Тёмный

演歌が誤解されまくってる件について 

Mino Music
Подписаться 464 тыс.
Просмотров 76 тыс.
50% 1

みのミュージック
お楽しみ頂けましたら高評価とチャンネル登録お願いします
/ @lucaspoulshock
5/1に書籍「戦いの音楽史」発売予定! ご予約はこちらから
t.co/1XkpZv2j6s?amp=1
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《Twitter》
/ lucaspoulshock
《Instagram》
/ lucaspoulshock
所有レコードの紹介アカウント
/ minovinyl
《note》
note.com/lucaspoulshock
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ミノタウロス1stアルバム「肖像」2/5日より好評発売中
以下よりお買い求め頂けます
TOWER RECORDS
tower.jp/item/5006323/%E8%82%...
HMV
www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%9...
DISK UNION
diskunion.net/portal/ct/detai...
ミノタウロス公式
公式グッズ
muuu.com/videos/394ace86ffa0385a
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
レコードバー『烏龍倶楽部(ウーロンクラブ)』
/ oolongclub
新宿区歌舞伎町2-10-7 ダイヤモンドビル3階D室
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▼お仕事の依頼はこちらにお願い致します(UUUM株式会社)
www.uuum.co.jp/inquiry_promotion
▼ファンレターはこちらまで!Thank You!
〒107-6228 
東京都港区赤坂9丁目7番1号 
ミッドタウン・タワー 28F UUUM株式会社 みのミュージック宛

Развлечения

Опубликовано:

 

5 авг 2021

Поделиться:

Ссылка:

Скачать:

Готовим ссылку...

Добавить в:

Мой плейлист
Посмотреть позже
Комментарии : 514   
@lotoloto6065
@lotoloto6065 2 года назад
演歌が好きなお年寄りの方を「遥か昔から連綿と続いてきたものを楽しんでいる人」だと思ってたけど、本当は「自分が若い頃の音楽を今でも好きでいつづけてる人」だったのか。衝撃。
@comicomi9246
@comicomi9246 2 года назад
自分は40代後半で「演歌が好みになる気配ないな」と思ってたんだけど、 そういうことだったんだね
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
昔の楽曲を嬉しがる時代が演歌の全盛期だと思っている。 一冊の本の仮説が正しいとは思っていません。 有識者の五木寛之の解説に納得できないな~
@lucaspoulshock
@lucaspoulshock 3 года назад
明治の演歌は別物らしい
@user-or2tv4pg4c
@user-or2tv4pg4c 3 года назад
いわゆる明治からの演歌と言うと添田唖蝉坊とかが有名です。是非みのさんからの研究も見てみたいです。
@user-or2tv4pg4c
@user-or2tv4pg4c 3 года назад
あと私の知る中では桃山晴衣という方が一番日本の奥底を探った人ではないかと思います。江戸の小唄とかも研究され、RU-vidに音源が残ってます。
@mushi1411
@mushi1411 3 года назад
昔から演歌の伴奏にエレキが絶対に入ってるの疑問だったんだよね。いや、めちゃめちゃ合ってるんだけど。 ルーツからして当たり前だったわけですな。
@caither2413
@caither2413 2 года назад
しかもイントロにトランペット入れるのは定番、後ろにはストリングスが王道で、リズムはドラムセットで8ビートですからねw
@user-fr7ms8gn3m
@user-fr7ms8gn3m 2 года назад
演歌とは違うかもしれないけど、ソーラン節が実はハードロック的な演奏がされてることに気づいたときは笑った
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
寺内タケシの「津軽じょんがら節」とか。。。完全に民謡だし。。。 松村和子は演歌の弾き語りかもしれない。。。
@unomuseisou5877
@unomuseisou5877 3 года назад
個人的には演歌のルーツは古賀メロディーあたりでそれと村田英雄や三波春夫あたりの民謡・浪曲系の歌手がハイブリッドして様式が出来上がったと思ってました 藤圭子以前にすでに北島三郎や村田英雄はバリバリ歌ってたから、演歌の様式はすでにあってそこに「演歌」という言葉を当て嵌めたのが70年前後あたりということじゃないですかね
@shirou9237
@shirou9237 3 года назад
同意。今「演歌」でイメージされるような音楽が無かったわけじゃなく、思いっきりありました。ただ純邦楽ではない大衆歌全般が「歌謡曲」とか「流行り歌」と呼ばれていた。大ぐくりなんで、当然のように音楽ルーツ的にはいろんなものが入ってる。そして「演歌」というワードは(動画で言ってるように)あとから付いたということですね。
@user-lz5bw2el9m
@user-lz5bw2el9m 2 года назад
私も"古賀メロディー"への言及がなかったことが気になってました。 古賀政男さんが明治大学マンドリン倶楽部ご出身で、いわゆる古賀メロディーと呼ばれるラテン系につながる独特の郷愁感はその後の演歌にも影響が大きかったのだろうと思います。
@kaithquake
@kaithquake 2 года назад
スコーピンズは70年代から活動していたがジャーマンメタルがジャンルとして体系化されてきたのは第二世代のハロウィンが出てきた80年代中盤頃からだ、って話ですよね。
@imagiroh2546
@imagiroh2546 2 года назад
​@@user-lz5bw2el9m ラテン系につながる独特の哀愁漂う感じ!音楽のことはようわからんのですが、短調ってやつ?と演歌は切っても切れないと思います。
@tsuneakikinjo6459
@tsuneakikinjo6459 2 года назад
@@user-lz5bw2el9m この時間でそこまで網羅的に話すのは難しいのでみのさんの重点の置き方の話かと思います。この回の元ネタとして紹介されている「創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史」ではそのあたりの言及もあります。
@_minniewantsapples2242
@_minniewantsapples2242 3 года назад
