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【ゆっくり解説】 古代中国のごちそう 春秋戦国時代の王侯貴族の食文化 【春秋戦国】 

鳥人間 中国史三昧
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古代中国、春秋戦国時代の人々はどのようなものを食べていたのか、どんな食べ物がご馳走だったのか、古代中国の食文化や食にまつわる逸話を紹介していきます。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
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28 мар 2023

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Комментарии : 398   
@user-kf9hy5fr9s
@user-kf9hy5fr9s Год назад
妻は中国人で、お冷を口にせず、徹底して暖かいものを飲みますが、お風呂上がりには必ずハーゲンダッツを食べます
@ZYDALingzi
@ZYDALingzi 3 месяца назад
自分も漢方医から冬は特に冷たいものを食べるなと。アイスも夏以外は厳禁と言われてました。奥様はアイスが大好物なんですね。湯上がりで身体が温まった時に食べるという折衷案なのでは?
@flyback_2091
@flyback_2091 Год назад
「恩を与えることより、恨みを買わないことの方が大事」。本当になんかの古典にありそうな格言。
@ntatanohu1214
@ntatanohu1214 Год назад
華元のエピソードはいつ何時どんな出典で読んだり聞いたり見たりしてもホッコリする。
@madmotor
@madmotor Год назад
この動画を見ると、「羹に懲りて膾を吹く」ということわざからも古代中国のごちそう文化の息吹が感じられてきた。 現代は貧乏人でも米や肉もそれなりに食べられるし、文明の進みには感謝。
@666samurai5
@666samurai5 Год назад
統計上、日本人の食(たんぱく・ビタミン摂取量)は、1950年代の戦直後並みになっっています。 現代日本人は食も貧困なのですよ。
@user-yv1jh5tj8f
@user-yv1jh5tj8f 3 месяца назад
​@@666samurai5どんな統計を引用してるんだ? 流石に貧乏人でも豆腐も果物も食べられる現代が戦後直後レベルなわけねーだろとしか思えん レス乞食か?
@user-gx7cr2rh4b
@user-gx7cr2rh4b Год назад
現代では油と切り離せない中国料理がこんなに淡白だったのは意外ですねえ。中華と油料理の歴史はいつからになるのか気になるなあ…一つ知ると疑問がまた一つ
@junkaisavoy1020
@junkaisavoy1020 Год назад
鉄鍋は西暦10世紀の宋代に普及し始めたばかりで、麻婆豆腐、牛蛙の炒め物などに使われていた唐辛子は17世紀以降のことです
@user-wy7qb3ow2s
@user-wy7qb3ow2s Год назад
おおよそ明代あたりから増えてきますね。
@junkaisavoy1020
@junkaisavoy1020 Год назад
餃子は漢末三国時代に登場し、ラーメンは16世紀に誕生した料理で、今日ではよく並んでいるが、実年齢は1300歳差だ
@aegialina
@aegialina Год назад
現在の中華料理は中華民国(クオミンタン)で作られた料理が元になってたはずだから明清時代に徐々に形成されたのでは?
@user-wc4jd3ry8x
@user-wc4jd3ry8x Год назад
うろおぼえですが 四半世紀近く昔に 中村喬先生の研究(宋代の料理を手掛かりに魏晋南北朝まで遡った内容)で なんか見た気がする 調理法ごとに分類されてて 焼について(炒・煎・油)の項目もあったので 民間に広まった時期は知らないけれど 宋代には既にあったんじゃないかなあ
@naughtnaught
@naughtnaught Год назад
中国の古代の墓から料理のレシピが見付かることがあり、日本の大学研究者がまとめた、その再現研究本が近々出るらしい。
@naughtnaught
@naughtnaught Год назад
あれ?霊夢は蝉フライ食べに行くんじゃないの?
@user-jk6dn2ov2c
@user-jk6dn2ov2c Год назад
へぇ、それは面白そう。
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d Год назад
『東周英雄伝』の「孫臏と龐涓」の回でも龐涓が羊料理に舌鼓を打つ描写がある。羊肉は生臭いイメージがあるが、それでも太古において肉は高級品だったということだろう。ところで、現代日本では羊羹と言えば小豆のアンを寒天で固めた和菓子だが、一体いつから羊のスープが和菓子に変化したかと言うと、まずは本家本元、羊肉を使ったスープが鎌倉〜室町時代、禅僧によって中国から伝えられたという。しかし、肉食が禁じられていた禅僧。小豆や小麦粉、葛粉など植物性の素材を用い羊肉に見立てて作ったものが羊羹の原型となり(蒸羊羹)、時代と共に甘みが加わり寒天を加えて作る、現在の羊羹(煉羊羹)になったという説があるそうな。
@butsuyokumaster1721
@butsuyokumaster1721 Год назад
食文化で時代を進めるのも楽しそうですね。 異民族の流入で食卓も様変わりしそうですし。
@user-oj2fj3kw3s
@user-oj2fj3kw3s Год назад
華元と羊斟たちの話から 食べ物の恨みはあな恐ろし…。 というのがよぉぉぉぉぉく わかりました…。 ところで鳥人間さんの動画を見て、 今日の夜ご飯は お豆のスープと豆サラダに してみましたが… やっぱり豆だけでは働けませんね😅 昔の人は本当に凄い…。
@john_andaman3498
@john_andaman3498 Год назад
似非ベジタリアンとしては如何に豆料理と豆の葉スープを美味しく食べられるか考えてしまうのだけれど そもそもこの時代、調理法も調味料も殆どないってことなのだよねぇ ちなみにダルカレーは大好物です(自己PR)
@abcnks
@abcnks Год назад
良かった…孔子と肉料理と聞いて例のあの肉の事かと震えていた
@LOVE-ue9pt
@LOVE-ue9pt Год назад
ありがとうございます! 鳥人間さんは古代中国の ごちそうについても造詣が深いのですね。 敬服の至り~、です。
@c-history
@c-history Год назад
ご支援いただき、感謝感激でございます~! ごちそう話もお楽しみいただけたのなら、これ以上ない幸いです!!
