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【公式】白駒妃登美『歴史を学ぶと希望が生まれる』
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【歴史エッセイスト・『天命追求型Ⓡの生き方』提唱者】 白駒妃登美(しらこまひとみ)

当チャンネルにご訪問くださり、ありがとうございます。

私は40代で大病を患い、医師から助からないと言われ、時を同じくして、出版社の方から歴史の本の執筆のお誘いをいただきました。

死を覚悟した私は子どもたちへの遺言のつもりで本を書こう、と決めました。

先人たちの生き方を丁寧に紐解くなかで、素晴らしい気づきを得ました。

●かつての日本の先人たちが「未来も過去も手放して、今、ここに全身全霊で生きてきた」こと

●「天命に運ばれるように人生を切り拓いてきた」こと、です

私も、そういう生き方をしよう!

そう決意すると、未来への不安や過去の後悔が消え、希望が溢れ、ぐっすり眠れるようになりました。

そして、肺に転移していた複数の癌がすべて消えてくれて、12年経った今も元気に生かされています。

その時の気づきを講演や執筆でお伝えしています。

日本人って、どんな風に生きてきたの?

日本人にふさわしい夢の叶え方ってどうするの?

日本という国は、どのようなことを大切に継承してきたの?

そのような疑問にお答えしながら、歴史のなかにある感動や希望をお届けします♪

【お問合せ】
(株)ことほぎ info@kotohogi2672.com
Комментарии
@user-dl7sz7ns5l
@user-dl7sz7ns5l 15 часов назад
源氏物語登場の朱雀帝、冷泉帝については、「人物は架空」だが、その「名前」は実在した。当時の「院(天皇)」については、天皇退位後の住居(後院)の名前をもって呼称するのが普通で、読者も「あくまでお住まいの名前であり、院(天皇)個人の名前ではない」と認識し、架空の人物としても違和感がなかったのではないだろうか。当時、「朱雀院」「冷泉院」というお住まいが実際にあり、その「場所」に住まわれる院(天皇)はイメージしやすかったのではと推測する。 現代でも、例えば、自分の会社の社長を話題にするときに、名前で呼ばずに自宅のある場所(地名)で呼んだり、あるいはオフィスのフロア(〇階)で呼んだりすることがよくあり、その辺は面白いと思う。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 12 часов назад
なるほど❗ 朱雀院は、天皇の名前としては存在しないけれど、場所は実在するのですね😊 教えてくださり、有難うございます💞
@user-gk5bg4jg8r
@user-gk5bg4jg8r 17 часов назад
光源氏猫ハンティング説。なるほど。自分が手に届かなそうで届きそうな獲物を狙うのは、今の男性にも通じますね。 六条の御息所はあまり親近感がなかったのですが、お話を伺い彼女は悪くない、哀れな女性だと見方が変わりました。 これは夫の説なのですが、歌謡曲の「男性逃亡曲説」。別れた時に、君を愛している、だけど今は旅だたなくてはいけないんだ、わかってくれ、と言う男性に都合の良い歌詞が多い説です。 平安時代も現代も男性のハンティング体質の子どもっぽさ、別れは自分に都合の良い言い訳しつつ、一見相手に想っている風に伝えるのは、同じですね。 そんな、男性の本質を文学に昇華した紫式部は、男性社会でよく書いたと思います。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 12 часов назад
男性逃亡曲説…❗ すごい、そういう見方ができるのですね✨✨ 男も女も、千年経っても本質は変わっていないということなのかもしれませんね😅
@youyutub
@youyutub 20 часов назад
光る君への時代考証の方が藤原道長のイメージは【『大鏡』や『今昔物語集』のイメージからきています。ただ、『大鏡』や『今昔物語集』のほとんどは史実ではありません】 とXでポストしていました
@sachiekamba3331
@sachiekamba3331 20 часов назад
「冷泉帝」の名前については気になっていました。なぜ実在の名前を?と。。。当時からしてタブーだったからこそタブーの存在に敢えて使ったのでしょうか、紫式部エグい😅 紫の上が聖母みたい、は私も感じていたのでなんだか嬉しかったです😊
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 12 часов назад
わぁ、紫の上の中に聖母を感じていらしたなんて、素晴らしいですね✨✨ 私は彼女の悲しみばかりにフォーカスしてました💦
@youyutub
@youyutub 20 часов назад
紫の上と詮子さまの最期が似てるなーと思ってましたが、光源氏の罪を紫の上が祓うというのでやっぱり道長と仲の良い詮子さまだと思いました。 紫の上といえば「石間の水」が有名ですが、宣孝が紫式部に送った和歌にも「石間の水」が使われていて、紫の上は詮子さまや紫式部などが光源氏の罪を祓ってくれたのだと思います。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 12 часов назад
なるほど✨✨ 光源氏のモデルが道長だとすれぱ、紫の上の代わりを務められる人間は、確かに詮子ということになりますね✨✨ ある意味、夫婦や親子以上に固い絆で結ばれた二人ですもんね😊
@user-gi8zb3mi8g
@user-gi8zb3mi8g 22 часа назад
分かりやすく詳しい解説、ありがとうございます。 時々、さつまいもを蒸して食べていましたが伝来のいきさつの勉強になり、ますます美味しく感じています。😊
@user-zc8qw5yh3z
@user-zc8qw5yh3z День назад
楽しく視聴しました!反骨精神〜冷泉帝の件、少女〜御法の件、あぁ、そうだ、、、と震えました‼️どうもありがとうございます♪♪
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 12 часов назад
ですよね✨✨ 私も紫の上の人生をどう受け止めたらいいか、心から納得できる内容で、希望がわいてきました💗