「演歌」の発祥が1970年ということに驚愕、戦前からあるものだとばかり思い込んでた。 「ブルースの女王」として君臨した淡谷のり子が生前「私は演歌が嫌い」と言っていた件、今回の動画を視てなんとなく腑に落ちた気もするし…。今回の動画がカルチャーショック過ぎてまだ咀嚼できない自分がいますが。
@kazuyukitomita891
@kazuyukitomita891 2 года назад
カルチャーショックを越えています。 ru-vid.com/video/%D0%B2%D0%B8%D0%B4%D0%B5%D0%BE-4xZBSOOzze0.html
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
美空ひばりとか村田英雄とか近江俊郎なんかが演歌だと思っている。 どうなんだろう。古賀政男の「懐かしの古賀メロディ」こそ演歌の本流だと思っているけど。。。
@mt.biblical1473
@mt.biblical1473 3 года назад
オッペケペー節、くるりが最新作に収録した「益荒男さん」という曲で引用していましたね 「権利幸福~」「心に自由の種を蒔け」などの原曲のフレーズも使われてたり
@KS-nb1xg
@KS-nb1xg 2 года назад
60年代からエンカを聞いて育った者です。「演歌」という表記が70年代に定着したっていうのは最近ネットで知りました。でも60年代から「えんか」はありました。なんと言っても古賀政男さんが日本のえんかのルーツだと思います。あえて日本のと書きましたが、過去に古賀政男さん自身がどこかであかしていたと思いますが、彼が朝鮮にいた時期に聞いた朝鮮歌謡の影響を受けています。今、朝鮮起源説とかタブーっぽいのかも知れませんが、一度レコチョクとかで韓国歌謡を検索して聞いてみてください。まんまです。芸能界に在日の人や帰化した人が多いのも関係あるんじゃないかと思っています。
@user-wx7bs7px1b
@user-wx7bs7px1b Год назад
40年くらい前キャバレーで演っていた頃、当時のバンマスから古賀政男は韓国民謡の影響を受けた人だから 演歌のルーツは韓国民謡だと聞いたことがあります
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
もし古賀メロディが朝鮮歌謡や韓国歌謡を起源とする説が本当ならタブー視してはならないと思います。大衆音楽に捏造や隠ぺいは文化的ではないからね。確かに在日韓国人の大物シンガーが多くいるのも確かだし。。。 アメリカ音楽は明らかにブラックミュージックを起源としたジャンルだと認めている。プレスリー時代は差別されたけど今ではブラックミュージックなしにアメリカン歌謡は語れないよね。 そもそもロックンロールは黒人ミュージシャンが起源だよね。
@kenichnagata7101
@kenichnagata7101 3 года назад
清志郎さんが昔指摘してましたね。演歌って輸入品で日本の歌謡には無かったものだって。演歌を日本の心と紹介するのはちゃんちゃらおかしい事なんだとまでおっしゃていた記憶があります。日本の歌謡の主流は明るくて軽快なメロディを持っていて元気が出るようなものだ、藤山一郎さんが暗い歌を歌ったか?って渋谷陽一さんに力説してましたね当時。
@Ingrid1019
@Ingrid1019 2 года назад
>藤山一郎さんが暗い歌を歌ったか? 「影を慕いて」とか思い切り暗いですけどねw ただし藤山一郎本人はクラシック出身の誇りがあり、演歌的な歌唱法を厳しく批判していました。
@user-le4hf5gm3c
@user-le4hf5gm3c 2 года назад
美空ひばりさんより年上の演歌歌手とか思いつきませんもんね考えたら。しかもひばりさんを演歌歌手とは呼ばないし。
@ahaha-xl6tr
@ahaha-xl6tr 2 года назад
@@Ingrid1019 !
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
清志郎説に大賛成です。進駐軍が持ち込んだ音楽文化を日本土着に発展させた音楽ジャンルでしょう。江利チエミやペギー葉山たちが日本人向けに大衆化して知られるたことが起源だと考えています。その後に流行して演歌や歌謡曲と呼ばれるようになったと考えています。進駐軍がアメリカン歌謡曲を持ち込まなかったら演歌は生まれなかったでしょうね。藤圭子起源説の書籍の解説には納得していません。みのさんのファンですけど。。。
@user-dy3lb6ty9i
@user-dy3lb6ty9i 3 года назад
美空ひばりさんは本来ジャズ、ラテン、ロカビリー、カントリーなど戦後日本におけるヒップな音楽と民謡、浪曲、端唄といった伝統的な俗謡を合体させたようなミクスチャー歌謡をやってた人で、いわば当時の最先端のJ-POPのアイコンのような歌手だったわけです。 それが60年代中頃に「柔」や「悲しい酒」をヒットさせ、70年代以降はなんだか演歌の大御所みたいな扱いをされるようになってしまったのが残念でなりません。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
みのさんの解説に美空ひばりが出なかったことが残念です。グループサウンズもやってるし。。。演歌だけではない天才歌手として評価して欲しいよね。
@user-hc6im4wq1l
@user-hc6im4wq1l 3 года назад
前に服部良一か何かの動画のコメントに「数年程度流行っただけの演歌が日本の心として扱われてるの納得いかない」みたいなコメントあって凄く共感したからこういう動画は有り難い
@pop56
@pop56 3 года назад
藤圭子自身は、洋楽好きで、ロックシンガーを希望していたが、会社の方針で恨み節、怨歌を泣く泣くうたっていたとインタビューでおっしゃてました。昔はみんな歌謡曲でひとくくりだった気がします。その前に、はやり歌、流行歌とかも言ってたような。五木寛之が艶っぽい色恋の歌という意味にとれる艶歌とつける前に、恨み節、怨恨の歌・・・怨歌という潜在的な認識があり、艶歌という表現が定着せず、かといって怨歌というのも、おどろおどろしく、生臭すぎて売りにくい…そこで、演じる歌というニュートラルな表現に落ち着いたんだと思ってました。戦後頑張ってきた・・・でも振り向いてみれば、頑張っても、思ったほどは報われない、ちょっと、投げやりだった時代を背景に生まれた歌って認識です。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
やはりみのさんの藤圭子起源説には違和感があります。五木寛之は「演歌」と「艶歌」の違いを説明している有識者という感じかな…美空ひばりに触れなかったことは残念です。戦前からのトラディショナルな「浪曲」「民謡」「音頭」などは「演歌」の起源と関係があると思いますね。日本人は幼い頃から土着的な「童謡」に親しみがあります。「演歌」と「歌謡曲」はどちらが古いかと言えば「演歌」でしょう。 ただ「演歌」と言う呼称がなかっただけだと思っています。戦前から演歌風や演歌調の楽曲たくさん存在していました。「歌謡曲」は戦後の大衆に生活的余裕ができた時代の娯楽だと思います。「演歌」と「歌謡曲」が棲み分けた時代になって演歌歌手が「着物」を衣装にしているだけでしょう。 美空ひばりや八代亜紀や小柳ルミ子などドレス衣装のほうがいいですね。