@user-ii7kf3yc7v
@user-ii7kf3yc7v Год назад
うーむ、これを聞くと「食べ物の恨み」というのは美味しいものを食べ損ねた、というよりも無下な扱いを受けたというニュアンスで使うのが正しいように思えます 鳥人間さんの陳平について解説していた動画でも陳平は祭事の肉を公平に分配したことで名声を高めたとありましたね。 この役割も栄誉であると同時に恨みも買いやすい役割だったと聞きます。やはり食、それに伴う作法というのは大事ですね。現代にいたっても食の作法でお里が知れることも多分にありますし…
@user-vz3yw3mp9l
@user-vz3yw3mp9l Год назад
自分も同意見ですね。 食いそこねたという恨みだけでなく、肉料理が政治的・儀礼的な側面を強く持つ時代だからこそ、「食べさせて貰えない、用意されてない」はかなりの屈辱的扱いのように思えます。
@user-kf2ys1ru5y
@user-kf2ys1ru5y Год назад
非常に面白い話ですね。 しかし、食事の恨みで他国に走って攻めさせるとか凄すぎる
@simonu-oj8lk
@simonu-oj8lk Год назад
川魚や肉の膾はまずいですよ!!やはり中国、食い物の恨みもスケールが壮大ですね
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Год назад
今の中国でつい最近まで生食の魚(刺身・活魚鮮魚)の食べ方がなかったのは、生だと(特に淡水魚は)泥臭くて食えないと言う理由だと聞いたけど。刺身や寿司が日本の影響で流行ってからは中国人の海産物の消費は爆上がり。
@simonu-oj8lk
@simonu-oj8lk Год назад
@@tokuchan0525 大陸だと基本川魚なので寄生虫が怖いみたいですね。実際陳登もそれで〇にましたし…
@user-we9ju9fk6l
@user-we9ju9fk6l Год назад
​@@simonu-oj8lk陳登吃生魚片得寄生蟲了😂
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 Год назад
膾といえば日本では江戸時代まで食されており、伊勢参りの旅人の世話をする御師(おんし)が専門の魚切り役を何人も動員して刻んだ魚を木桶に入れて、鍬で酢と和えて大量生産した膾を伊勢参りの旅人に振舞っていたとか・・・・・
@001lonestar7
@001lonestar7 Год назад
川魚と言っても日本の渓流で取れるような物ではなく、土で濁った川の水で育つので泥臭いでしょうね。
@user-cd8pn2lw9q
@user-cd8pn2lw9q Год назад
食文化は歴史や地理、風俗全てに絡んでくるものですよね、めっちゃくちゃ面白かったです❗️ 是非時代を変えて色々な王朝の文化を紹介して頂けると嬉しいなと思いました! 米の消費が増え、江南が発展していく様とか?興味は尽きませんな!今後も楽しみです
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Год назад
勉強になる動画UPありがとうございます!昨今の日本では米よりも高い雑穀だけど、栄養価が高くて、日露戦争時の日本陸軍は、せめて辛い戦争時くらいは兵に白米食べさせてあげたいと言う親心で麦とか混ぜなかったら、逆に脚気が流行ってしまったと言う笑えない話がありますね。対する旅順要塞のロシア軍は、生野菜が無くて壊血病が流行っていたと言う…………
@c-history
@c-history Год назад
ご支援まことに感謝感激ですッ!!励みになります!!! 戦争と兵糧、栄養、病は興味深いテーマですよね……動画作りの参考になります!
