4ph4yj4f 2 года назад
計画予定値は高性能ですが結局モックアップで終わってしまったからね。予定エンジンはよかったと思うね。
@user-se5wq6cw1k
@user-se5wq6cw1k Год назад
笑気ガスを使用したほうが冷却も兼ねるといわれていましたな
@siosyosyo
@siosyosyo 2 года назад
wikiには彩雲の写真添え 「彩雲は誉が快調ならば600 km/h以上の速度を発揮した」とある
@user-rk2vx9xn7k
@user-rk2vx9xn7k 3 года назад
烈風と紫電改の中間っぽいのがいい。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 2 года назад
川西だから作りそうだよね。三菱は間に合わなかったってなりそうだけど。中島と川西は恐ろしい。
@user-rk2vx9xn7k
@user-rk2vx9xn7k 2 года назад
@@user-mz8fg1st3p 中止にならなかったら、逆に海軍版5式戦的位置にいたかもしれんです。で、烈風が開発中止になってそう。
@user-rk2vx9xn7k
@user-rk2vx9xn7k 2 года назад
@@user-mz8fg1st3p 考え方を変えれば、紫電改から強風部分を完全に取っ払ったのが陣風な気も
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 2 года назад
@@user-rk2vx9xn7k 紫電改の水上戦闘機化計画とかもあったらしい。川西か海軍かは知らないが。終戦前まで戦争する気あんのって感じ。
@user-rk2vx9xn7k
@user-rk2vx9xn7k 2 года назад
@@user-mz8fg1st3p 先祖帰り(笑)
@user-xy6ii2we5h
@user-xy6ii2we5h 3 года назад
3:46乙戦以上甲戦未満ではないでしょうか?
@user-uh8zn7cp1v
@user-uh8zn7cp1v 3 года назад
陣風満帆とは行かなかったか。ザブトン。しかし、戦闘機にレーダーって凄いね。
@user-ox5ux6qg6u
@user-ox5ux6qg6u 3 года назад
確かF6Fも夜戦型機にはレーダーが搭載されていたはずです。 B29迎撃なら夜戦も考慮していたと思います。
@user-ed6xt4yf3o
@user-ed6xt4yf3o 3 года назад
艦爆ながら天山にもついていましたね
@user-tx5ge2nw7t
@user-tx5ge2nw7t 2 года назад
陣風、初めて知りました、ストライカーユニットとして 復活してほしいです
@marimo18k54
@marimo18k54 3 года назад
大戦後期の日本機の重武装とネーミングセンスほんと好き
@user-si1bi5ik5p
@user-si1bi5ik5p Год назад
今では「F〜」「C〜」「P〜」とうの何の面白味もない名前しか命名しないですからね、護衛艦みたいに日本らしい名前を命名してほしいです
@ajk6594
@ajk6594 3 года назад
日本軍の航空機は高性能だけど間に合わず終戦を迎え活躍出来なかったのが謎の浪漫を感じる。
@user-ns2ng8vm6q
@user-ns2ng8vm6q 3 года назад
高性能(カタログスペック)
@ajk6594
@ajk6594 3 года назад
@@user-ns2ng8vm6q 要求だけみればねw
@CHIHATANK
@CHIHATANK 2 года назад
@@user-ns2ng8vm6q カタログスペック(ちゃんと作ってたら実際はもっと高性能)
@user-ns2ng8vm6q
@user-ns2ng8vm6q 2 года назад
@@CHIHATANK 作れれば高性能やろな 作れればな
@user-cl4xv4mf5r
@user-cl4xv4mf5r 2 года назад
@@user-ns2ng8vm6q やめたれwww
@user-cv3pg3bj9r
@user-cv3pg3bj9r 3 года назад
宵月ちゃん待ってたよprpr! 陣風にしても紫電改にしても遅すぎな感があるよな… どう考えてもキ44以上の乙戦が作れなかったエンジン事情が致命的だわ。キ84を陸海共用にするとしても時間がかかったろうし。
@user-fs7ue9lq1z
@user-fs7ue9lq1z 2 года назад