@user-kb2pj1rl5j
@user-kb2pj1rl5j День назад
じっくり源氏物語のお話が聞けて、とても楽しかったです! 紫の上は、藤壺の出家以降は源氏の君のナンバーワンになってると思ってました! 須磨に下ってから恋しく思うのは紫の上だし、藤壺が亡くなった後の源氏の嘆きも切ないですが、やはり紫の上を亡くした時の比ではないので。 髭黒の大将は東宮の母の兄で、次の代の外戚に当たり、また式部卿の宮の娘を北の方にしてたので、光源氏や頭中将とは距離があった。それが玉鬘の婿になって、式部卿一派から頭中将派閥に寝返ってくるわけで、事前に頭中将の内諾を得にきたとき、願ってもないことだったのでは。光源氏は、この時一瞬、髭黒と頭中将の連合から蚊帳の外に置かれるが、玉鬘が光源氏を実の親以上に思っていたので、結局髭黒は、光源氏と頭中将の両方の婿として仕えることに…、というような流れかと。結局、玉鬘に恋文を贈る🟰源氏の君の婿になりたいアピールという、政治の話なのではないでしょうか。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 12 часов назад
とても深い洞察を有難うございます✨ 紫の上は、確かに源氏にとってNo.1だったけれど、オンリーワンになれなかった、源氏がそのことに気づいた時にはすでに遅かったというのが、つらいところですよね💧💧💧 玉鬘をめぐるお話も、純粋な恋愛と政治の両面から描いているところが、紫式部のスゴさたと思います😊 こうして語り合える作品を歴史の中に持てたこと、本当に幸せですね🍀
@user-iv2uf2yk3g
@user-iv2uf2yk3g День назад
『光る君へ』を毎週楽しみにしているうちに、昔昔読んだ『あさきゆめみし』が読みたくなって、押し入れの奥から引っ張り出して読み始めています。古典の授業でしか原文に触れていなくてダメだなぁと思っていたので、今回のお話で漫画でもいいですよって言って頂けてとても嬉しいです。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 13 часов назад
コメント嬉しいです✨✨ あさきゆめみしは、とても原作に忠実ですし、あの美しい絵の魅力は、原作に勝るとも劣らないですもんね❗ 私もまた読みたくなってきました😆
@KS1962Panzer
@KS1962Panzer 2 дня назад
いつもためになる解説、ありがとうございます😊 和泉式部、衝撃的な登場でしたね。 まひろも含めて、役者が揃って来たなって感じで大河後半もワクワクが止まりません😍 天の川のお話、興味深く伺いました。かささぎが橋を渡すなんて。 私は大阪府枚方市在住なのですが、枚方市には天之川という川があっていちばん下流に架かる橋がかささぎ橋というのです。 かささぎ橋の由来を知ることができて嬉しいです。て言うか、ぼーっと生きてました(笑)。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 2 дня назад
とっても嬉しいコメント、有難うございます✨✨ 私の親しい友人も枚方に住んでいます😊 天之川やかささぎ橋が、枚方にあるのですね💗 素敵なめぐりあわせですね✨✨ 大河後半も、ご一緒に楽しんでまいりましょう😊
@user-gi8mv6zr3p
@user-gi8mv6zr3p 4 дня назад
女の人うるさいが?
@konohanasakuyahime
@konohanasakuyahime 5 дней назад
ドラマが3倍たのしめそうです。貴重なお話ありがとうございました。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 3 дня назад
わぁ💞 嬉しいコメント有難うございます✨✨ いただいたコメントを励みに、頑張ります😍
@user-hd7hq3ug7e
@user-hd7hq3ug7e 5 дней назад
四つのトマトのお話がとてもわかりやすかったです。 ありのままを認めることで、 バランスのいい味になるんですね‼︎ 無責任に褒めるのではなく相手のことを思いやってコミニケーションを取るようにしたいと思いました。 ありがとうございました。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 5 дней назад
わぁ💞 嬉しいコメント有難うございます✨✨ そうなんです、褒める子育てがもてはやされていますが、むやみに褒めればいいというものでもないんですよね😊 育てるのが人間なら、なおさらのことですよね😆😆
@user-gk5bg4jg8r
@user-gk5bg4jg8r 6 дней назад
友だちから聞いた話です。スポーツの試合の前に①頑張って練習したね。でももっと頑張れ②頑張って練習したね。大丈夫明日は実力が出せるよ。②の言葉がけの方が実力が発揮出来るそうです。賢子にもたねの時のように小さな褒めどころがあれば褒めてあげられたらと切ない気持ちになりました。私も決して子育て成功した方ではないので、まひろにも共感します。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 6 дней назад
あー、わかる気がします😊 うちの息子は野球の試合や試験の時にも緊張しないと言っています。 みんなが緊張するのは、実力以上のものを出そうとするから。 自分は実力しか出せないと思っているから、緊張ひないの言うんですね。 ちょっとした想いや言葉の違いで、人生が変わりますね😊
@MiyuI-qo9zx
@MiyuI-qo9zx 7 дней назад
もしも帝が道長でなく伊周を選んでいたらどうなっていたのでしょうか?
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 5 дней назад
うわぁ、それ、考えたことあります! 伊周の実力って、正直よくわからないですもんね😅 教養は身についていたのでしょうが、胆力や耐性は無いと思うので、伊周が政を行うのは、やっぱり難しかったと思いますね😓
@user-cy4qe8zr8r
@user-cy4qe8zr8r 7 дней назад
一条帝クズ過ぎますが、姉妹は似てるから仕方ないかもなあ、帝も人の子、😮
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 7 дней назад