@user-kq2hj6wq3y
@user-kq2hj6wq3y Год назад
辛い戦争時くらい兵に白米を、って本当は当時陸軍軍医のトップだった文豪森鴎外が既に脚気の原因が分かっていて海軍がその対策を模索していたにも関わらず、脚気は伝染病という間違った考えをあからさまに陸軍だけでなく海軍にも押し付けていたから。結果、海軍兵士よりもはるかに多くの陸軍兵士が脚気の犠牲になった。海軍の脚気対策も最初はパン食にしたものの、米(それも白米)をたらふく喰いたい兵士達の反発から米に麦を混ぜて炊く麦飯に落ち着いたと。ただ陸軍を中心に白米とたくわんをたらふく喰えば戦争に勝てるなんて考え方してる脳筋連中が我が物顔で闊歩しており、後々、太平洋戦争で満足な補給も受けられずに悲惨な結末を招くことに。
@TSUNENI-UTAGAU
@TSUNENI-UTAGAU Год назад
​@@user-kq2hj6wq3y 大東亜はアメカスの雇われた犬が計画的に餓死させたり大量に日本軍が死ぬ戦術をしたり作戦や暗号を垂れ流し敗戦へ導いたんだぜ😢 めっちゃ頭が可笑しい作戦と賢い作戦てま分かれてるのは犬か犬じゃないかの違いなだけ アメカス公文書館で大東亜中アメカスに雇われた日独の工作員の名前が公開されてます ヒトラー率いるナチスもアメカスがつくった工作員組織 ヒトラーは自殺してることになってるけどアルゼンチンで余生を過ごした事も公開された😅 支配層の白人の目的は日本をボコボコにして敗戦させ2度と白人に逆らうことがないよう主権を奪い植民地にするため 戦後から、この状態↑
@user-pf1ii4mg1q
@user-pf1ii4mg1q Год назад
時代毎の料理の変遷なんかも知れたらより面白そう
@katuaki921
@katuaki921 Год назад
食べ物回❗ 春秋戦国時代は羹や膾ばかりのイメージですねえ 調理法は焼くと煮るだけのイメージです 調味料の醤は漢の荘助が南方の異民族にお使いに行った時に持ち帰るまで無かったから 現在と味付け自体も違ったんでしょうね それまでは基本的に塩と梅と酢を使って味付けしていたみたいだし 多分タイムスリップして当時の料理食べても口に合わないかも😅 そんな時代に百牢作れと言った呉王夫差と伯嚭の無茶振りよ😱
@666samurai5
@666samurai5 Год назад
古代中国の話はおもしろく、ためになりますね。 むかしの食事を食べたいです、おいしそう。 西洋だとギリシャ以後はキリちゃんの話なので非科学的で賢くもなりませんし、良い感動もない。 中国は素晴らしい。
@オホタラシヒコオシロワケノミコト
夕飯に、早速味付け無しの羹を作って食べました。素材の味がおいしいです。古代の食事を再現して食べてみるのも乙なものです。
@user-hg3gz1kn9v
@user-hg3gz1kn9v Год назад
このチャンネルで食事と言えば蟹を殻ごと食べちゃう様なヤバい逸話の印象が強いけどここまで平和(少し微妙だけど)な食事の話題は珍しいし面白い
@user-xx2nt6hd4x
@user-xx2nt6hd4x Год назад
古代の人々の食べ物に関する逸話どれも面白かったです。改めて考えてみると今の私たちは昔の人々がごちそうだと考えている以上のものを日常的に食べているのですね。それを考えて卵かけご飯を食べるとより一層おいしく感じます。
@AtsushiMizobe
@AtsushiMizobe 2 месяца назад
「食べ物の恨みは恐ろしい」これに並ぶものとして「金の恨みは恐ろしい」「女の恨みは恐ろしい」というのがありますね。
@user-tf2dx2rs1o
@user-tf2dx2rs1o Год назад
近代の中国の料理だと谷崎潤一郎がえらい詳しく書いてますね。しかしやはり古代は調味料が限られるので素朴😮
@user-zu8ox5jg7t
@user-zu8ox5jg7t Год назад
米(稲)が古代中国では黍(モチキビ)よりも更に高級な食料で、貴族や王族は豪勢な服装で黍を食べていたとは初耳です👂😳。閑話休題、春秋戦国時代というのは「たかが食い物、されど食い物」の時代で、それで国の存亡に関わる事態が頻発したんですねぇ😳。中国の食文化史についてもっと知りたくなりました。
@user-su9qy8vi7y
@user-su9qy8vi7y Год назад
書籍「古代中国の24時間」も面白かったけど、今回の食生活も大変興味深かったです。人々の衣食住があってこそ、華々しい中国史があるとすれば、こういう話題はとても勉強になる。
@hgmssq7512
@hgmssq7512 Год назад
この時代の中国ドラマ等でも、周王室から干し肉を下賜される事が、 即ち「王」として認められる証として取り上げられますよね
@user-rm8jn2qd2c
@user-rm8jn2qd2c Год назад
王が息子と兵に囲まれ死を迫られた時に「死ぬ前に熊掌が食べたい」と言ったが熊掌は食材の用意や下拵えや食事に供されるまでに時間がかかるので時を稼ごうとしているとバレて許されなかったな。 中国では食指を「染める」がよく使われ日本では食指を「動かす」が使われるとか。 項羽と范増を仲違いさせるために項羽の使者が来ると「大牢」を見せられ使者が食べさせてもらえると思ったら范増からの使者かと思ったら項羽からの使者でしたかと大牢を下げて粗末な食事を出して范増が劉邦た繋がっていると疑心暗鬼にさせた話があったな。
@TSUDATOSIYKI
@TSUDATOSIYKI Год назад
そう言えば、三国志の陳登が刺身というか鱠食ってる記述が有りましたね。
@mocchi2643
@mocchi2643 Год назад
粟は古代中国でかなり重要な作物で、隋唐期の税制である租庸調で穀物を納める「租」も粟を納めるのが原則だったらしい。
@user-sp1ov6bd5y
@user-sp1ov6bd5y Год назад
肉の膾も危険だけど魚の膾が消えたのは、川魚だったからやろうな。
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Год назад
韓国でユッケの付け合わせにリンゴが添えられるのは、生肉に当たるのを防いでくれるかららしいけど、本当かなぁ~。馬刺は、馬の体温が他の畜産動物に比べて高い為に、雑菌が繁殖しにくいからかなり安全らしい。 ちなみに昔、地鶏刺で食あたりしました。
@londoninjapan2557
@londoninjapan2557 Год назад
中国の川魚、臭くて食べられませんでした😭😭
@Kotchan66
@Kotchan66 Год назад
​@@tokuchan0525 さま ディスカウントスーパートライアルでも地鶏のたたきが手頃な価格で売ってますが当たったことありません。
@n.shikanohone
@n.shikanohone Год назад
いっぱい死んだんやろうなあ…
@user-YJSP_810
@user-YJSP_810 Год назад
@@n.shikanohone 陳登「オッスオッス」
@Hollhis
@Hollhis Год назад
たまにあると嬉しい良い感じの新シリーズ!