水町先生のタービンはとっくに開発成功していたのに、軍が過給器の開発になかなか乗り気でなかった。 高高度爆撃機の飛来で慌てて1万mの空戦能力を要求仕様する様になり、過給器開発に力を入れる事になるが既に遅すぎた! 日本の場合、下の者が頑張って成果を出しても上の権力者の判断ミスで駄目になる事が多いね。 現代でも‥
@user-zr7rz5rx5g
@user-zr7rz5rx5g 2 года назад
インタークーラーをうまく設計できず結局ターボをものにできなかった
@kuramotomami0029
@kuramotomami0029 2 года назад
中島航空機がスバル(レガシー車) 川崎はカワサキ(オートバイ偵察ヘリコプター) 立川航空機(彩雲偵察機)はプリンスその後日産 三菱は三菱(F1F274式90式10式戦車) 川西は新明和(飛行艇) いすづはいすづ(トラックトレーラー) 芝浦製作所は東芝(レーダーミサイル) 後は忘れました
@kuramotomami0029
@kuramotomami0029 2 года назад
GTRは立川航空機からプリンス 三菱はランサーエボリューション 中島航空機はスバルインプレッサSTI 川崎はカワサキバイクニンジャ
@user-pt2iz6zt1y
@user-pt2iz6zt1y 5 дней назад
上反角ね 1965年ころにゴム飛行機で学んだね バーチカルフィンは下向きだの 当時のバルサゴム飛行機は勉強になりましたです それらが戦時中から存在していた 航空機の世界は進歩は早かったのだね 改めて昔の技術者は尊敬しますわ
@TheBikkuri
@TheBikkuri 3 года назад
当時の米戦闘機と比べると、割と控えめなスペックですよね。 エンジンはともかくプロペラの稚拙なのは700km/h後半を狙うにはキツい条件だった。 住友ハミルトンに勤めていた方と知り合いだったけど、試作品を膝に乗せて桜島から太田まで往復したのだが、国鉄が急行を廃止したため6時間余分というか1日余分にかかることとなり、往復3日が5日かかるようになりキ87(カマを掛けたらドンピシャだった)の開発を遅れさせたという。これね、陸軍潜水艦に資源を奪われた国鉄の意趣返しと考えるしか無い事態なんですよ。東海道を隔駅停車にするならともかく、旅客列車の全各停化は結構な暴挙。普通なら20両連結急行と地域急行貨物で編成するはずである。(各停は朝夕一部時間のみ)。必要エネルギーが4倍ほど違うのである。
@user-km2ph2pz1j
@user-km2ph2pz1j 2 года назад
?急行全廃は戦後ですけど... あと戦前は国鉄じゃなくて鉄道省だし資源削減に鉄道省は全力で取り組んだし石炭は日本でとれたから鉄道省が不足に困ったことはなかったしそもそも20両連結は当時の機関車の出力じゃ無理 軍需列車で旅客列車が遅くなったことはあったけど
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p Год назад
中島と川西が組んでいたら、どんな会社になっていたんだろうと思う。
@user-to9dc8jj6c
@user-to9dc8jj6c 3 года назад
この動画見るまで武装見て乙戦だと思ってた
@user-ud8yb7ss8i
@user-ud8yb7ss8i 2 года назад
どう見ても烈風よりも高性能だったのにな! 後は20㍉機関砲を4門で弾薬数を300発以上にすれば良かった。 下手なパイロットがばら撒くには200は少な過ぎた!門数減らして400発の方が現実的、ベテランパイロットだけでも重爆には多数命中弾が必要だったから(笑) 若しくは25㍉4門の方がより重爆対策には効果的なのに、30㍉だと重過ぎて弾丸だけでもヘビーウェイトに成るから。
@TheBikkuri
@TheBikkuri 3 года назад
16:50、2門では無く、全門だと思う。要は18試20mmを積むならどうなのかってことでしょ。近似スペックの銃を混載する意味は全く無い。
@user-jn6tm8qd4q
@user-jn6tm8qd4q 3 года назад
エンジンの問題よりもガソリンが自動車用ではねアメリカみたいに飛行機用のガソリンなら高性能だったろうに。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 2 года назад
彩雲が三座機のくせして、700キロ近く出たらしいよ。アメリカのガソリンだと。そういうので怖くなって、戦闘機開発に干渉してくるんだよ。
@sanmaco3301
@sanmaco3301 2 года назад
@@user-mz8fg1st3p 100オクタン値での速度は計測値だと言われてるけどね。 彩雲もそうだと聞くし無論Ki83もね
@mkep82da
@mkep82da 6 дней назад