そこまで定子を深く愛していたということだと思いますよ😊
@Mike-tl5ze
@Mike-tl5ze 6 дней назад
現実の一条帝は、定子を愛するあまり政をないがしろにするような事はなかったと思います。平安時代の賢帝の1人に数えられているのですから。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 5 дней назад
​@@Mike-tl5zeさん、そうなんですよ❗ 『光る君へ』では、道長を100%素晴らしい人物として描くために、一条帝が、政をおろそかにしたかのように描かれて、私はそこに不満が残ります! 実際は、定子を深く愛しつつ、民を想い、政にも誠実に向き合った、平安朝屈指の帝だったと思います❗
@user-cy4qe8zr8r
@user-cy4qe8zr8r 5 дней назад
@@user-ni9eq4id3u さま、愛ちゃんの方がかわいそうで判官贔屓かなあ、
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 5 дней назад
​@@user-cy4qe8zr8rさん♬ 愛ちゃんとは、どなたのことでしょう😊?
@user-cy4qe8zr8r
@user-cy4qe8zr8r 7 дней назад
初夏初夏さんが嫌い😠になってきた時にリカちゃん登場、静マジック、おぬしもワルよのう。たまらーん、❤駒さんの素敵な声で過激なコメントもたまらーん、❤兄弟も早死とは?まさか?愛されすぎ😅たまらーん、❤
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 7 дней назад
確かに中関白家は、道隆をはじめ若くして亡くなった方が多いですね💧 歴史は長生きした者勝ちという面がありますよね😅
@user-tr4hq5bo8t
@user-tr4hq5bo8t 7 дней назад
こんにちは、源氏物語の前に何か物語を書いていたんですか?現在も残っていたら読みたいですね、でも賢子が燃やしてしまったから無理かな?
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 7 дней назад
賢子が燃やしたというのはフィクションですが(笑)、趣味の延長で書いた物語が評判を呼び、源氏物語の執筆に繋がったというのが、多くの研究者の考察です。 源氏物語54帖の中には、短編として完成されているものもあるので、それらを書いていたと主張している研究者もいらっしゃいます😊
@tamtam258
@tamtam258 7 дней назад
内容のとても濃い解説ありがとうございます。 今も昔も愛が人の原動力なのですね……恋愛、親子愛、自己愛・・・いずれにしても、なかなか思い通りにはいかないものですよね😅
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 7 дней назад
そうですね! なかなか相手に気持ちは伝わりませんが、伝える努力をすること、とても大切ですね💞 そして全ては愛から始まっていると信じたいです😊
@user-rt7yw8tc2r
@user-rt7yw8tc2r 7 дней назад
作中の和泉式部を見て、 ふと思い出した人物がいます。 それは、建安文学の中心人物である 曹植子建(三国時代)です。 思いつくままを詩に詠む、 その詩を諳んじれば、 その情景がみずみずしく目に浮かぶ まさに詩的センスを人にした存在。 酒に溺れ、私生活も不遇な点は、 詩人として必要不可欠な要素なのかも? と感じざるを得ません。 詩聖と評された曹植と似た雰囲気を持つ 和泉式部が「光る君へ」にて、 どの様な彩を与えてくれるのかを 楽しみにしています。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 7 дней назад
古代中国にも、和泉式部に似た詩人がいたのですね✨✨ 素敵な情報を教えてくださり、有難うございます💞 詩人は、私生活で苦労した方も多いですが、きっちり仕事をして現実に対応しながら素晴らしい作品を残した人もいらっしゃり、多様性を感じます😊
@user-rt7yw8tc2r
@user-rt7yw8tc2r 7 дней назад
@@user-ni9eq4id3u 唐代の杜甫、李白や作中で取り上げられた 白居易達が出てくるまでの約500年間は、 曹植が最上の詩人とされていました。 洛神賦の女神に対する描写では、 その美しさが事細やかに表現されており、 ありありと美しい姿が浮かんできます。 和泉式部の和歌も情景をイメージしやすく、 着想の仕方に似た雰囲気を感じます。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 6 дней назад
​@@user-rt7yw8tc2rさん💞 わぁ、空白の500年間を埋める、素晴らしい詩人なのですね✨✨ 憧れます😍
@user-gu2ku7wf7r
@user-gu2ku7wf7r 7 дней назад
紫式部、清少納言、和泉式部、赤染衛門といった平安時代の知の巨人ともいえる女性達は日本人の誇りです。 もちろん後に従三位まで大出世を遂げる式部の娘賢子(大弐三位)もその一人でしょう。大きくなった賢子を どのように描くのかも楽しみの一つです。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 7 дней назад
コメント有難うございます✨ 激しくうなずきながら拝読しました😊 賢子の成長にも、期待がふくらみますね😊
@user-rt7yw8tc2r
@user-rt7yw8tc2r 7 дней назад
作中で道長の子とした賢子と 実際に子である頼通の対比が とても面白かったです。 勉強嫌いであった道長が 為時から褒められる頼通を見て、 笑いながら「私の子と思えんなぁ?」 と嘯いていました。 内心とても嬉しく思ってる様子。 対して、賢子はあまり勉強には 身が入らず、母とのコミュニケーションを 求めている様子でした。 これは推測ですが、 忙しい兼家の五男であった道長は、 父とのコミュニケーション不足を 感じていたのかもしれません。 幼少期の道長もこんな感じだったのかな? と思わせる描写でした。 次回、道長は初めて会う事になる 賢子とどの様にコミュニケーションを とるのか、注目しています。 道長は賢子に対して、 自身の子と思って接するか、 他人の子として接するのか。 待ち遠しいところです。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 7 дней назад