@leoleo_bird
@leoleo_bird 3 года назад
このチャンネル見てるだけでどんどん音楽の知識が増えて楽しい、1年前とは大違いだわ
@freiweg1
@freiweg1 3 года назад
演歌というジャンル分けはたしかに1970年前後からと思いますが、いわゆる演歌調の歌謡曲自体は戦前(1945年以前)からあります。演歌調を音楽的に定義しろといわれても音楽家でない私には不可能ですが、たとえば中山晋平作曲の「船頭小唄」(1921)、古賀政男作曲の「影を慕いて」(1932)、江口夜詩作曲の「十九の春」(1933)以下、のちに演歌に分類されておかしくない戦前戦後を問わずたくさんあります。1960年代前半の私が小学生の頃も、暗い人生を歌いこんだもの、股旅物といわれるやくざ稼業の浮草人生をうたったものなど、演歌という分類こそありませんでしたが、まさしく演歌そのものでした。一方で○○ブルース、○○小唄、○○行進曲、○○音頭のように外来音楽、邦楽、民謡などの旋法を借用した大衆音楽が歌謡曲という大まかなジャンルで大衆にうたわれ続けていました。演歌(艶歌・怨歌)というジャンル分けは文化人や評論家がやや上から目線で作り出した分類だと思います。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
全く同感です。この解説が一番説得力があります。古賀政男が国民栄誉賞を受賞したときから古賀メロディのファンです。「トンコ節」などかなり古いですよね。中山晋平。。。山田耕筰?滝廉太郎も演歌のジャンルの起源と言ってよいかもしれません。子どもの頃から「歌謡」「童謡」などの日本土着の下地がないと流行歌は生まれません。「民謡」「浪曲」だけにルーツを持つことはないでしょう。ただ「演説歌」と「演歌」が異なることは常識ですけど。。。 ただ「演歌」と呼ぶ音楽ジャンルがなかっただけだと思っています。
@Sho-yu2424
@Sho-yu2424 3 года назад
先に書かれている方がいらっしゃいますが、戦前の古賀メロディ(ヨナ抜き+クラシックギター)で今演歌と呼ばれる様式が大体決定した一方、戦後の西洋音楽解放でハワイワンやジャズ、ラテンの影響を受けながらもヨナ抜き曲も多く日本独自の形となったムード歌謡が登場し、1950初期〜1970年代中頃まで続きました(動画内で出てきた前川清も「長崎は今日も雨だった」で有名な内山田洋とクール・ファイブのボーカルでした)。ムード歌謡は繁華街、演歌は港が歌詞の舞台ということで一応区別がついていましたが、ヨナ抜きという共通点、演歌の近代化によるジャズ等の要素が増えたこと、ムード歌謡もキャバレー等での演奏を想定したものからテレビやラジオで演奏することを想定した事による歌詞の大衆化が進んだことから、両者は融合し、ムード歌謡も含めて演歌と呼ばれることとなって現在に至ります。 ちなみに「酒は涙が溜息か」は1931年発売し、(レコードプレーヤーが高価で持っている人が少なかった時代である)戦前に80万枚もレコードが売れた大ヒット曲ですが、1960〜80年代の演歌と言われても分かりないくらい(演歌として見れば)先進的な曲です。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
藤圭子起源説に反対なら大いに賛成です。戦前の古賀メロディに進駐軍が持ち込んだ音楽文化が融合したジャンルも「演歌」の起源でしょう。アメリカ歌謡のブルースやジャズやブギウギまでブラックミュージックの影響もありますよね。古くは淡谷のり子、江利チエミやペギー葉山や笠置シヅ子たちが活躍した時代が無ければ「演歌」は大衆化しなかったでしょう。 戦後に現れた昭和の天才歌手、美空ひばりに触れなくしてJポップは語れない。
@justbeyondyoursmile
@justbeyondyoursmile 3 года назад
過去の動画に「歌謡中心史観を用いて演歌の成立を説明してほしい」と書いたモノですが、この動画でよく分かりました。ありがとうございます。 美空ひばりの初期の曲は演歌と呼ばれないことから、みのさんが説明した頃に演歌が成立したんだろうなとは何となく思ってました。 五木寛之が「艶歌」表記を用いていることは知っていましたが、演歌のパプリックイメージ作りにこれほどの影響があったとは知りませんでした。 あと、オッペケペーという言葉は知ってましたが曲を聴いたのは初めてです。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
オッペケペー節は貴重ですよね。ありがたいよね。
@momoakiba6332
@momoakiba6332 3 года назад
周りを見渡せば意外と作られた日本像が不気味に佇んでいるかもしれないと学びました。ありがとうございます。
@momoakiba6332
@momoakiba6332 2 года назад
@@YT-st8jq なるほど、現代神道と通じているかも知れませんね。元は島国でそこのところに疎いのかもしれません。おー、色々考える❣️楽しいです。ありがとうございます😊
@SmoothJackson5
@SmoothJackson5 3 года назад
最古のラップ意外とノレるのウケる
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
貴重なオッペケペー節の音源が聴けたことに感謝します。デカンショ節はないのかな~、ええじゃないか。。。
@user-asakichi
@user-asakichi 2 года назад
1960年代までは、民謡、浪曲などの伝統ジャンルを除いた邦楽をひっくるめて「歌謡曲」でした。藤圭子の登場で五木寛之が、「これは恨み歌だ、怨歌だ。」と言い出したあたりから、古くからある「演歌」という言葉が引っ張り出されたり、「艶歌」という言葉が生まれたように記憶しています。浪曲や民謡は、あくまで歌唱法として歌謡曲に取り込まれたものだと思います。
@sellyg.7858
@sellyg.7858 2 года назад
「艶歌」は芦田伸介・渡哲也で映画化されました。 ここでのヒロイン歌手は水前寺清子で、ライバル役にはにしきのあきらとおぼしき人物設定になっています。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
そうかな~「民謡」は労働歌のイメージがあります。「大漁節」「炭坑節」「ソーラン節」「安来節」明るいテーマソングが多い気がするな~
@leopardon37927
@leopardon37927 3 года назад
宇多田ヒカルの血筋凄すぎて草
@user-qd5xx7yz8f
@user-qd5xx7yz8f 3 года назад
ジャズからだと八代亜紀 ブルースからだと森進一 民謡からだと細川たかし フォークからだと五木ひろし
@user-distance-car
@user-distance-car 4 месяца назад
全員、レコード大賞受賞者(細川と五木は2回)
@l070226
@l070226 3 года назад
演歌のバックの泣きメロギターめっちゃ効果的でかっちょよかったりしますよね、ジャズとかR&Bの影響だったんか、、、本気でルーツミュージック掘ろうとしたら、お経や声明、舞とかになっていきますね、、、天台声明すごいですよ。
@joker_8630