川西は海軍向けの航空機を作るための会社だから水上機の需要無くなったら陸上機作るしかないもんね…
@JPNNEKOSENCYOU137
@JPNNEKOSENCYOU137 3 года назад
投稿お疲れ様です
@BBS335
@BBS335 3 года назад
40年以上前の話ですが、航空関係の学校に行こうとしていた時、隣の爺さん「元陸軍の航空整備兵」から聞いた話・・・。 隼3型に酸素噴射装置を装備して「陸軍航空審査部」が試験飛行をしたら12500mまで登れ、速度も500Km近く出て飛行も安定したぞ、と云ってました エタノール・・・?と聞いたら、それとは別とハッキリ言い切ってました・・・。「陸軍航空審査部」は凄腕揃いだから間違いないとも・・・。 迎角を取って飛行と云う事は既に上昇する余裕が無くて上昇姿勢のまま水平飛行していると云う事です、翼の取付角度を変えても同じ事・・・。 上反角は安定性の向上、半面切り返しなどの機動性が低下する傾向が有りますので何ともですね・・・。 学校で航空力学や流体力学、翼型理論などを学んで理解した事ですが、高空では速度が無いと安定しないし舵も効きにくい、機体よりもエンジンの 高空性能に完全依存と云う現実・・・。日本は機体設計でそのギャップを補おうと努力していたようです・・・。
@masanoriueno7709
@masanoriueno7709 2 года назад
貴重なご意見、勉強になりました。
@rikiy7086
@rikiy7086 3 года назад
この機体を採用、開発出来なかった海軍の先見性の無さが、そのまま敗戦に繋がっている氣がします。 結局烈風は未完だし、まだこちらの方が見込みありましたね。 短い文章でしか知らなかった、烈風の貴重な写真と証言が良かったです、
@user-fb8bd8mk5m
@user-fb8bd8mk5m 5 дней назад
すごい性能だが絵に描いた餅…お疲れ様
@kapokimuramasa
@kapokimuramasa 3 года назад
全備重量は4,886kgって説もある。米軍機のF8Fと比較すると、一回り大きい機体だが重量はほぼ同じで翼面積は一割以上広いから、エンジン出力さえカタログスペック通り出るのなら運動性能は良さそうに思えます。少なくとも紫電改よりも性能が良くないとねぇ…
@tsato4662
@tsato4662 3 года назад
計算上、要求性能を満たすのにギリギリな発動機が誉42型だった→初期計画時より200kgか下手すると300kg以上増大した重量・・・ これ、誉42型が間に合ったとしても出来上がるのは鈍重機?
@quebec8920
@quebec8920 3 года назад
685km/h出せて防弾装備、20mm4門搭載の戦闘機が"無茶な要求"って時点で当時の日本の工業力の限界が見えてるよね
@quebec8920
@quebec8920 3 года назад
というか、天雷はともかく震電よりはまだマシな性能になりそうなものだけどなぁ
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 2 года назад
アメリカだって、12.7mmを6門だし。日本機の680キロは、アメリカの750 キロとかに相当するよ。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 2 года назад
どちからというと、工業力といえばら数だね。信頼性とか。
@sanmaco3301
@sanmaco3301 2 года назад
@@user-mz8fg1st3p 基礎技術を考えるとそうかもしれませんね
@user-fj9dx9fm1c
@user-fj9dx9fm1c 2 года назад
軍部は 何故か機銃や弾数についての希望を搭乗員に聞きもしないで設計発注するのだろう。  機銃はどれが良いとか、軍が好き勝手言っていた様にみえる。
@1967FILLER
@1967FILLER 2 года назад
機体重量3,500kgで全備重量4,373kgでは873kgしか搭載量が無く、明らかに不足しています。
@user-io2zq9vq4x
@user-io2zq9vq4x 2 года назад
そういえば艦これに甲報酬で実装されてますね陣風
@user-gx1cl4xr7y
@user-gx1cl4xr7y 2 года назад
これを今の技術で制作したらどんな性能が出るのか…見てみたいな〜😧
@user-if1gw2qr1l
@user-if1gw2qr1l 2 месяца назад
陣風も 烈風と同じ軽い逆ガル式の主翼だったんだな? それは初めて知ったな? 紫電改や雷電三三型に誉42型が着いていたら もっと違ったのかな? って思いますね.