とっても素敵な考察を有難うございます✨✨ 頼通は、親の愛をしっかりと感じていたから、勉強にも身に入るんでしょうね😊 確かに賢子は、道長の血を引いているなぁと思わせる、場面でしたね😅
@srv7464
@srv7464 8 дней назад
『定説の検証・江戸無血開城の真実』水野靖夫著(星雲社)の研究結果が正解であると私は考えています。山岡鉄舟の談判によって西郷南洲を説得したのだと。
@sachiekamba3331
@sachiekamba3331 8 дней назад
次回予告で一番テンションが上がった人、さすがに今回は多かったんじゃ無いでしょうか?そして次週はお休みにがっくり来た人も😁 本編だっていろいろなモチーフや隠れ○○で一瞬も目が離せないのですが・・・ 今回はなんと言っても和泉式部の登場が印象的ですね。生絹をこんな形で見せてくれて嬉しい限りですし、代筆エピソードをまひろとの語らいに持ってきたのも良いなと思いました😊 カササギのお話についても解説ありがとうございました。一瞬、「今どきのLGBT?」と思ったのですが、良く考えたら「とりかへばや物語」ぽかったですね。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 8 дней назад
嬉しいコメント有難うございます✨ とりかえばや物語…確かに、その要素がありますね✨✨ 本当に古典はおもしろいですね😊
@user-gk5bg4jg8r
@user-gk5bg4jg8r 6 дней назад
あ、とりかへばや?とピンと来ました。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 6 дней назад
​@@user-gk5bg4jg8rさん💞 さすかです✨✨
@takeshiyamamoto9047
@takeshiyamamoto9047 8 дней назад
いつも、感心、納得で拝見してます。今回のコメントも充実しています。 ところで、安倍晴明の雨乞いも、晩年の功績とされていることから、コメントが欲しかったです。多分、晴明については、もう一場面あるのかなと期待してます。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 8 дней назад
そうなんです! 今回は晴明と為時についても、もう少し話をしたかったのですが、あまりに動画が長くなってしまうので、次のチャンスにぜひ…と思っています💦 今回はご期待に添えなくて、ごめんなさい🙏
@user-dl7sz7ns5l
@user-dl7sz7ns5l 8 дней назад
為時が頼通に「呉越同舟」を教えていた場面がありました。道長も倫子も「あまり勉強好きではない」のに、頼通が「勉強好き」に見えたのはとても意外で、おそらく多くの子ども(花山天皇など)を教えてきた為時がもはや「名教師」の域に達したからかな、と思いました。まひろが賢子を教えるのに苦しんでいるのと好対照です。 もうひとつは、為時が「呉越同舟」を教えた理由は何か、です。為時は、頼通の祖父兼家に仕えた時、兼家の「敵愾心」「権力欲」に悩まされ、官職も失いました。だからこそ、まずその孫に「呉越同舟」を教えたかったのではないでしょうか。 まひろが、この後、彰子を教えるようになると予想しますが、その時には賢子を教えることで学んだことが生かされるのではないでしょうか。何事も経験、ということだと思われます。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 8 дней назад
「呉越同舟」に対する深い解説、とても勉強になります! 素敵なコメントを有難うございます✨✨ 為時やまひろが素晴らしい教育者となっていく背景に想いを馳せると、さらに一つ一つの場面が心にしみますね💗
@HansSchmidt2006
@HansSchmidt2006 8 дней назад
解説有難うございました。和泉式部日記は情熱的ですね。男性の私の目線からするとどうしてこれほど恋に夢中になれるのだろうと思わなくもないのですが、源氏物語の中にも和泉式部のような登場人物が沢山いるのではないかと思いますし、そのモデルだと思うと面白いですね。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 8 дней назад
私は和泉式部のように全身全霊で誰かを愛したことがないので、むしろ憧れます😍 とっても可愛い女性だと思います😊 『源氏物語』の女君の中では、朧月夜のイメージが重なりますね✨✨
@user-ru9rp8hv4g
@user-ru9rp8hv4g 8 дней назад
和泉式部=色気虫
@user-ru9rp8hv4g
@user-ru9rp8hv4g 8 дней назад
私は和泉式部の恋愛ドラマは面白いが、ただの色気虫で、男遊びが過ぎて、後年は暮らしに困っています。
@user-ru9rp8hv4g
@user-ru9rp8hv4g 8 дней назад
男に信用がないことも、後年生活に困るんだと思う。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 8 дней назад
和泉式部は一つ一つの恋愛は、どれも真剣だったと思いますよ😊 惚れっぽい女性だったんでしょうね! いいとか悪いとか、批評する問題ではないような気がします。
@user-ru9rp8hv4g
@user-ru9rp8hv4g 8 дней назад
色気虫の和泉式部をだすなら彰子を敵とする脩子内親王も出して下さい。道長がなんでも良い人間にしたいそうだが、だったら脩子内親王に虐められ、同情票をあつめたら良いと思う。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 8 дней назад
脩子内親王の登場を、私も待ち望んでいます😍 一条帝が脩子内親王に注いだ深い愛情を、ぜひ映像化してほしいです🍀
@einheldenleben