@joker_8630 3 года назад
かの有名な作曲家で大変な愛国家でいらっしゃる、すぎやまこういち大先生は下記にようにおっしゃっています。 (以下Wikipediaより引用↓) 「演歌こそ日本民族の音楽である、という権威付けは間違いである」「音楽芸術の面から見れば、瀧廉太郎から始まりすくすくと育っていた日本の音楽文化に、暗黒時代を築いたと断言してよい」「我々コンポーザーの間でも演歌を歌とは認めても、音楽的には優れた美しいものと認めている人は少ないのではないか」と否定的な見解を自著に記している。
@user-lq5pb7zt7t
@user-lq5pb7zt7t 3 года назад
細川たかしの北酒場はマジでロック
@glsw60botw
@glsw60botw 3 года назад
そういえば大瀧詠一さんが三橋美智也は日本初のフォークソングだと言ってました。 その大瀧詠一さんが大阪で上岡龍太郎師匠と対談したとき上岡さんが「山下達郎の歌ってあれ浪曲ですね」と言ったのを大瀧さんが電話で山下達郎に伝えたら山下達郎が「ばれたか」と言った逸話が大好きです
@user-cf7yh8fn8x
@user-cf7yh8fn8x 3 года назад
ポップス・ロックが隆盛になってその影響を受けた歌謡曲が演歌と分けてカテゴライズされるようになったのが70年代ということで、演歌的な音楽は当然それ以前からあったし、藤圭子を起点として語るのは単にその時期に歌謡曲が多様化してきたというだけであまり大きな意味を持たせるのも違うと思いますよ。もっとそれ以前の、古賀政男がジャズと小唄・端唄などの間の落とし所を探っていわゆる古賀メロディを創出した話や、あるいはもっとそれ以前の野口雨情・中山晋平「船頭小唄」がいかにして成立したかとか、「演歌」の成立はどんなものだったかはもっと広く多様な視点で見ていったほうがいいように思います。
@user-lg5qw7ng7m
@user-lg5qw7ng7m 2 года назад
藤圭子を演歌の起点とすると、村田英雄の人生劇場、北島三郎のなみだ船、都はるみのアンコ椿は恋の花、美空ひばりの悲しい酒、島倉千代子の東京だよおっかさんなどは演歌ではない? 疑問が残りますね。藤圭子を売り出す頃使われた怨歌が演歌とごっちゃになってる感あり。
@ziggystdst
@ziggystdst Год назад
さぶちゃんの(そのものズバリの)この曲は1963年(作詞:星野哲郎/作曲:船村徹) ru-vid.com/video/%D0%B2%D0%B8%D0%B4%D0%B5%D0%BE-4SqEdkptcy0.html
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
そうですよ。藤圭子起源説に違和感があります。古賀政男や美空ひばりなど邦楽を語る上で最重要人物の解説がありませんよね。最近では服部良一や古関裕而も再評価されています。彼ら避けて昭和歌謡やJポップは語れません。 五木寛之は「怨歌」や「艶歌」と「演歌」との日本語の意味や違いを解説している有識者で音楽評論家だとは思っていません。 それより進駐軍が持ち込んだ文化を広めた江利チエミやペギー葉山から美川憲一や小柳ルミ子や八代亜紀などドレス衣装の歌手も活躍しています。古くは淡谷のり子もいたし。。。「演歌歌手=和装」のイメージはありません。 みのさんが特定の書籍の活字で「演歌」を解説していることが残念です。 最低、国民栄誉賞級の古賀政男、服部良一、古関裕而、吉田正などの楽曲を聴いて感想を解説して欲しいな~音楽評論家のみのさんらしくない
@eltopo910
@eltopo910 3 года назад
演歌とは少し違うけど、RU-vidにあった大瀧詠一と高田渡のラジオが音源が日本のルーツ音楽について話していておもしろかった。
@wumoe539
@wumoe539 2 года назад
NHK紅白歌合戦の変遷をずっと追いかけてきました。「演歌歌手」が毎年減らされていることに危惧を覚えており、J-POPばかりでは高齢者がついていけない、置き去りにされるのではないか!?と訴えていますが、それでは「演歌歌手」のグルーピングの定義って何だろう?とは調べてもよく分からないのでずっと悩んでいました。みのさんの今回の解説から考えると、おそらく「演歌・歌謡曲歌手」の括りは歌手やレコード会社の側から提案されるものなのだろうと思います。和田アキ子さんなんてどう考えてもR&Bシンガーですが、本人と所属会社が「演歌歌手」と言えば「演歌歌手」ということになるのかもしれません。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
そうですよね、日本の音楽ジャンルはレコード会社の意向が大きく反映されていると思います。歌手やアイドルを大々的に売り出す時にジャンル分けしています。楽曲の音楽性よりも歌手のキャラのイメージ戦略にウエイトを置いてる感じかな…
@piojokazu
@piojokazu 3 года назад
全て目から鱗でした! めちゃめちゃ面白かった!!
@mt.biblical1473
@mt.biblical1473 3 года назад
演歌の延命と再びの危機にカラオケが関係してくるあたり、日本ならではという感じで面白い
@Shinji-Nukaga
@Shinji-Nukaga 2 года назад
『創られた「日本の心」神話』この本、本当に面白い。 芸能事務所、放送局、レコード会社の合同企画で生み出された「演歌」という新ジャンル。
@JackieMatthews610318
@JackieMatthews610318 3 года назад
みのさんのちょうど2倍の年齢で、まさに「演歌」が流行り始めた頃をリアルタイムで「横目で眺めていた」世代です! ただ、ガキンチョの頃には当然その「印象操作」された結果としての「日本人の伝統的な価値観」だかなんだかに触れただけで、動画内で紹介されている著書も割と昔から知っていて「いつか読めたら読んだ方がいいのだろうな…」と思いながら、多分30年以上スルーしてきてしまいました😓 …で、一つ思うのが、そうやって「印象操作の結果」として逸らされたり廃れたりした「演歌」に釣られて、結局本来的な?…と言えるものが果たして実在するか残存しているかどうかも怪しいけれど、そういうものがあったとして、それは一体どこへ行ってしまったのだろう?ということです。 「赤い鳥」の『竹田の子守唄』などは、そんなに極端に古くはないけれどおそらく昭和初期ぐらいに歌われていた「守子唄」を発掘された楽曲だというけれど、ネガティヴではあってもそのあたりかな、とか。 もちろん、専門的なジャンルとして純邦楽とか民謡とか浪曲、三曲、…いろいろ残されてはいますが、商業媒体としてはほとんど日の目を見ない、というのがここ40年近くずーっと引っかかったままでいることです。 長々失礼しました。
@kazuyukitomita891
@kazuyukitomita891 2 года назад
演歌歌手の衝撃的な裏事情。 ru-vid.com/video/%D0%B2%D0%B8%D0%B4%D0%B5%D0%BE-4xZBSOOzze0.html
@MN_yy
@MN_yy 3 года назад
とても面白かったです!ルーツにジャズやブルースがあるのはとても理解できました。江利チエミなど戦後ジャズを歌っていたミュージシャンが沢山いましたが、そういうことも関係していたりするのか気になります!