@user-yb3le9ug9c
@user-yb3le9ug9c 3 года назад
計画値が685㎞とは凄いですね、 高オクタン価のガソリンなら750㎞超は確実でしょうね。 エアレースでベアキャットとの対決が見たかった。
@user-happa
@user-happa 2 года назад
流石にそれはきつくね?
@masanoriueno7709
@masanoriueno7709 2 года назад
750kmに必要な馬力を計算してみたが、誉では絶対に無理。 そんなに回したらエンジンは一瞬で壊れる。
@user-fj9ci2ej6k
@user-fj9ci2ej6k 2 года назад
胸熱ですやい🤣!!!!
@nandemor123
@nandemor123 6 дней назад
誉の開発がもっと早ければと思わずには・・・ それ以前の話、海軍と陸軍が仲良く開発してたら零戦や1式戦を最後まで使い続ける羽目にならずに済んだと思う
@user-ge3it5gv3b
@user-ge3it5gv3b 3 года назад
第一次世界大戦の総力戦を経験していたら熟練工など送らなかったのに。
@eijitakeuchi6209
@eijitakeuchi6209 3 года назад
ところが日本の航空産業に熟練工といえる存在は、元々大して居なくて影響はないんですよ。全金属機が1936年に数十機生産され始めた程度の規模ですから。熟練工云々は高度成長期以降のイメージからの発想なんです。人的リソースに対して開発対象が多すぎたという観点では、おっしゃる通りなんですが。
@user-tt3zw9qi8y
@user-tt3zw9qi8y 3 года назад
アメのB-29はその辺のおばちゃんが組み立てているんだぜ。必用なのは熟練工じゃなくて、誰がやっても同じ結果が出せるようにするシステムを構築すること。大戦前にすでに大衆へ 自動車の普及が進んだアメにその辺りで対抗できるわきゃない😅
@user-yk7pt7xx2h
@user-yk7pt7xx2h 2 года назад
@@eijitakeuchi6209 さん 後熟練工の質も悪く 博打と喧嘩に明け暮れてよくサボるので、各工場に憲兵が配置されていたくらいです。 実際女学生や中学生が工場に動員されてからむしろ生産量は増えてます。 又女学生へのいじめは熟練工ほどえげつなかったのですが これは 女学生にまともなもの作られたら俺らが戦場で死なないといけない と言う卑劣さです。
@eijitakeuchi6209
@eijitakeuchi6209 2 года назад
@@user-yk7pt7xx2h そうですね、飲む打つ買うの世界ですから当時の工場の低い出勤率には愕然とします。ほとんどは正社員でないので仕方ない面もありますけど。 マクロな観点ですが、誉エンジンの疎開工場で、生産行程やジグを工夫して中学生でも高い歩留まりの部品生産をこなしていると、手記で目にした事があります。設計部門でも女学生の数学の素養を高く評価した話がありましたが、上手いことシステムを構築して人的リソースを活用できた所は、熟練工を使わなくても其なりの結果を出せているんですよね。 まあ、工作機械を行程順ではなく、機種毎に固めて配置する残念な工場が末期にも残っている程度ですから、質の低い熟練工()もいたのですね。
@user-mr8eq9zc3e
@user-mr8eq9zc3e 3 года назад
あれ、Jは確か乙(局地戦闘機)だったはず…… 甲は艦上戦闘機でAだったはず……
@jimmy-qu7tj
@jimmy-qu7tj 2 года назад
いいえ陸上運用でも格闘戦用の戦闘機は甲戦です。 Jは単に陸上運用という意味だけですから。 大体乙戦なら二文字目が風ではなくて電です。
@umiushi11
@umiushi11 8 дней назад
ボードシュミレーションゲームで対地攻撃機として大活躍していた。
@Shoki-Ayanami
@Shoki-Ayanami 3 года назад
十八試二十粍機銃が分からなかったのでwikiで調べてみたところ、五式三十粍機銃のスケールダウン版で 初速900m/s 発射速度700発/分  という性能だったのですが、九九式二号銃五型が完成したので中止になったそうです。 ちなみに九九式二号銃五型の性能は 初速750m/s 発射速度720発/分 です。 初速900m/sと750m/sじゃ全然違うので採用しても良かったと思いますが、生産ラインの新構築や九九式二号銃五型の方が元は九九式だから生産が比較的軌道に乗りやすいってのもあって不採用にされたんでしょうか...