@einheldenleben 8 дней назад
これまでドラマの中では鑑賞にあたり漢籍の素養や本歌取りの知識が求められる歌がいくつも取り上げられて来ました。 白駒先生の動画を拝見して、和泉式部の歌は鑑賞者の教養の有無を問わない、正に「どストレート」な表現であることが分かりました。 和泉式部を評した紫式部の視点が少し理解できたような気もしました☺︎
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 8 дней назад
素敵なコメント有難うございます✨ おっしゃる通り、和泉式部の歌は自身の心をストレートに詠んでいて、読者の共感を呼びますよね😍 確かに古歌の知識などはあまり用いていませんが、素晴らしい表現力は、確かな技量に支えられていると思います✨
@user-nn6kx9km9c
@user-nn6kx9km9c 8 дней назад
白駒先生、紫の衣装、素敵です。 清少納言の次に和泉式部を登場させたの、上手い演出だと思いました。相反する女流作家の個性を感じながら、紫式部は自分らしい作品を描きたいと思ったことでしょう。 彼氏が元カノに送る歌を代作するなんて、和泉式部やるなあ。 和泉式部が思いのままを即座に歌にしてしまう才能を、紫式部はちょっぴり妬んでいたんじゃないでしょうか?
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 8 дней назад
衣装を褒めていただき、とても嬉しいです😍 おっしゃる通り、和泉式部の登場のタイミングも絶妙ですし、まひろとあらゆる面で対照的な様子も印象に残りましたね😊 平安の才女たち、お互いをどう思っていたんでしょうね? それぞれが個性を輝かせていて、平安朝への憧れが募ります💗
@MiyuI-qo9zx
@MiyuI-qo9zx 8 дней назад
和泉式部をサイドストーリーのように詳しくドラマのなかで描いてくれると嬉しいですね。 道長が浮かれ女と言ったシーンが見られたら面白いと思います。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 8 дней назад
道長は、ある人が持っていた扇子が和泉式部のものだと知り、その扇子に「浮かれ女の扇」と書いたそうです。 その横に式部が書いた返事が、「越えもせむ越さずもあらむ逢坂の関守ならぬ人なとがめそ」でした。 これ、ぜひドラマに盛り込んでほしいですね😍
@MiyuI-qo9zx
@MiyuI-qo9zx 7 дней назад
​​​@@user-ni9eq4id3u 返信ありがとうございます✨ 扇子に書いたとは知りませんでした。口で言うよりも余程 面白いですね。 道長は茶目っ気を出して面白がって書いたような気がします。 ちゃんと返歌が書かれて良かったですよね。和泉式部は平安版歌姫とかシンガーソングライターかなと思います。😊
@user-rc7no8jr7w
@user-rc7no8jr7w 10 дней назад
敦康親王は伊周に似て面倒な人柄ですから、扱いを賢い彰子に委ねて良かった良かった!
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 10 дней назад
媄子内親王は幼くして亡くなってしまったので、詳細はわかりませんが、脩子内親王と敦康親王は、ともに聡明で素晴らしかったと、私は聞いています。 伊周に似ているという話は初耳です。 情報の出処を教えてください!
@user-rc7no8jr7w
@user-rc7no8jr7w 9 дней назад
​​​@@user-ni9eq4id3u生年月日から読み解いています。定子隆家敦康親王は父親の道隆に似ています。脩子内親王は一条天皇に似てますが、よりいっそう優秀で跡取に相応しいが内向的な人なので同じく内向的な酒好き道隆の跡取に相応しいです。伊周と敦康親王は脩子内親王から見て心配になる存在だったと思います。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 9 дней назад
​@@user-rc7no8jr7wさん、生年月日から読み解いていらっしゃるんですね! とても興味深いです。 宿命って、その人の人生の3割ぐらいを握っていると思うので…😊
@KS1962Panzer
@KS1962Panzer 11 дней назад
今回も素敵な解説ありがとうございます。 もう何回も何回も聞き直しました。 まず、「母として」のタイトルがいいですよね。まひろをはじめとして、登場する母たちの悲喜こもごも、思い入れも対比して描かれていました。そして、敦康親王様が中宮彰子様に駆け寄るシーンは、母ではないが彰子様が、まさに母のように接しておられるお姿は、中宮になってからは、一人ぼっちでお寂しかったのだろうなと思いました。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 11 дней назад
嬉しいコメント、有難うございます✨ 道長にはさまざまな思惑があって、敦康親王を彰子の手元で養育することを決めたのだと思いますが、彰子の敦康親王に対する情愛は本物だったと思います😍 権謀術数が渦巻く平安朝にあって、心が和みますね💗
@test-bq6hp
@test-bq6hp 12 дней назад
ドイツ旅行中です。たまにはきれいな日本語に触れたいという思いと、古典への興味から先生のユーチューブを見つけ、直近から遡っていくうちについに第1回まで見てしまいました。今後は1週間待たないといけないと思うと、待ち遠しいです。
@test-bq6hp
@test-bq6hp 12 дней назад
まさに、The pen is mightier than the sword.ですね。先生の解説を聞き、帰国したらすぐにこの回の録画を見てみたいと思いました。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 11 дней назад
わぁ、嬉しいコメント、有難うございます✨✨ まさにペンの力ならぬ筆の力を思い知らされた放送回でした❗ 闘い方って、いろいろあるんですよね😊 私も粋に美しく闘っていきます😆😆
@user-os6yh5zz9v
@user-os6yh5zz9v 12 дней назад
