最近、ソウルライクのlies of pをプレイし終えて、葛西さんのクリエイターの誰もがオリジナリティを表現したい欲求を持っているわけでないという発言に納得しました。lies of p、二周クリアするぐらい十分楽しめましたが、製作者がブラボの影響を受けていることを公言しているように、ゲーム中多くの場面で既存のフロムソフトウェアを思わせる要素が見られ、ものによってはこれはオマージュを超えて、パクリだよね、と思わず苦笑してしまう場面が多々ありました。 ユーザーとしては面白ければなんでもOKとの意見がある一方、ユーザーの誰もが自分の中に批評家としての感情をもってしまうのも自然であり、単純に割り切れるものではないと思いました。 そういった意味で批評家の立ち回りの重要性を強く感じています。