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
まず、美空ひばりに触れていないしね~昭和歌謡は語れない。江利チエミやペギー葉山も重要人物だと思います。戦前の淡谷のり子とかどういう位置付けなんだろうね。
@tkhsnm
@tkhsnm 3 года назад
最後の方、「水商売の場でのカラオケで勢いを取り戻した」ってところ。 今もなお年配の方はカラオケ→女性のいるお店で歌うものって意識は強くある気がする。その上で、製作側もそういった層にアプローチしたい気持ちがあるだろうから、「家父長制+魅力的な不倫」みたいな歌詞の内容になりがちな印象がある。 個人的にはそこをクリアしきれないから、どうにも演歌を積極的になれないなって思う。
@1or846
@1or846 3 года назад
最も売れたアルバムを出した宇多田ヒカル 18週連続オリコン1位を出した藤圭子 めちゃくちゃ凄い親子
@MrThe13825
@MrThe13825 3 года назад
藤圭子のファーストアルバムの19週連続1位を阻止して1位を奪ったのは、藤圭子のセカンドアルバムで、これもまた20週近く連続1位になってるから、40週ぐらい連続で藤圭子が1位を独占という、とんでもない記録
@user-un7tn7bz9i
@user-un7tn7bz9i 2 года назад
@@MrThe13825 なんかビートルズで似たようなこと聞いたことあるな… 藤圭子は日本のビートルズだったんか…
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
@@user-un7tn7bz9i 1964年4月4日付のビルボードチャートだよね。
@spikef7602
@spikef7602 3 года назад
70年代ごろまでは、アイドル、大衆ポップス、ムード歌謡、演歌をまとめて流行歌、歌謡曲と呼んで同じくくりだった。 いつからか ”演歌は日本の心” とか言われだし、 日本人はあんな恨みがましくないよって 誰だったか作家さんが嘆いてた。
@user-mh9nh3xk7j
@user-mh9nh3xk7j 3 года назад
淡谷のり子が着てはもらえぬセーターを編むのはバカなんじゃないの?って言った話を思い出した。関係ないか!
@48Thdf903IDF
@48Thdf903IDF 3 года назад
みのさんもはや実践研究系の学者だな
@DrPeat
@DrPeat 3 года назад
音楽的要素としては哀愁のあるラテン系のギターの音色も取り入れられて、エレジー的な要素も加味されたと思います。またマーケティング的には、時代劇のエンディングテーマとして使われたり、トラックの運転手さんたちや漁業関係者に受け入れられたり、歌いやすく作られていることも一因かと思われます。
@amaj7563
@amaj7563 3 года назад
オッペケペー節「うはべの飾りは好けれども政治の思想が欠乏だ」 現代の音楽ファン「しがらみを忘れたくてフェスに来てるんだから、ミュージシャンが政治的なこと歌うな」
@mamako0415
@mamako0415 3 года назад
とはいえ、今回のフジロックにも政治的左利き論客(ミュージシャンではありませんが…)のステージがありますよね。
@user-6tmduetm
@user-6tmduetm 2 года назад
@@mamako0415 日本四大フェスで考えた時にフジロックの左翼的な部分はかなり特殊だから、そこはまた別だと思う。
@tahi3314
@tahi3314 3 года назад
アタリティーンエイジライオットのTシャツ!?なんか意外!しかも演歌の回で笑
@featherdancing6396
@featherdancing6396 2 года назад
Fuji Keiko san had stayed on the 1st rank of Oricon chart for consecutive 18 weeks. She did that with 2 songs. 18 weeks is the longest that one artist recorded. The turning point (era) is from 7/30/1979 to 9/22/1980. For consecutive 61 weeks, "New Music" genre artists got the 1st rank in turns, including "Big City" by Chrystal King. Nowadays, most people listen to popular music on streaming. We can enjoy both newer and older songs at the same time. But if we want to study music, it is absolutely necessary to listen to music in chronological order, I think.
@tysm-iu5xd
@tysm-iu5xd 3 года назад
連投してすみません。 南米アンデスのフォルクローレも実は60年代くらいに誕生したジャンルで、伝統音楽ではないとペルー人に聞いたことがあります。 それ以前にあった伝統音楽要素は踏襲してるようですが、ちょっと演歌の歴史に近いものを感じました。
@kurotoonehayatukl1395
@kurotoonehayatukl1395 3 года назад
HISの「日本の人」は演歌含む歌謡ロック史上最高のアルバムです👍
@nanashino.gonbe-
@nanashino.gonbe- 2 года назад
パープルヘイズ音頭で草
@hanaogra
@hanaogra 3 года назад
(皆さんご存知の某番組で) マーティーが「演歌はメタルだよ~!」って(冗談交じりに)言ってて、 たしかに様式美の音楽だし、泣きのギターもある、サビで伸びやかに歌うボーカル… 通ずるモノはあるなと妙に納得したのと同時に、 改めて聞くと今の演歌って楽器の構成・リズム・スケール等けっこう西洋音楽を取り込んでるよな?って気づいたのを覚えてる
@user-ji7yx7hy7l
@user-ji7yx7hy7l 2 года назад
進駐軍の為に演奏していたジャズやブルースやハワイアンの歌手がその後"ムード歌謡"に区分けされそこから演歌へつながっていくみたいな流れだったと…
@ichizo666
@ichizo666 2 года назад
前川清さんは吉井和哉さんとの対談で「歌謡曲ではないですよね?」と聞かれて「クールファイブはロックバンドなんですよ」と答えていました
@user-vw3bq3sw2i
@user-vw3bq3sw2i 3 года назад
マーティーフリードマンが日本の歌メロは演歌に聴こえるって昔なんかで言ってた 藤圭子はあのルックスとドスの声 学生運動のアイドル 藤圭子が唄う美空ひばりが素敵
@user-or2tv4pg4c
@user-or2tv4pg4c 3 года назад
え、まじでこの分野紹介してくれたのは嬉しすぎる。しかもオッペケペー節が出たのも嬉しすぎる。このまま添田唖蝉坊の解説して欲しい。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
有名なオッペケペー節の音源が聴けたのはありがたいよね。
@pine-village
@pine-village 2 года назад