紫式部と清少納言の二人が、直接に会っていたということは、実際には、ほぼ無いと思われますが、ドラマの中で、ああして二人が顔を付き合わせて、議論を交わす様や、それぞれが主張した内容は、各々の記した作品が宮中に、社会にどのように浸透(或いは侵入?、浸食?)していったのかを想像させて呉れて、興味深いです。直接の邂逅は無くとも、二人が、お互いの作品を読み、刺激し合っていたであろうことは、あの二人の性格ならば、ほぼ確実と確信出来ますね。 清少納言が中宮定子の闇の部分を描かないのと同様に、脚本の大石さんが道長の闇を描かないのだという指摘には、成る程と思いました。清少納言に、本当に道長を追い詰めようという意図があったかどうかは不明ですが、現実に道長は煙たがったでしょうし、その一方で、『枕草子』に救われもしたのではないでしょうか。 中宮定子の御霊(みたま)は、何の鎮魂作用もなければ、怨霊中の大怨霊になっても不思議ではない条件が揃い過ぎています。そして祟られる筆頭は道長。一条天皇が、懐かしの名作ビデオよろしく何度も『枕草子』に目を通して懐かしんだ一方で、道長は聖書かお経にでもすがるように、こっそりと『枕草子』を拝読し、輝かしい定子様に手を合わせていたのかもしれません。 伊周への献上の際には「宮にはじめて参りたる頃」(⇒伊周が格好良く登場する場面)の段を、紫式部への贈答の際には「雪のいと高う降りたるを」(⇒漢詩の見識を盛り込んだ場面)の段を、それぞれ巻頭に置いて、贈られる相手にさりげなく合わせてくるのも流石の脚本・演出ですね。 賢子にまひろが読んで聴かせている「竹取物語」が、かぐや姫が月を眺めて物思いにふけるシーンというのも、本ドラマの中ではなにやら思わせぶりな気がします。 ドラマの中では『源氏物語』はまだ執筆も始まっていませんが、物語のプロットは「隠れ源氏」としてご紹介して頂いている数々の場面で出揃ってきましたね。次回以降、どのように執筆されていくのか、どのように広まり、誰にどのように読まれていくことになるのか、愉しみです。やはり、なんと言っても「ききょう」がどのような感想を持ち、「まひろ」に伝えるのかはドラマの一番愉しみなところですね。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 11 дней назад
さまざまな考察やの感想の深さに、感動しています🍀 そう、伊周とまひろに対する『枕草子』のプレゼンの違いには、シビれますよね😍 そして道長が『枕草子』に救われていたという解釈、私も激しく同意します🍀 もうこういう歴史や古典を持てたことの幸せを噛みしめています💞 こんなに大河に夢中になるのは初めてです😍
@nagato-masayo
@nagato-masayo 13 дней назад
白駒先生、今回も素敵な解説を、ありがとうございます。 私は少々、いや、かなり?定子様ロスです😢 しかし清少納言が筆一本で定子様を守ろうとしている事に勇気を貰いました。 きっと道長や彰子サロンの方々にとっては、枕草子は脅威だった事でしょう。 定子様の光が強ければ強いほど、道長サイドの影が濃くなります。 あえて完子様の光の部分しか書かなかった清少納言の思惑通りの反響だったのでしょうね。 きっと紫式部も必死だったので、自身の日記で清少納言を悪く書く事が、せめてもの反撃だったのでは?と感じます。 それほど定子様、清少納言、枕草子の影響が宮中では、大きかったのでは?と思いました。 これから、また枕草子や清少納言、中の関白家が、どうストーリーに絡んでくるか楽しみに見たいと思いました。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 13 дней назад
嬉しいコメント、有難うございます✨ 私もまったく同じ気持ちです😊 定子さまロスが激しいですが、こういう方を皇后として歴史に持てたことを誇りにしたいと思いますし、そして清少納言の女の闘い方に、シビれています💗 一条帝や私たちの心の中で定子様は生き続け、枕草子が永遠の輝きを放つことを、祈りましょう💞
@user-qk9yz6ck3m
@user-qk9yz6ck3m 13 дней назад
清少納言と和泉式部及び赤染衛門(匡衡衛門)の文を交わした記録があったのですね。 藤原彰子の教育係は匡衡衛門・紫式部・和泉式部が有名ですが、清少納言も同一時代に誰かの教育係をしていたのでしょうか?例えば一条天皇と定子の子供(内親王)など。 そうなれば紫式部とも交流が・・・・? もしくは別のサロンで・・・・? そういえば、紫式部の家を出ると南北道路に面した西側には土御門殿の豪邸があったようですね。紫式部の家を出ると土御門殿の土塀が南北240メートル程連なっていたことを思うと夢が広がります。 為時と源穆子は従妹同士で、倫子と紫式部は、はとこ関係になるようです。 為時は官位が低かったものの学者としては高い地位にあったかと思うので、土御門との交流はあったのではと推察します。(光る君へで描かれた倫子サロン???) また、枕草子には清少納言が女房同士で加茂神社方面にホトトギスの鳴き声を聞きに行った帰りに、土御門殿の門に立ち寄り、雨が降っていたのでこの時ばかりは屋根のないことを嘆いていたようです。 過去にも、土御門殿には出入りしていてもおかしくないように感じました。 冬嗣の代で紫式部と系譜的には別れた末裔より
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 13 дней назад
紫式部とご先祖様が同じなんて、素敵なことですね✨✨ 定子の死後、清少納言がどのような人生を歩んだのか、よくわかっていないのです💦💦 定子の忘れ形見の皇子や皇女を、陰ながら見守っていたのかなぁ💗 それにしても、平安中期の女性たちの活躍は素晴らしいですね❗
@user-qk9yz6ck3m
@user-qk9yz6ck3m 13 дней назад
白駒先生 コメントありがとうございます。 それにしても、紫式部日記や枕草子を読み解いてゆくと当時の生活ぶりが紐解けてきそうです。 稲穂が赤く染まる:当時はまだ、今で言う「古代米」が植えられていたことや、寛和の変の数日前に法華経の法要が模様されて、颯爽と道隆が正装姿であるが涼しげに振舞っていたこと、その数日後に寛和の変が起こり、法要を仕切っていた義親が花山天皇の後追いをして出家したりなど、 兼家ファミリー全員が法要に参加していたのでしょうか? 怖いですね。 式部日記では最後の手紙が誰に出されたのだろうと気をもんでしまいます。 女性文学仲間に送った手紙のように見えますが、意外と道長宛だったりして?(北の方への配慮) もう書き物はしないという裏には、新品の紙もいらないのでどうぞ送らないで下さいという意味が込められたりして???? 深読みすぎですかね?
