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No.341_城跡巡り 長島城址(三重県桑名市) 

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2022年6月5日(日) 訪城
長島城(ながしまじょう)
 所 在:三重県桑名市長島町西外面2188
35.0921765, 136.6981301
 駐車場:やすらぎパーク駐車場(無料)
35.0911512, 136.7024152
 ●長島城は、文明年間(1469〜87)に伊勢国安濃郡の長野氏一族と伝えられる伊藤重晴が長島を治め築城したと言われています。
 その後、長島北部の杉江にあった願証寺が浄土真宗の一大拠点となると、伊藤氏は滅ぼされ、長島城も願証寺の支配下に入りました。そのため、長島一向一揆の時には織田信長の攻撃を受け、天正2年(1574)に包囲され敗れます。
 江戸時代に入ると、菅沼氏・松平氏が藩主となりましたが、増山正弥が元禄15年(1702)に長島二万石の藩主になると明治維新まで増山家が続きました。
 城の建物は残っていませんが、大手門の一部が蓮生寺の山門として使われているほか、本丸の南西隅にあった樹齢三百年以上のクロマツが今でも城跡の名残として、その威容を誇っています。
(現地案内板より)
●長島の中洲は七つの島からなっていたといわれ、長島城は、木曾・長良・揖斐の木曽三川に囲まれ、東は伊勢湾に面する中洲の中央に位置し、防衛上の要害であった。また、尾張・美濃とも接しており、舟の便も良く交通上の要衝でもあった。
 長島城は、明治5年の廃城後、同9年の伊勢暴動で大書院をはじめ主要建物が焼失し、堀も徐々に埋められたようである。
 城跡は長島中学校・長島中部小学校の校地となり、遺構はとどめないが、建物のうち奥書院の居間が深行寺本堂に、大手門は蓮生寺表門に移築され、現存している。
(日本城郭大系10より)

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17 сен 2024

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