自分の記憶では、70年代半ばぐらいまでは演歌も含めて「歌謡曲」で一括りにされていて、ポップス系と演歌系の歌手のジャンル的な明確な区分けというのは曖昧だった気がします。 アイドルでも演歌寄りな人もいたし(石川さゆりなども初期はアイドル歌手だった)、小柳ルミ子あたりはポップスと演歌の中間的な立ち位置と言えるかもしれません。 衣装も70年代までは和服の人は少数で、女性の演歌歌手はたいていワンピースやドレスでしたが、80年代になってから「演歌」というジャンルがより明確にカテゴライズされるようになり、それまでよりも「より演歌的な」演出や曲調に偏っていきました。女性演歌歌手の和服化が進んだのもこのころですね。 しかし音楽消費層のメインターゲットである若年層にその演歌的な要素が敬遠されるようになったため、業界は年配者向けのマーケティングに振り切る必要があった。それがさらに演歌をガラパゴス化させる要因にもなり、世代が進むごとにファン層は薄くなり(それまでのファンであった高齢者は亡くなっていくため)今日の演歌衰退に繋がっているのではと感じてます。 自分はバブル世代で演歌は子供のころから歌番組で馴染みが深く、某演歌歌手のコンサートには欠かさず行くぐらいの大ファンでもあります。自分が携わっている音楽はジャズやフュージョンですが、ジャンルは全く違えど演歌の世界の人たちの音楽に対する姿勢、歌唱力や演奏技術の卓越性、ファンや関係者への礼儀作法など、他のジャンルとは一線を画したものがあると感じますし、歴史の浅いジャンルとはいえお手本にできる素晴らしい部分がたくさんあります。
@risa720
@risa720 3 года назад
みのさんと同世代です。 「演歌=祖父母世代が聴いている=日本の伝統的音楽」と疑問を持たずにずっと思っていました…。 二、三十年後には演歌は残ってるのかな
@user-gn8rs6ti1i
@user-gn8rs6ti1i 3 года назад
古賀メロディーと浪曲と講談、漁民民謡、津軽三味線、流し。色んなファクターが合わさって今に至る気がします。
@kingtalkingbluesch
@kingtalkingbluesch 3 года назад
青江美奈の伊勢佐木町ブルースなんてほぼジャズですもんね あと演歌をはじめとする歌謡はレキントギターとかフラメンコギターの影響などラテンの視点も結構濃いと思います
@user-qf2nu7sc3n
@user-qf2nu7sc3n 3 года назад
とっても面白くて興味深いお話でした
@fujihiro2346
@fujihiro2346 2 года назад
この本は文化史的な観点で演歌を考察してる好著だと思います。 音楽界には以前から、淡谷のりこ先生の「戦前には演歌なんて音楽はなかった」という証言や、すぎやまこういち氏の「演歌の起源は韓国のパソリ。ポップスこそ日本の心」という主張もありましたから、それを裏付ける意味でも、素晴らしい研究だと思います。 川上音二郎は確かに音楽家ではなく俳優。オッペケぺー節の元は、都都逸あたりだと思います。ロダンにモデルを依頼された妻、川上貞奴との欧州、米国公演の話は、大変興味深く、面白いエピソードが沢山あります。 個人的に演歌の衰退を感じたのが、森進一が作者の吉田拓郎を驚かせる演歌唱法で歌った「襟裳岬」の大ヒット。このニュー演歌路線はポップス史上の「大発明」だったと思います。 また、STYXの「ボートオンザリバー」は、英語圏ロックの演歌的なアプローチだったような気がします。
@user-my3hf8wg6z
@user-my3hf8wg6z 3 года назад
演歌の歴史かなり参考になります、、 そういえば、Måneskinが最近サブスクでかなりヒットしてるけど、みのさんの見解が知りたいです。 久々にロックバンドがサブスクの上位に来てるのも珍しいとおもうので、、
@mk-dm5er
@mk-dm5er 3 года назад
サザンの桑田が前川清のボーカルスタイルに強い影響を受けたと80年代頃よく発言してて、同時期に坂本龍一が前川清に曲を提供したりしてた。そういう感じ、と言って伝わるかどうか。。
@Kecoyan
@Kecoyan 3 года назад
演歌で思い出しましたが、70年代の深夜ラジオでは、午前1時~3時は若者向けの番組、3時~5時は長距離トラック運転手や水商売の人向けに演歌のヘビロテ番組という構成が多かったですね。
@loyola0309
@loyola0309 2 года назад
演歌は比較的新しい文化だったのね。 色んな音楽にチャレンジしてきたけど、なんか納得できる気がする。
@user-sn6oe9vu1q
@user-sn6oe9vu1q 3 года назад
素晴らしい動画でした。 昔テレビ番組で、演歌と非演歌の区分けを特集していました。「三百六十五歩のマーチ」は演歌だそうです。聞いたことない方は、一度聞いてみたら分かると思うんですが、皆さんの思ってる演歌のイメージとは全く違うと思います。 その番組で演歌の定義として紹介されてたのは、「演歌と思ったら演歌」とのことで、反応に困った記憶があります。 話変わりますが、演歌のルーツ、というか戦後の流行歌のルーツは、結構韓国(朝鮮)音楽からきてるものが多いです。怨みが込められた歌詞や旋律、かなり影響あるようです。 あと、昔のフォーク(中島みゆきとか海援隊の初期曲)を聴くと、実はめちゃくちゃド演歌っぽい曲だったりしますので聞いてみてください。
@user-hr7dl6sv9u
@user-hr7dl6sv9u 3 года назад
オッペケペー節マジで大好き 戦前って政治批判が少ないってイメージ強かったけど、これ聴いて爆笑した思い出
@user-or2tv4pg4c
@user-or2tv4pg4c 3 года назад
添田氏とかが有名です。彼の作品は当時の明治民衆の心を表現していると思います。おすすめです
@user-hi9mz1wc5z
@user-hi9mz1wc5z 3 года назад
僕が大学生の頃(90年代後半)、大手のCDショップでは「21世紀に残したい名盤コーナー」がありました。ある日、僕が立ち寄ったCDショップの名盤コーナーにてBOOWYの「Beat Emotion」の隣りに置かれていたのがここで登場する「オッペケペー節」!!。店員さんのセンスに戦慄した((((;゚Д゚)))))))
@guchin46
@guchin46 3 года назад
今の演歌ってジャンルとして区分けするために引っ張り出された単語で会って字幕スーパーにもあった「艶歌」が本来の姿だと思いました。よく、ギタリストのマーティー・フリードマンが「演歌はROCKだ」と言ってますけど、僕もその意見には賛成します。日本の純粋的な音楽って理論から言うと4,7抜きの音楽でわかりやすいところでは笑点のテーマは完全な4,7抜きの音楽です。美空ひばりさんの東京キッドって曲ですがあれを演歌という人が多いですが、東京キッドはジャズです。みのさん、ぜひ繰り返して東京キッドを聞いてみてください。あれは演歌じゃありません。美空ひばりさんを演歌歌手という人が多くいますが僕は美空ひばりさんを演歌歌手とは思っていません。あの人は流行歌歌手です。演歌ってジャンルが確立される前の歌手はみんな流行歌歌手です。舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦の御三家も流行歌歌手です。特に橋幸夫さんのリズム歌謡の名曲「メキシカンロック」は最高です。西郷輝彦さんの「星のフラメンコ」、舟木一夫さんの「高校三年生」も演歌とは思えません。完全にポップスです。渡辺まりの東京ドドンパ娘が日本の独特の3拍子を歌謡曲に取り入れて大ヒットし、リズム歌謡がブームになります。そこから「メキシカンロック」などのリズム歌謡が登場して、日本のポップスシーンがどんどん変わっていきます。60年代に入るとベンチャーズやビートルズの影響でエレキブームが巻き起こり、GSが誕生して日本独特のポップスが登場してくるのです。みのさん、ぜひ原曲を聞いてください。1度ではなく、何度でも聞いてください。絶対に発見があります。50年代の日本の音楽はぜ~んぶポップスです。これは素人の僕の解釈なのでプロの評論家さんがこのコメントを読めば「やっぱり素人解釈だね」って言われると思います。文脈もめちゃくちゃだし。でも、音楽への愛は誰にも負けません。これからもいろんな音楽を聴いて発見していく旅を続けます。