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 13 дней назад
​@@user-qk9yz6ck3mさん💞 いえいえ、考察がとても深くて、憧れます😍 そういうお話、直接お会いして、じっくりしたいですね〜💞
@user-qk9yz6ck3m
@user-qk9yz6ck3m 13 дней назад
白駒先生 深読みの件ですが、大石静先生マジックで、賢子が道長の子供になりましたね。 紫式部日記でまた手紙の件になりますが、もらった文などはお雛様の家を作るのに使用したことが書かれています。 これって、賢子のお雛様ですよね? 文には道長からの手紙もあったのでしょうか? 道長さんどういう思いで文を読んだのでしょうか? 鳥肌が立ちました。 これは深読み過ぎですよね。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 13 дней назад
​@@user-qk9yz6ck3mさん💞 私は紫式部日記には詳しくないので、教えていただけることが、とても嬉しいです💗 ぜひ今後も、深読みした様々な考察を教えてください🙏
@user-rr5zw8gb9y
@user-rr5zw8gb9y 14 дней назад
道長、あんなキレ方を、しなくても😢いきなり妾になってくれは、まひろには、ショックだったと思います。 おっしゃる通り、まひろを一人置いて去るなんて、大人の男性ではないですね😢もう少し、話しあってほしかった❤
@user-gk5bg4jg8r
@user-gk5bg4jg8r 14 дней назад
定子様の影は絶対に描きません!清少納言! 道長の影は絶対に描きません!大石静! ああ、そうなのかと腑に落ちました。 人からはある側面から見れば素晴、また違う側面から見れば悪い人。人は悪と善両方を持つとい言うバリ島の演劇思想を思い出しました。 詮子様四十の祝で、史実で道長が席を立ったのは、彰子様を盛り立ていり倫子様を上手く扱えずギクシャクしている倫子様へのはからいだと思います。史実ではリハーサルで田鶴君に帝から褒美があり、本番でも田鶴君が称賛され倫子様が喜ぶと踏んでいたらまさかの巌君が称賛。道長は倫子様を思い青くなったことでしょう。夫って妻が機嫌が悪い時、何とかして「俺はお前の頑張りを認めてるよ」と態度で示そうとして、却って地雷を踏む。今でもよくあることです。私も含めて😅
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 14 дней назад
わぁ✨✨ 貴重な体験談を有難うございます💞 彰子がまだ出産できる年齢ではないため、とにかく娘の権威を高めるしかない道長は、彰子の実弟に褒美を欲しかったんでしょうね…💦 彰子が皇子を産むまでは、道長もひやひやだったのかも💦💦
@tamtam258
@tamtam258 14 дней назад
力のある芸術って、何か鬱積 したパワーから生まれ出るのかなぁ…… 弓がしなるほど力強く矢が飛ぶように🏹 そんなことを考えました。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 14 дней назад
わぁ✨✨ 確かに、そういう要素はありますね❗ 新たな視点を教えていただき、有難うございます💞
@user-tr4hq5bo8t
@user-tr4hq5bo8t 14 дней назад
こんにちは、RU-vidの歴史観光JAPANによると紫式部は、夫を亡くした悲しみにしたった歌はないと言ってますが、どうなんでしょうか?それと、夫を亡くして悲しんでいる暇はないとか、言って、いるようですが、どうですか?
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 14 дней назад
私は悲しみにひたった歌と受け止めていますが、実際のところはどうなのでしょう😊? 人それぞれの受け止め方や解釈があっていいと思います😊 こういう談義は楽しいですね✨✨
@user-eh9dq5zb7t
@user-eh9dq5zb7t 14 дней назад
ドリカム吉田美和 ユーミンがナニサ ふん!
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 14 дней назад
おもしろいコメント有難うございます✨ 式部の心の声は、そんな感じだったのかもしれませんね😆
@user-gk5bg4jg8r
@user-gk5bg4jg8r 14 дней назад
ユーミン派VSみゆき派。あら還世代の論争みたいですね。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 13 дней назад
​@@user-gk5bg4jg8rさん♬ そうなんです😆 私は還暦ど真ん中ですが、吉田美和とミーシャが好きです😍😍
@user-qk9yz6ck3m
@user-qk9yz6ck3m 14 дней назад
はじめて投稿します。 式部と少納言と出会っていないというのが通説のようですが、紫式部日記で宮仕えの女房の評価で少納言評価のところで「したり顔でいみじゅうはべりける人・・・」と評価していますが、これは本人と会っていないとコメントできない内容のような気がしますが如何でしょうか? 式部日記では紫式部が聞いた話の場合はその旨記載している場面もあります。 少納言に合っていなければ何かコメントがあっても良いのかな?と個人的に感じています。
@user-tr4hq5bo8t
@user-tr4hq5bo8t 14 дней назад
こんにちは、あなたの言っている事正しいです、紫式部は、清少納言に偉そうな顔してると言っているわけですよね、会ってなかったら言えないですね、おそらく出会った時に偉そうな態度をとっていたと思われます
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 14 дней назад
二人の宮仕えの時期はズレていますから、実際に会った可能性は、高くないと思います。 あの紫式部日記の少納言批判は、枕草子を読んで書いたのかなぁと、私は受け止めています😊
