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日本遺産「鎮守府・佐世保」松浦鉄道編 

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26 окт 2024

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Комментарии : 4   
@f4802
@f4802 Год назад
当時の佐世保駅は高架ではなく裏手は漁村でした、戸尾町市場前交差点を直進し海側に、大きな市場の覚えがあります。 市場の前は連絡船の桟橋がありましたね、岸壁のフエンス越しには3本の煙突、の軍艦敷島が接岸して折、水兵さんの働く姿を見ていました。 母方の祖父祖母達が戸尾町で菓子店(開化堂)を営んでいました、借家だった様ですが現在もその面影はあります。
@f4802
@f4802 Год назад
佐世保中央駅、の左側には滝があった気がします、また、玉屋デパートもすぐ近くだった気がします。 佐世保共済病院はS14年頃にはあり、診察を受けた事がありました。
@f4802
@f4802 Год назад
非常に懐かしい線路です、「1:13:03」【花園町橋梁】〜「1:13:21」【名切隧道・橋梁】の間は思い出のある所です。 名切町の橋梁、右下に豆腐屋があり温かい豆乳を飲んだ思い、左を行くと峠?に火葬場がありました。 S14年頃?、中間辺りに住んでいました。S16年には山手国民学校に入学でした、ラジオ体操は火葬場横の花屋さん前でした。 火葬場の横に借家があり一つ上の「竹田さん」と遊んだものです。 通学路は花園町橋梁下を通った処で右折、坂道を上って行きました。 ある日の事、「名切橋梁〜花園町橋梁」の線路を歩いて叱られた事もありました。 花園町と言えば遊廓街で、夜になると綺麗なお姉さん達が宴会を、子供心に早く大人になりたい願望がありました。 銭湯は花園町にあり時折には行ったものです。 S18年の暮れ、父の実家に疎開しました。S25年高校に入学しました、奇遇とでも言いましょうか「竹田さん」が上級生に、びっくりしました、鹿児島の方と聞いていましたから。 父は職業軍人でしたので「海軍橋」を渡り購買部に、鎮守府前の右手前には木造2階建ての海軍病院があり母はS12年に他界でした。S39年には東京に転任、ある時、伊藤先生(教授.医学博士.剣道師範)と信州・上田に、宿での四方山話から先生のお父さんが棟梁としてこの病院を建てた旨で、縁の不思議さを感じました。
@negotkazu4655
@negotkazu4655 6 лет назад
本土最西端の駅たびら平戸口を出発して少し走ると木のトンネルに入りますが2分30秒付近の場所が鉄道路線の最西端になります。
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