@theserpenthold
@theserpenthold Год назад
膾、今では失伝した処理法や食中毒にならないための注意点などもあったのでしょうね。 少なくとも王侯貴族がよく食べるもので、そうそう食中毒を出していたら大変だったと思います。 また、長い歴史の中には寒冷化や温暖化、降雨量の変化などもあり、それで寄生虫や病原菌の分布が変わったなどの理由も背景にありそうです。 豆の漢字は、器からあふれるほどの収穫をされた豆、という説もあり、当時の中華の人口を支えられたのは、やはり大豆のおかげだったのかなと思います。 ぜひ当時の農業の様子や、食料生産の実情などが歴史書に残っていれば教えてもらいたいです。
@user-kq2hj6wq3y
@user-kq2hj6wq3y Год назад
でも当時の豆の調理法は塩を入れて煮て食べるしかなかった。それか豆のスープか。戦国末期から漢代に南方から味噌のもと醬が入り、豆を発酵させて調味料(味噌・醤油)を作る技術が発展する。また、夜郎自大の夜郎からは豆を擂り潰して水と共に煮て濾す豆乳とその豆乳をにがりで固めて作る豆腐がそれらを作る技術と共に入ってくるし北の匈奴からはチーズが。
@Fanatia
@Fanatia Год назад
いつも興味深く面白く、今回はほんわか楽しく、そして懐かしかったです。 大学時代たまたま選択した一般教養科目の美学美術史、いや世界史だっけ、忘れましたがその教授の学会でのライバル教授について、「あいつは文化論者じゃない、料理研究家だ!(怒)」みたいなこと言ってて(笑)。それでそのライバル先生のほうに興味が出て著作や論文をちょっと見たり。いや食の研究って大事じゃん、そんなこきおろさなくても、って思ったことを思い出しました。 あと白菜の歴史は小学校の時習いました。人類にとっては比較的新しい野菜なんですよね。 そして私が大学でまともにやった事は戦国~江戸初期の文化変遷なんですけど、調味料革命についても少し調べました。動画の前半で霊夢ちんが食べた神聖な食事の感想、笑ってしまいました。 そう、味がね。 東方世界で最も古典的な調味料は塩と梅の酸味という(あんばい、という言葉に今も残る、とされている)から、味付けしてもごくシンプルでバリエーションも乏しいでしょうね。 今後も色々楽しみにしていますが、どうぞお体ご自愛くださいませ。
@c-history
@c-history Год назад
ご支援いただき、本当にありがとうございます!! 今後も楽しい中国史の時間をお届けしていきますので、ご期待ください~!
@user-to6rh8ph8s
@user-to6rh8ph8s Год назад
蔵出しありがとうございます。今回も興味深く拝見しました。 身分の高い人物が、「肉を食べている時」みたいな場面が『史記』に出てきたり、動画にもあったように貧農が汁をすすっていたり、あぁそういう背景があったんだなと。 やっぱり肉は大事ですよね。肉といいますと仏教伝来以後、前近代までの日本では肉食は絶対的なタブーだった、みたいな行き過ぎた教え方をかつて義務教育で受けましたが、自分で史料をめくるようになるとまったく(中世に限ってですが)実態は違っているように思えました。 「これは鹿じゃなくて薬じゃよ」という言い訳が、穢れには特別に喧しい貴族の日記にあったり、逆に武士が、「肉食べちゃったんで欠勤しまーす」と言っていたり、発掘現場からどうやら解体されたらしき獣骨が出てきたり……四足動物の肉は食べなかったと簡単に決めつけてはいけないようです。 分野違い、失礼しました。季節の変わり目は不調も起きやすいことですし、どうぞご自愛ください。
@user-kq4zp3fx1k
@user-kq4zp3fx1k Год назад
予想以上に面白かったです!続編を期待しています。
@c-history
@c-history Год назад
お心遣い痛み入ります……! ぜひまた食べ物回を作りますので、ご期待ください……!!
@wakamedesuga
@wakamedesuga Год назад
熟語の元の逸話や、食にまつわる逸話、綺麗なオチ🎉全て最高でした!