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 14 дней назад
​@@user-tr4hq5bo8tさん💞 さまざまに想像をめぐらすことは楽しいですね❗ したり顔ですから、偉そうな態度というのとは、少しニュアンスが違うと思いますが、枕草子の記述を読んでの、式部のやっかみが入っているのかもしれませんね😅
@user-to5jt7nl9v
@user-to5jt7nl9v 15 дней назад
今回 白駒さんの、ドラマや当時の社会や文芸に関する解説は、とても心に染み入る素晴らしいものでございました。 定子さまの光だけでなく影の部分も知りたいというまひろ自身の意見は、意図せず左大臣道長の影の部分をききょうから引き出させてしまい、一言も言い返せないくらい彼女の心を縛り付けました。 この様なセリフ回しを築いた大石さん、恐ろしい程の才能だと思いました。 史実の持つ力と、ドラマでの再構築の力、そしてそれを気づかせてくれた白駒さんの解説。大納得の回でした。ありがとうございました。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 14 дней назад
わぁ💗 とっても嬉しいコメント有難うございます✨✨ ホント、大石先生の脚本、恐るべしですね❗ そして転換点となった今回、次回以降がますます楽しみになりましたね😍
@akikorogers5876
@akikorogers5876 15 дней назад
光の当たる人を前から眺めれば光り輝き後ろに回ればその人の影が暗く長く映って見える,,セリフひとつひとつに人生哲学のようなものがあるなと思う脚本ですね。 道長自身も史実では悪人と言われる事が多いと思いますが大石先生は彼本人の側から見た道長と外から見た道長を描こうとしているのかなと感じます。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 15 дней назад
道長が悪人と思われているのは、枕草子の存在が大きく影響していると思います! 中宮定子があれほど素晴らしい女性でなければ、当時の貴族のような見方を私たちもしていたかもしれません。 道長は存命中も枕草子の存在に悩まされますが、千年後まで影響を与える文学の力、本当にすごいです✨✨ 人間に光と影があるように、歴史にも光と影がある。 その両面を知った上で、ニュートラルな歴史観を育んでいきたいですね😍
@akikorogers5876
@akikorogers5876 15 дней назад
@@user-ni9eq4id3u 私自身も歴史上の人物でも無いのに他人から勝手な評価を受け,言い訳も出来ずただ噂に傷つけられた経験があります。私の生きる姿でしか覆せないと思い淡々と生きていますが,道長に対する世間の評価を目にすると彼自身の心情はどうだったのかと心が痛くなる時があります。正にニュートラルな目を持って人々を見る心を大切にしたいと思います。 定子様も何も意図していた訳でも無いのに悲劇の渦に巻き込まれてしまわれた,,。 母が白も黒も無く世の中の出来事はグレーな事が大半と言っていましたが正にそうなのかもしれませんね。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 14 дней назад
​@@akikorogers5876さん💞 お母様の言葉、深いですね〜💗 傷つくような出来事を経験された分、優しさをご自身の中で育まれたことでしょう✨ あの出来事があったからこそ……という未来を築いていきたいですね💗
@HansSchmidt2006
@HansSchmidt2006 15 дней назад
文学が政治の道具として使われはじめました。枕草子があまりに素晴らしくそれを伊周が使い始めた。それをならって源氏物語が素晴らしいものになり道長が使うという構図になると思います。文学って面白いものですね。目からうろこが落ちる気持ちがしました。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 15 дней назад
はい、この時代を理解するのに、そして世界最高峰の古典文学を味わうのに、これほど面白い視点はないと思います❗ いよいよ後半戦、楽しみがますますふくらみますね😊
@user-dl7sz7ns5l
@user-dl7sz7ns5l 15 дней назад
正しく「ターニングポイント」となる回で、倫子や彰子も変わっていく気配を感じた。 まひろは「枕草子」の始まりに関わっていたが、今回は、ききょうが「光は書くが影は書かない」と言ったのでまひろが自分が影を書く?という話になる。「源氏物語」にもききょうが関わっているというのが面白い。 「枕草子」には定子の死は書かれていない。つまり、ききょうや、それを読む定子の子ども達にとっても定子は生き続けている。人間にとって理想を追い求めるということも重要で、その後の後宮や人々に多大な影響があったことは間違いないだろう。 一方、人間は複雑で測りがたいもの。例えば、一条帝も詮子を母としての面からしか見ていない。肉親でも人の多くの面を知ることは極めて困難。当然、現実を下敷きにすべてをフィクションとして想像で書くほかはない。 問題は、なぜ「影を書く」のかということ。おそらく、人は身分の違いはあっても同じ人間、という気持ちが根底にあるのではないだろうか。頼通は宇治に平等院を建立するが、当時すでに、仏の前には人間は平等、という観念があったのだと思われる。
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 15 дней назад
とても深い洞察、勉強になります😍 源氏物語には反骨精神が読み取れるので、まさにその通りなんですが、人間が仏の前で平等ということを、式部や頼通はどこまで意識していたのでしょうか。 あくまで貴族社会という枠があったようにも思いますし、その枠を超えていたと信じたい想いも…💗 まだまだ謎が多いからこそ、ロマンを掻き立てられます😍😍
@user-dg4bc7by2y
@user-dg4bc7by2y 15 дней назад
紫式部集35でなく41番では?
@user-ni9eq4id3u
@user-ni9eq4id3u 15 дней назад
35番は、例の灰の場面に繋がる宣孝の歌でしたね💦 私の間違いを見つけてくださり、有難うございます✨