1973年に「なぜ、植物図鑑か」の最後は次の言葉で締めくくられる。この言葉から中平卓馬の新たなそして長い長い苦しみと試行錯誤が始まるのだった。
「いずれにせよ植物図鑑を通して、私は私の仕事を再び開始しようと思う。私は白日の下 の事物をカラー写真によって捉え、植物図鑑に収めてゆこうとしているのだ。それはどう してもカラー写真でなければならない。なぜなら、すでに書いたモノクロームの暗室作業にはあった〈手の痕跡〉を私はきれいさっぱり捨てようと思うからだ。そしてこの手こそ 芸術を成り立たせてきたものなのだ。手、それは自己の中の他者である。だがそれにもか かわらず手はやはり自己である。手によって操作され、操作されたもの、それはやはり手の延長線上にある。世界は手によって操られる。それをきっぱりと断ち切るところに私の 植物図鑑は成立する。カラー写真はその意味でもう彼岸のものなのである。
一度シャッターを切ること、それですべては終わる」
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27 июн 2024