@murametal6426
@murametal6426 3 года назад
藤圭子さんがまだ2才くらいの宇多田ヒカルを「この子は天才なの」と見抜いてたって凄いですよね。二人とも
@user-lg2wl1hb2n
@user-lg2wl1hb2n 3 года назад
凄いエピソード。凄い親子。
@user-hl9gy9mf1b
@user-hl9gy9mf1b 3 года назад
宇多田ヒカルがそこそこの歳になった時に藤圭子が「うちのコは何年か後にはアメリカでデビューしてスターになるよ」とも言ってたんですよね そんな気配微塵もない頃に
@JIROTHEWARRIOR
@JIROTHEWARRIOR 2 года назад
1970年以前は「演歌」と呼ばず単に「歌謡曲」だったな。この件とは無関係ですが森進一の「影を慕いて」というアルバムは歴史に残る名盤です。当時22歳だった森が大人の悲哀を歌い上げている驚嘆すべき作品。作曲者の古賀政男がつきっきりでレコーディングしたそうです。おすすめですよん。
@legato9193
@legato9193 3 года назад
伝統的な歌唱というと長唄や小唄といった三味線芸能あたりになりますかね。あとは田植え歌とか木挽き唄とか
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
民謡は労働歌ですよね。アメリカ黒人のブルースも労働歌ですしね。
@iy871
@iy871 3 года назад
盆踊りの音頭とか○○節みたいなものを演歌歌手が歌ってるのも演歌を日本的なものと認識させる一因かもしれないです
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
「演歌=日本の心」は盆踊り起源かも知れないね。
@warahiro
@warahiro 3 года назад
すごく勉強になりました。 これは教養系RU-vidですね。
@user-wj5nt1fh8y
@user-wj5nt1fh8y 2 года назад
僕の元、上司が外タレのミュージシャンにサザンやユーミンと美空ひばりを聞かせて、どっちが心に響くか?と聞くと、100%、美空ひばりと答えたそうです。
@user-kh7iw6ce2b
@user-kh7iw6ce2b 3 года назад
1960年代に一世風靡した歌手のボーヤを経験、その後舞台演出家になった方と知り合いです。 その方が仰るには、戦後、一気にジャズやラテンが国内に入ってきて拡散され(ジャズは戦前からありましたが)、当時の流行歌は当然これらが基で、お年寄り=演歌という構図は大嘘だ、との事です。 むしろ演歌ってロックの影響の方が強い様に思います。
@user-se8kj8xx7v
@user-se8kj8xx7v 2 года назад
あと何の楽器で作ったのか、ってのも気になるなぁ 実のところピアノやギターを使いつつ和風の音階を「選んで」いたのかもしれんよね
@nanashino.gonbe-
@nanashino.gonbe- 3 года назад
ちょうど演歌にハマって勉強してたからまじでありがたい🙏
@imagiroh2546
@imagiroh2546 2 года назад
私もなぜか最近演歌聞いてます。Spotifyのおかげでいろんなジャンルの音楽を聴きこんで行けるのって嬉しいです。ええ時代になったもんです。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
昭和歌謡、昭和懐メロがブームになっているよね。結構タイムリーな話題かもしれないよね。
@AT-ri5wg
@AT-ri5wg 2 года назад
面白かったです。今度ぜひ美空ひばりの位置付けをお願いします。
@user-sr5ir9zr1r
@user-sr5ir9zr1r 2 года назад
ガキの頃、「ジジイの歌」と馬鹿にしていた北島三郎の『与作』を偶々ラジオで久しぶりに聴いて、「なんかソウルフルだな、今聴くといいな」と思い、ネットで調べてみたら、作詞・作曲はアメリカでジャズギタリストを目指していた日本人だった。 曲自体も北島三郎の為に作られたのではなくて、NHKの楽曲コンテスト番組に応募された中の一曲で、北島以外にも千昌夫、五木ひろしがレコード化しているらしい。一度も聴いた覚えがないけど…
@chockyinokinawa
@chockyinokinawa 2 года назад
えらい!みのさん! 今回のテーマは他の誰も語れない! 斬新で的を射ている。
@maruchan5259
@maruchan5259 3 года назад
子供の頃街のどこに行っても演歌、女の情念、未練、愛欲と浮気と別れ、 子供心にこんな「ドス暗い歌ばかりで大嫌いだ」と思ってました。 昭和ではこれが普通だった。話に出てる藤圭子も暗かった。
@youichi_songs
@youichi_songs 2 года назад
演歌のオケや歌い方がその当時の洋楽に似てるとこがあると言う謎がとけた
@mutsu-munemitsu
@mutsu-munemitsu 3 года назад
本当に毎回言ってるんだけど、この動画がタダで見れることが本当に凄い。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
オッペケペー節がタダで聴けるね。
@newneuron
@newneuron 3 года назад
演歌(演説歌)といえば明治~大正期に第一人者であった 添田唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)についても語って欲しかったです。 あと、昭和のムード歌謡と艶歌の関係についても。
@shiroishusuke7473
@shiroishusuke7473 2 года назад
大筋は合意だが、演説から藤圭子は飛びすぎ。古賀メロディに言及して欲しかった。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
古賀メロディと美空ひばりは最重要だよね。これに触れないと。。。
@GJ-ix8gy
@GJ-ix8gy 2 года назад
「懐メロ」というのもありましたね。当時でいう20年くらい前の流行歌。
@aaaaaaaaaa9865
@aaaaaaaaaa9865 3 года назад
じゃあ今演歌の大御所中の大御所になってる北島三郎は一体どこから来たんだ!? と思って調べてみたら、与作は1978年で藤圭子よりずっと後なんだね。 でもデビュー曲は1962年の流しの歌の詩を変えた『ブンガチャ節』という曲でルーツとちょっと関係してるし、 次のなみだ船は素人の自分でも想像つくような演歌なんだよなぁ…
@rigariga
@rigariga 2 года назад
戦後の芸者歌手取り上げて欲しい。めちゃくちゃいいぞ。
@sanook37
@sanook37 2 года назад
美空ひばりのデビュー当時は、日本人にとってはジャズ(欧米風流行歌?)みたいな認識だったと思います。全く演歌ではなかったですね。
@tetsu242
@tetsu242 3 года назад
最初の「オッペケペー節」は土取利行さんの歌と演奏ですね。
@user-zs1uj9jj7h
@user-zs1uj9jj7h 3 года назад