@KM-rh5xv
@KM-rh5xv Год назад
文化回楽しいです!故事成語の由来ももっと見たいです!
@user-om6fd9cj2b
@user-om6fd9cj2b Год назад
現在の中華料理は北宋の時に発達したものらしいですね。
@Kotchan66
@Kotchan66 Год назад
別スレでもリプしましたが、石炭が発見されて強い火力が使えるようになったから。
@akanosoufu
@akanosoufu Год назад
古代中国の食文化については非常に興味深かったです!
@user-ui7wc5iz5j
@user-ui7wc5iz5j Год назад
大変面白かったです!
@user-xr3fx7ho5f
@user-xr3fx7ho5f Год назад
投稿お疲れ様です。 ???『鶏肋、鶏肋』
@c-history
@c-history Год назад
多大なご支援!恐悦至極に存じます!! 一体、何修の発言なのかまるで分かりませんね……!
@satochan9594
@satochan9594 Год назад
中華料理も最初は油がなかったというのは知りませんでした。確かに古代なら油貴重ですよね。 揚げ物や炒め物は菜種など生産が増えてからですね。 つぎは中国の服飾史をリクエストします。特に被りもの(簾がじゃらじゃらしてるのとか)に興味あります。
@famitiki_122_ASMRgensenn
@famitiki_122_ASMRgensenn Год назад
文化系の話もめっちゃいいから続編たのんます
@aobakurogane
@aobakurogane Год назад
面白かったです。メンバーになって良かった。続編もお願いします。
@user-yg4eb3fx3l
@user-yg4eb3fx3l Год назад
動画ありがとうございます。 楽しく見させてもらってます。
@emptywatermelon
@emptywatermelon Год назад
食指が動くの逸話、平和で面白い話だなあと思って聞いてたらその後の展開がドロドロしすぎてて笑う
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san Год назад
楽しい内容でした。 魏志倭人伝には「あいつら魚とか野菜とか生で喰うんだぜ」と書いてあるそうですが、春秋時代には中国でも生食やってたんですね。 川魚とか豚とか、かなりヤバめなんですが・・・。 何進とか張飛とか元肉屋と言うと庶民階級のイメージですが、肉自体が高級品なら貴人の家に出入りするような商人だった、ということかもしれませんね。 食い物の恨みというと、陳平が范増にかけた離間の計も食い物がらみ。 中国人だから効いたのか、それともやられてみると思った以上に腹が立つものなのかw
@nix-oh1tv
@nix-oh1tv Год назад
現代の中国でも広東省、福建省で生魚食べますよ~詳しくはヤンちゃんの省シリーズでご確認ください
@coldexp7189
@coldexp7189 Год назад
こういう文化テーマ回も好き!
@kappanouen
@kappanouen Год назад
解説のよう当時肉は祭祀で非常に重要視されており、孔子が魯を去ったのも君主が祭祀をおろそかにして臣下に肉を下賜しなかった(礼に背いた。肉がもらえなかった事にキレたわけではない・・・たぶん笑)のが直接の理由(遠因は色々ある)でした(孟子『告子下』より) まあ孔子が肉が好きだったというのも本当で動画にあるとおり論語にも膾(生肉)を好んだ話があり 故に肉の匂い、色に注意し、大原則として三日過ぎたら食べない(←刺し身のオカンルールみたいですね笑)などなどの記載があります   また論語にある食べ物(?)の面白いエピソードとしては ある時、孔子がキジ(雌雉)を見てその振る舞いになにか感じることがあったらしく(詳細不明。文章に何らかの欠落があるという説もある) 「ああ、キジはいいね・・・すこぶるいい・・・😑✨」と感動していると それを聞いた子路(孔子の古くからの弟子。パワー系)が 😃
@servantofJ
@servantofJ Год назад
曹植の七歩詩に豆が歌われてたのも、それだけ身近な主食だったってことなのかな。 食べ物の恨みが強かったのは、馳走=儀礼だったから現代とは比較にならないほど侮辱的行為だったってことか
@user-mt5fs6bo3x
@user-mt5fs6bo3x Год назад
なかなか昔の食事の話って 特に中国史では出てこないから興味深く楽しませていただきました。
@user-mg4fu5wq2o
@user-mg4fu5wq2o Год назад
鳥プルクラウン人間は明日のメキシコ戦頼むでしかし! 調味料の話が出てこないな~と思ってたらまたの機会にお預けかぁ。 食指が動くの由来に続きがあったのは知らなんだ…。
@murkymurk8305
@murkymurk8305 Год назад
ありがとうございます。中華一筋の動画が好きなので楽しみですが裏切られるのかな 笑
@user-ku3xt9sm1v
@user-ku3xt9sm1v Год назад
大陸はいまでも淡水魚文化が盛んですねえ。 沿岸部では海水魚も食べられていたのでしょうが、 日本でも寄生虫の恐ろしさがわかってくる以前、冷蔵流通が発達していない頃はコイでもフナでも結構生食されていたようです。
@user-cd1vu4qs7h
@user-cd1vu4qs7h Год назад
休日前の夜にご褒美を頂いた気分 ごちそう動画、とのことだったので美味しいお酒を頂きながら拝見させて頂きました とても面白かったです 鳥人間さんの動画は色々な切り口から中国史を学べて本当に楽しい!