@user-mn6vx1gl2r
@user-mn6vx1gl2r 3 года назад
五型はスペックだけならマウザーよりも高性能だったらしい
@user-wg7fx4qw7u
@user-wg7fx4qw7u 3 года назад
今も昔も、技術者を粗末に扱う国。
@samuel1956sky
@samuel1956sky 3 года назад
軍部が頭脳リソースを後先考えない浪費で食い潰した結果、ロクな道具が出来て来なかったんだろうね。 単戦でレーダー搭載してたら、大活躍できたろうねぇ。
@chiudfdnso
@chiudfdnso 10 месяцев назад
結局、陸海で分かれても強かったって米だけだと思う。空軍が居た、英独ソは機体を分ける手間がなかった分、開発に集中できた(まあ空母機動部隊もなかったけど、終戦間際の日本も同じだ)。日本人技術者のレベルは高いが国力が伴ってないので、名機があだ花になってばかりだったのが残念だ。
@user-lm3pd4xc9s
@user-lm3pd4xc9s 3 года назад
低オクタンと質の悪いプラグと超ドSパワハラ軍部の厳しい性能要請に応えようとして血の滲む努力をした技術者は超ドMだね。
@user-pf6ry8dt8d
@user-pf6ry8dt8d 11 месяцев назад
新型エンジンの完成を待って飛行機を作るなど馬鹿げているしましてや開発中に無理な追加要求をすればいい戦闘機など出来るわけがない。「陣風」だけでなく「富嶽」や「キ70」か「キ115」など戦争後期の日本の軍用機開発に於いて無茶苦茶な事例が多かった。これでは戦争に勝てるわけがない。
@508gou
@508gou 2 года назад
カッコいいですよねえ。ちゃんとデビューしてたら海外の軍オタにも人気になってたでしょうね。
@sanmaco3301
@sanmaco3301 2 года назад
今より幻滅されそう
@novusregnum
@novusregnum 3 года назад
What are the sources for this video? 情報源 ??
@user-zi3ym3un6q
@user-zi3ym3un6q 3 года назад
陣風、初めて知りました
@user-bq7ng7ze3k
@user-bq7ng7ze3k Час назад
いつもの試作機あるあるで軍の無茶ぶりの挙句最後は計画中止。リソースも無いのに開発要員のくたびれ儲け。その要員を既存の機体の改修に向ければ、と思わずにいられない。
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 2 года назад
中島川西って遺恨あったんじゃなかったっけ?まあ危急存亡の秋、仲良くタッグ組みましょう。それはともかく、陣風も烈風も艦攻みたい。紫電改があるなら、もっと早く工事中止でよかったんじゃないの?主翼に弾薬850㎏ではマニューバ鈍くて敵戦闘機にカモられるだけでは?