とても良い視点の話しをされてますね。
@hm-nn5zx
@hm-nn5zx 2 года назад
1956年生まれですので子供の頃にリアルタイムで北島三郎や都はるみや森進一、青江三奈、藤圭子達を聴いてきました。小学生ですからテレビやラジオから無意識に自然と耳に入って来てた訳ですが。思い起こしてみると小学生の頃は演歌とはあまり言われてなかったような気がしますね。流行歌や歌謡曲と一緒になってた様な。昔何処かで読んだ本には古賀政男が朝鮮から帰ってきて向こうの音楽をヒントに作ったと解説されてた気がしますので昭和30年代から発生したのでょうかね?昔の音楽番組ではGSも演歌も歌謡曲も一緒に出てました。70年代には確かに演歌と言われてましたね。面白い特集有難うございました。
@user-qf1rl8qc6q
@user-qf1rl8qc6q 2 года назад
演歌について、歌唱面だけでなく楽曲面を分析してみるのも面白いですね わたしの叔父はまさにあの時代にビクターでギタリストしていましたが、上京してプロになる前は地元のジャズビッグバンドのギタリストでした。 (ジャズ以外にもフラメンコギターから何から弾ける人でしたが) プロになってからは主に演歌歌手のレコーディングやTV・コンサートのバックバンドで演奏してましたが、個人名義でアルバムを出した際には映画音楽(洋画名画)のテーマ曲集を演奏していました。その中にはイタリア映画の曲も多かったです、古いイタリア映画のギター曲ってとても演歌ぽいです。
@takutubepalms
@takutubepalms 2 года назад
盆踊りの音頭の歴史もお願いします。
@user-ty5ll6kr4t
@user-ty5ll6kr4t 2 года назад
私は昭和21年生まれで、五木寛之が藤圭子の「夢は夜開く」について書いた新聞コラムをリアルタイムで読んだ。「応援歌や艶歌は嫌だ。怨歌が良い」と書いていた。1950年代、60年代にも演歌風の歌謡曲は存在した。私は聞いていたから知っている。しかし、いわゆる演歌風を押し出したのは作曲家の猪俣公章である。彼は森進一の先生で、藤圭子、前川清などの大ヒット曲も提供している。彼は日大芸術学部音楽科出身で正統な西洋音楽教育を受けているが、森進一にいわゆるど演歌風の歌謡曲を歌わせ、一挙に森も猪俣もスターになった。猪俣の曲にはR&Bを思わせるところがあったからこそ、大衆に受けたのだと思う。彼以前の作曲家には無い新しさがあった。
@user-vv7uq3gh6m
@user-vv7uq3gh6m Год назад
演歌がいちジャンルとして確立する時期にどういう社会現象があったか。 たとえば国鉄は「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンで 「(日本的な)ふるさと」を探しに行こう、みたいなイメージづくりをしていた時期ですね。 団塊の世代の若者が職と自由を求めて農村を出て、都会に大挙して流入する時期でもあったわけで。 「日本のふるさと」的なイメージが求められていた時代に、「日本的なもの」を作りこんだ演歌がウケた、と。 けれども、農村部の民謡や都市の浪曲をまんま継承した歌唱法ではなくて (当時の視点で)現代的なジャズやブルースの歌唱法を換骨奪胎させて日本風に仕立て上げたものが演歌だ、と。 言ってみれば、故郷としての農村部への(屈折した)思いと いま生活している都会のモードに馴染みながらもどこかしっくりこない感情とが作り出した音楽なのかもしれないな。
@jitsuwa-tetsuota
@jitsuwa-tetsuota 2 года назад
私は、1970年代の演歌=韓国歌謡曲と思ってました。 ガキの頃(もちろん1970年代)にたまたまテレビでやってた韓国の歌番組が、もろ演歌だったので、衝撃的にそれを覚えてます。 後々チョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」が流行りだし、演歌=韓国歌謡曲の考え方が正しかったとおもったけど、どうなのかな。
@user-fk4up1rj8m
@user-fk4up1rj8m Месяц назад
「釜山港へ帰れ」は演歌だけど「演歌=韓国歌謡曲」はタブー視されている気がする。
@laized1958
@laized1958 3 года назад
凄く面白かったです。 藤圭子が演歌そのものと言ってもいいのではと感じました。
@user-vk6vx5ri1p
@user-vk6vx5ri1p 3 года назад
青江→森 と来て藤圭子で最盛期を迎えた印象がある。 ポップスの代表にようなザ・ピーナッツが最後に演歌を取り入れたのも印象深い。
@jattzin
@jattzin 8 месяцев назад
しかしピーナッツのラストシングルはブギウギとジャズなんですよね。
@user-xs6kt9ef2b
@user-xs6kt9ef2b 3 года назад
確かに演歌でもオケがエレキギターなどの洋楽器を使ったりするものもあれば、聴き馴染みのないものを使っていたりしますね。 吉幾三は音をひずませてBPMを上げるとハードロックやメタルになるのではないかとも思います。
@ATSUSHITAKESHITA
@ATSUSHITAKESHITA 2 года назад
こんにちは。本当に音楽を楽しんでいてそして客観的に評論している事が素晴らしいと思います。今後の活躍に期待します。いつもありがとう!
@user-vw3bq3sw2i
@user-vw3bq3sw2i 3 года назад
マルシアが出てきたぐらいまでは子供でも演歌の一曲は口づさめたような記憶がある ZEPのアキレスのギターソロなんてこぶしがきいてて演歌を感じずにはいられない
@arin-rin
@arin-rin 3 года назад
昔から連綿と続いてるだろう演歌をもっと聴いてみようと思ってた矢先にこの動画。これも踏まえて聴いてみよ。
@nab9108
@nab9108 3 года назад
叔父(当時80歳)が演歌からJポップ的なものまでを含めて「歌謡曲」と称していたの、思い出しました。
@nasu_no_suage
@nasu_no_suage 2 года назад
11:48 前川清さんは九州でやってる前川清のタビ好キってローカル番組でもよく 「演歌は嫌い。商売で歌ってるだけ」とか「ホントはオールディーズみたいなのやりたかった」みたいなことよく言ってますね。 番組で流れてるBGMもご本人が歌われてるJazzだったりOldiesのカバーなんですよね
@pleocene1
@pleocene1 10 месяцев назад
演歌の推移を研究するには、紅白歌合戦に出場した歌手及び歌われた歌を解析すると何かつかめるものがあるかもしれませんね。
@aube-purple
@aube-purple 3 года назад
演歌は謡曲や民謡をルーツとしていると思っていたけど、ジャズやブルースなど洋楽の要素が入っていることや、勉強になりました。 ちなみに藤圭子と前川清は結婚していたことがあるんですね。
@user-sj3ci9ee4z
@user-sj3ci9ee4z 3 года назад
演歌の認識だいぶ変わったけど 逆にホンットに伝統的な日本音楽ってなんなんだろうって知りたくなった
@user-cr8ng8ux2o
@user-cr8ng8ux2o Год назад
庶民の音楽としてはそれこそわらべ歌とか日本各地の伝統的な民謡(ソーラン節など)になるんでしょうか。
Далее
We will see who will do it better 😂
00:14
Просмотров 4 млн
歴代で一番売れたシングルが意外すぎた
11:44
Каха бизнес-класс
0:48
Просмотров 2,5 млн