@c-history
@c-history Год назад
ご支援いただき、まことにありがとうございますッ! 動画を愉しんでいただき、とっても光栄です~
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Год назад
現代中国人は基本的に火を通さないと食べないが、中国人の知り合いは寿司は好きと言っていたな
@user-jx5zh5yg8q
@user-jx5zh5yg8q Год назад
王貞治氏は寿司屋に行っても火の通ったネタしか食べなかったという伝説がありますね(真偽は不明)
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Год назад
江戸前寿司は、江戸時代に東京湾で採れた新鮮な魚介類を使うけど、日保ちを考えて技巧や漬け等が多くなったらしいですね。魚や肉の生食嫌う人はやっぱりいますよね。
@user-it9tb4um2p
@user-it9tb4um2p Год назад
​@@user-jx5zh5yg8q 中華鍋で炒めたモノばかり食べてきたからな(実家は中華飯店)。
@user-jf6es6tr4y
@user-jf6es6tr4y Год назад
中国でも内陸の方はあまり新鮮な魚はないだろうけど、沿岸部なら沢山とれるだろうし
@user-qd5kq4on6p
@user-qd5kq4on6p Год назад
あのへんより古い世代は漢方思想の影響強くて体を冷やすことを嫌がるってのもあると思う。長嶋もシーズン中寿司を選手に禁じてたし、金田もアイシングは晩年まで否定してた。
@user-ks5yd3jy1n
@user-ks5yd3jy1n Год назад
今回も動画を閲覧した者です。  今回は限定動画で、中国の歴史における食事の内容なんですね。  白米が最高級食料であることは、今回初めて知りました。  今でも、北方の遊牧民族が白米を客のおもてなしにする風習があるところをテレビで視聴しましたが、最高級食料で客をもてなす礼儀から来てるのかもしれないですね。  今回は春秋時代での出来事を中心に取り上げていましたが、時代が進むにつれて食文化がどうなるのか。  今後の動画の投稿を楽しみにしております。  いよいよ新年度に入りますが、また寒くなってきました。  投稿者さんにおかれましては、あまり無理はせずに、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。  話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
@ta1523
@ta1523 Год назад
うひょー こういうほのぼの回すき
@Dust_of_Mount_Taishan
@Dust_of_Mount_Taishan Год назад
農耕をするようになってから人類の栄養バランスはガタ落ちしたそうですからね。肉や魚は保存食にするにも貴重な塩を大量に使うので、ハレの日のご馳走にせざるを得ないでしょうからカロリーを確保するには大量の穀物を食べるしかない。 中華料理が大きく発展した宋代・明代の背景は、やはり内陸部の運河による物流で南北交流が奨励されたからでしょうかね?
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Год назад
農耕は人間に格差を産み、戦争(闘争)を増大させたと言う研究もあるらしい。 あと、日本では、狩猟社会の縄文人のDNAが多い人は脂肪分を貯めやすく太り易く、農耕社会の弥生人のDNAが多い人は脂肪分が貯まりにくいらしい。
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d Год назад
前コメにありますが、豆の飯に豆の葉スープ、これって確かに「七歩詩」煮豆持作羹、漉鼓以為汁。 古代庶民の食事の描写をもって、兄弟の不信を嘆く...
@user-kq2hj6wq3y
@user-kq2hj6wq3y Год назад
曹植と兄曹丕。そして彼らの国は肉をたらふく喰ってた連中(司馬氏)に乗っ取られる。羊に塩舐めさせて舐めたところの女とヤる人と米がなければ肉を食えと言った奴。司馬炎と息子司馬衷。
@user-uf8qo1jr3t
@user-uf8qo1jr3t Год назад
すごく面白かったです!
@user-ei5eh8wk2i
@user-ei5eh8wk2i Год назад
「羊羹」という字面だけ見ると、羊のスープじゃなくて「ようかん」が浮かんでしまう
@user-py3hh3yv1e
@user-py3hh3yv1e Год назад
確かに自分だけ羊がないというのはかなりの屈辱 羊が食べられないというより俺をここまで軽んじて侮辱するとはって意味で
@4403DIYchannel
@4403DIYchannel Год назад
とても勉強になりました。
@user-qd5kq4on6p
@user-qd5kq4on6p Год назад
孔子の食事って、読むと結構おいしそうなんだよね。膾は感性が分かれるがちょっと前のユッケだし、腕の良い料理人がちゃんと料理した季節ものしか食さない、というのはグルメだし当時では可能な限りの食事療法だったのでは。
@tai1068
@tai1068 Год назад
人肉が出てこなくてよかった。いつ出てくるかドキドキしました。
@iq_221B
@iq_221B 10 месяцев назад
ご飯の話大好きです!面白かったです。この時代のごはん食べてみたいなぁ
@user-fc6qu9lb4l
@user-fc6qu9lb4l Год назад
食の歴史のサブチャンネルもアリなんじゃなね?ぐらい、良かったです!
@NAGRADIO
@NAGRADIO Год назад
今週もありがとうございます。 穆公が馬酒を振舞うエピソードも聞いてみたいと思いました。 シリーズ化ぜひ期待します!