@karthus006
@karthus006 3 года назад
今日で艦これに陣風が先行実装した。
@user-ke5xs6hw4g
@user-ke5xs6hw4g 2 года назад
開発成功して想定通りの性能が出せたら F8Fとも互角に戦えたかもしれないな
@user-sl2yc3lr1u
@user-sl2yc3lr1u 2 года назад
その可能性は非常に低いと考えざるを得ない。仮にエンジンがカタログスペック発揮出来たとしても、重量過大で工作不良な機体と未熟なパイロットばかりではね・・・ベテランパイロットが操る小型軽量俊足俊敏なF8Fと、まともな戦闘になるとは思えないです・・・
@user-zr7rz5rx5g
@user-zr7rz5rx5g 2 года назад
F8Fが米軍機には少ない制空戦闘に特化した機体で、米軍機では異例な運動性能を重視した設計思想の戦闘機だった。 日本の戦闘機に寄せた機体だったとも言える。 逆に日本機が速度性能や縦方向の機動性を重視した方向の新型機へとシフトして行ったので 紫電改や四式戦とF8Fでは 両国の戦闘機の性格が零戦とF4Fの時代とは逆転したとまでは言えないがそれに近い状況になった。 陣風も後期の日本戦闘機の方向性そのままだと言える。 F8Fは米軍らしくなく軽量小型を志向したので搭載能力に乏しく汎用性を欠いた。 F4Uのように攻撃機としては使えないからお役御免になるのも早かった。 F4Uは朝 鮮戦争でも活躍した。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p Год назад
お互い、航続距離が短くて戦う可能性が低かったりして。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p Год назад
@compei000 大丈夫だ。その頃には、ジェット戦闘機、扇風とか出てるだろう。
@user-tl6ed3ox4x
@user-tl6ed3ox4x 3 года назад
「誉」は名機扱いされるけど、余りに余裕が無さ過ぎる。トラック並のタフさに欠けるんだよ。レーシングマシンのエンジンに近い繊細さ。 これに固執する海軍の偉いさんは自分で車の運転した事無いんだな。エンジンの何たるかを知っていれば無茶してると分かったのに。
@masanoriueno7709
@masanoriueno7709 2 года назад
中島も中島だよ、学校出てたかが数年の若造を誉の設計主任にするんだもんなぁ。
@user-oj2eh7to4h
@user-oj2eh7to4h 2 года назад
アメさんもB29のライトR3350みたいな精密なエンジン積んでるからそうとも言えませんね
@sanmaco3301
@sanmaco3301 2 года назад
@@user-oj2eh7to4h あのエンジンはアメリカしか運用できませんからね。 運用コストが高すぎて
@user-ts1kp3tb5o
@user-ts1kp3tb5o 3 года назад
日本航空行政の混乱は迎撃任務に当る機体を共通化しなかったのと、陸軍パイロットの海を飛べるパイロットが少ない事かな。 独空軍みたいに海軍機まで管理するのも間違ってるし、英みたいに空軍に予算がいき過ぎて海軍機に金がいかず旧型機の改良で誤魔化したり、機体の調達費も困り大規模機動部隊を用意出来なかったりするのも大問題。
@user-ne6fc1oj5k
@user-ne6fc1oj5k 3 года назад
レーダースコープみたいなやつが偏流測定器っていう人もいるし電探のやつだっていう人もいるしコレモウワカンネェナ
@umiomamoru
@umiomamoru 3 года назад
エンジンが誉の時点で全然ダメ。
@user-df1jh7hg8k
@user-df1jh7hg8k 3 года назад
操縦席計器盤の丸いスコープは偏流測定器の説もあるようですです。
@kanatakahashi1397
@kanatakahashi1397 2 года назад
日本の航空機工場に並んでいたのは米国製の工作機。 これを見学した本田宗一郎氏は 「これじゃ勝てるわけねえな。」 と思ったそうである。 米国の工場には更に進んだ最新機械が並んでるはずだから。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p Год назад
戦争開始手前まで丁寧に教えてもらったとか書いてあった。空技廠の技術者は、騙されたと後で気づいたと書いてあったな。
@user-ey8ef3ho9c
@user-ey8ef3ho9c 3 года назад
うぽつです✌
@koh631
@koh631 8 дней назад
万能パイロット 赤松貞明氏も量産できていれば😅
@user-xz9dq9rq5o
@user-xz9dq9rq5o 3 года назад
現代の新明和工業ですね❗
@user-fc1bg5tj4g
@user-fc1bg5tj4g 2 года назад
搭載する20mm機銃からして定まってなかった戦闘機という事ですね。 まあ~、18試20mm機銃からして出来るかどうか分からないし、出来たとして生産した物の数が揃うか分からないし、積んだは良いけど欠陥が露呈して悲惨という事も想定しなければならなかったから、兵站の邪道二種混載を選択したのだろう。
@user-zr7rz5rx5g
@user-zr7rz5rx5g 2 года назад
発射速度や弾道特性に優れたものが果たしてできただろうか。
@user-rj3fq3es3x
@user-rj3fq3es3x 3 года назад
うぽつです。
@CX-EURO400
@CX-EURO400 2 года назад
これに排気タービンが装備できたら無敵だろう。
@user-dn5gk8ez2r
@user-dn5gk8ez2r 3 года назад
日本機全体に言えることだがBf109やスピットファイヤーやFW190みたいな将来の発展余裕を持たせた冗長性の無さが日本機の欠点だと思います。 機体を一から開発するのは無駄とは言わないが将来の発展余裕をある程度持たせていれば新型の機体を実戦配備するまでの戦況を維持出来るかも知れないし、なにより時間、コスト、資源、人材などのリソースの節約にもなると思うのだが。
@eijitakeuchi6209
@eijitakeuchi6209 3 года назад
それは言い過ぎと思います。bf109もスピットも戦争中盤以降にほぼ再設計されていたので、発展性や冗長性について言及出来ないのでは? 結局のところ、エンジンの高出力化が英独のようにできなかったことが要因ではないでしょうか。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 2 года назад
作っても、雷電や鍾馗とか疾風とか重戦は忌避されたりするからね。これまた用兵側の無駄。
@user-zr7rz5rx5g
@user-zr7rz5rx5g 2 года назад
大出力エンジンの開発に成功できなかったから 機体は軽量小型を最優先に設計するしかなかった。 そもそも日本は陸海軍とも用兵側も格闘性能に固執するから 拡張性のある機体は無理だった。
@chamberbomber4427
@chamberbomber4427 11 месяцев назад
一式戦二式戦を順当に進化させ四式戦を量産機として仕上げた中島に比べ、零戦以降迷走する三菱はなあ 海軍の要求性能が当時の技術水準を大きく超えたものになりがちなのが良くなかったのだろうが、新型機の量産にすら漕ぎ着けないのは戦時中のメーカーとしては落第だろう
@jimmy-qu7tj
@jimmy-qu7tj 2 года назад
いやいや、エンジンスペック考えたら本当のこの全備重量で行けるの? 下向きの飛ばないの?という不安がある全備重量かと思う。(前にバランスが行く傾向なため) この重量でバランスが取れているなら、多分驚異的な軽量戦闘機だという称号が取れていたと思う。 いくら出力に対して驚異的な小型直径の誉をもってしてもという話だよ。 あと、もし高オクタンガソリンや高性能なエンジンオイルや高性能な整備オイルの開発ができたとしても 多分ターボ機構の金属開発は相当ネックだっただろうね。
@jimmy-qu7tj
@jimmy-qu7tj 2 года назад
あと、兵器以外の部分の開発がダダ遅れした事が結局こういう計画機が実際に戦場に出た際の運命を想像させるんだよね。 「遅すぎた良い発動機」という言い方でエンジンについてはアメリカは誉を褒めたんだ。エンジンを支える人も資材もなくなってから誉は生産になった悲劇なんだよな。 直径で無理がなかった分ハ42はマシだったようだが(飛竜のハ104は陸軍のハ42-11の呼称)、 三菱のハ42やハ43もどの道資材に泣かされただろう。(この資材は燃料も含む)
@jimmy-qu7tj
@jimmy-qu7tj 2 года назад
もう一つ、二十試甲戦は陣風という名前じゃなかったようだよ^^; 多分陸風になったと思う。 それと、電探の送信管の規格はどうしたんだろう? 送信管って結構WEやRCA規格の球が多いから規格自体がある時期から入りにくかった気がする。 シャープカットオフの高周波電圧増幅管は戦時体制量産(ソラ)ができてたんだけど、大型送信管って古い三極管規格資料位しかなかったはず。
@user-zr7rz5rx5g
@user-zr7rz5rx5g 2 года назад
ターボをものにできなかったのは 実はインタークーラーをうまく設計できなかったことも大きい。
@user-zr7rz5rx5g
@user-zr7rz5rx5g 2 года назад
ターボをものにできなかったのは 実はインタークーラーをうまく設計できなかったことも大きい。
@user-xt9kl2oy2p
@user-xt9kl2oy2p 3 года назад
興味深い
@user-nx9ef4rq4n
@user-nx9ef4rq4n 5 дней назад
対空+13は強いよなぁ。。
@user-om8or8nv3p
@user-om8or8nv3p 3 года назад
うぽつです 胴体の武装配置が独特ですね… 陣風の三式十三粍機銃の配置が Fw190 A-5(?)(輸入されてたけど買ったのがどっちか忘れた)の 配置に似てると思いました。
Далее
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