@user-kq2hj6wq3y
@user-kq2hj6wq3y Год назад
馬酒を振る舞った穆公は秦の穆公ですね。秦が犬戎など西方の異民族の影響を強く受けていた表れです。周(西周)を滅ぼした犬戎は周の西方で牧畜を営んでいた異民族で周や他の民族の文化を積極的に受け入れる進取の気質に富んだ民族だった。西周を滅ぼした後、東へ移った周の宗家に付いて行かなかった人達を受け入れて新たに作ったのが秦。後に商鞅や張儀・范雎に呂不イ・李斯といった他国出身者を積極的に受け入れたのも犬戎から受け継いだ進取の気質からでは?本当は韓非子も始皇帝がその1人に加えようとしたんだけど兄弟弟子の李斯が…。そして韓非子の非業の死が当時15歳の青年だった張良の覚醒を呼ぶことに。
@yupoz8224
@yupoz8224 Год назад
いつじんにくのはなしがでるのかどきどきしながらみてましたが、じかいのようですね…
@まんまるあやちゃん
膾に刻むのが孔子の時代より前からあったのが驚きです。 資料に海の魚が現れないのは、やはり加工技術と輸送の問題と考えます。 現代日本にあっても、二次大戦後辺りまでの山間部では海産物が非常に手に入りにくかった様です。 ついでに申しますと、日本に於いて川魚の生食は普通にあります。川魚料理やさんで「鯉の洗い」を頼むと、鯉が刺し身になり酢味噌と共に供されます。 薄切りにした鯉を綺麗な氷水で何度も洗い締める、手の掛かる料理です。 勿論、食品衛生法もクリアしています。
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Год назад
昔、親父が少年時代に鯉を釣って濡らした新聞紙にくるんで家まで持って行っても、一時間くらい生きていたらしいから、新鮮なものが手に入り易かったのかなぁ。最近見た美味しんぼでは、サメの肉はアンモニア成分があるから臭いけど内陸まで持って行けた為、海の無い山間部で名物になった地域があるみたい。
@junkaisavoy1020
@junkaisavoy1020 Год назад
「鱠」という字は中国古代の生魚料理を指し、主な食材はフナ属、バサ、鯉などの淡水魚,主な作り方は生魚をスライスした後、大根の千切りと生姜の千切りを添え、具はレタス、マスタード(芥辣)or酢(醋浇)。骨の多い淡水魚なので、実際に扱うのは日本料理の刺身よりかなり難しいです。この「鱠」料理は中国の明清時代に消滅しつつあるが、主に淡水魚の寄生虫が人体内の環境に適応できるからだ。寄生虫病に感染すると、死亡率はほぼ100%になる。対照的に、海水魚の生魚料理に寄生虫がいても、感染後は一般的に人体内の環境で生存することは難しい…。
@junkaisavoy1020
@junkaisavoy1020 Год назад
刺身料理は冷凍不活化や冷蔵庫が普及し始めた戦後に流行した。これらの技術が普及してから生の海水魚を食べるのは比較的安全なことであり、淡水魚については、いかなる技術条件でも生で食べるのは極めて危険である。また、醤油、酢、わさびは実際に寄生虫には何の殺傷作用もありません。
@user-lw5sd7lb4u
@user-lw5sd7lb4u Год назад
​@@tokuchan0525 サメ肉を食べるのは、日本だと広島県三次市等の中国地方山間部です。
@Kotchan66
@Kotchan66 Год назад
​​​@@user-lw5sd7lb4uさま 山陰地方でも湯引きにしたサメ肉を酢味噌等で食べたりします。 あと沖縄県でもサメ食べるみたいですが、八重山諸島の黒島では江戸時代に多良間真牛という人が無人島に流されて10年余暮らしたが神様のお告げでサメに乗って帰郷することができたという伝説からサメを食べないらしい。
@user-vw6dc7wi2c
@user-vw6dc7wi2c Год назад
これ面白かった。場所や気候や時代によって何を食べてたのか勉強になりました。モンゴルが馬にチャチャルガン食べさせてたから強かったみたいな話も本当かどうか知らないけど興味深い。
@pmanotoko
@pmanotoko Год назад
霊夢は驚いていますが、一人だけ肉を与えなかったんだからそらなにされても文句言えんわな、となった人も多いと思います。動画内で語られているように、肉を分け与えるというは祭祀において非常に重要な意味合いがあり、劉邦の部下でおなじみの陳平も若い頃は地元の祭りで肉を公平に配ることで名声を高め(!)たとき、「こんな物ではなく天下を与えられれば、たちどころに裁いてみせるのだが」と言って嘆息したという逸話もあるくらいですから。そもそも人民の頂点たる宰相という漢字そのものは『料理長』ですからね。肉を与えないというのは「お前の席(この国に)ねーから!」という社会的な抹殺宣言にも等しい。
@npppp8969
@npppp8969 Год назад
>庶民の食事は豆が主 南~東アジアで人口が多いのはコメの扶養人口が小麦よりはるかに高いから という説がありますがこれと矛盾しますね。解としては ①豆も意外と扶養人口が高い(けど地中海で豆って作ってないのかな?) ②人口が多いのは食事内容とは別の要因(土地が広く豊か?) ③春秋期は実はそれほど人口多くない ④豆が主だが定期的に高い栄養を摂取する機会があった(祭祀の機会は結構多いかも。冠婚葬祭etc...) こんなところだろうか。自分でも勉強してみます!
@jushimatsu252
@jushimatsu252 Год назад
「食指が動く」の故事、最初はほっこりエピソードかなと思ったらあっという間に陰惨な話になった… 冷静に考えてたら指が動いたら美味しいものが食べれましたで終わるほのぼのエピソードなんて歴史に残すわけないよね…
@takashi-aoki
@takashi-aoki Год назад
むしろ体に合えば生肉は非常にビタミン・たんぱく質ともに豊富な食べ物。グリーンランドの白人は一度絶滅したが、あざらしを生で食うカラーリットは生き残った。190cm台だったと言われる孔子は体格の理由はやはり食事。
@seattleslew2332
@seattleslew2332 Год назад
面白かった どんどんチャレンジしてくだされ
@macormickenny3354
@macormickenny3354 Год назад
粟が贅沢品だと伯夷と叔斉の「二度と周の粟は食わず」の逸話がまた違った意味になるというか…山菜だけ食って餓死したとか確かにちょっとお坊ちゃんみがある 魚の方は中国の方は雷魚とか鮒の癖のある土味というかそんな感じの味に隠された旨味を感じる能力が高いようですね
@famitiki_122_ASMRgensenn
@famitiki_122_ASMRgensenn Год назад
時代ごとのキョウテ出そうなレベルのまとめ動画作って欲しいです。鳥人間さんの動画ならきっと楽しく覚えれて繰り返し見ても飽きないと思うので!!たのんます
@aaaaaaaaa3606
@aaaaaaaaa3606 Год назад
現代人で良かったと感じるのは食と病の話を聞いた時……。牛丼、ハンバーガー、コンビニ弁当が安い食事の代表格という時点でどれだけ進歩したかが分かる。と同時に、美味しい食事が貴重な古代において、食の恨みは現代人が想像する何十倍も激烈なものだっただろうとも。食指の話が史実かは別として、当時の人にとってはリアリティのある話だったんだろうな。
@ugffcllt5173
@ugffcllt5173 Год назад
次作期待してます。
@dvorak107
@dvorak107 Год назад
以前のセミの話もそうだけど当時の文化的背景を知ることで歴史の解像度が上がる気がする。
@kamakura-wm8jk
@kamakura-wm8jk Год назад
楚から中山国まで出陣なんてできるのかな?げに食べ物の恨みは恐ろしい。
@user-lu7rj9ty3u
@user-lu7rj9ty3u Год назад
面白かったです!
@tomm7998
@tomm7998 Год назад
古代中国の肉料理…羹…と聞いて、どんな肉料理が出るのかドキドキしていましたが(謎)美味しそうな料理で良かったです。 中華料理好きとしては、調味料などが気になりますね。
@noach.
@noach. Год назад
食文化気になってたのでありがとうございます! 調味料とかもぜひ!
@user-mx6ji6np6l
@user-mx6ji6np6l Год назад
このあと時代がくだるにしたがって食文化がどう変遷していったか、いつかまた動画にしてくださいますよう
@user-qi4qq7tj2v
@user-qi4qq7tj2v Год назад
食と人と歴史、実に興味深いですね。
@user-ug3wq4sf7u
@user-ug3wq4sf7u Год назад
今回も楽しく拝見しました。 ①食べ物に関する怖い話やトホホ話 ②地域または時代による食文化の違い&変化 の2点をリクエストします。 余談:序盤のラーメンで笑ってしまいました😂
@kiyosesi
@kiyosesi Год назад
綺麗なオチがつきましたねw しかし、1人だけご馳走からハブらせる意地悪多すぎませんかね。
@shibushibu6265
@shibushibu6265 Год назад
中国人って極度に生もの嫌うイメージだったから、古代の人たちだとしても刺し身とか生肉食べる文化があったのは意外でした😮😮
@takashiyamazaki3563
@takashiyamazaki3563 Год назад
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」(失敗に懲りて度の超えた用心をする事)と言いますね!
@user-nz8dz6gg7r
@user-nz8dz6gg7r Год назад
餃子に似た料理がどこかの春秋諸侯の墓の中から出てきたらしいですね。 投稿お疲れ様です!
@heiho_ita
@heiho_ita Год назад
このシリーズ面白い😃 唐と宋が熱そう😄
@user-gh5pi9ov7b
@user-gh5pi9ov7b Год назад
最初から最後までとても面白かったです(^^♪
@n.shikanohone
@n.shikanohone Год назад
特定の人にだけお茶や食事を用意せずその人を侮辱する話は現代でもよくある気がする それぐらい相手を居た堪れなくしてプライドを傷つける行為だということか
@user-vz3yw3mp9l
@user-vz3yw3mp9l Год назад
政治的にも儀礼・宗教的にも重要な肉の料理を食わせてもらえないは、食い物の恨みだけでなく、面子を潰された、蔑ろにされた、廃されるかも知れないという疑心暗鬼にも直結したのだろうと思えますね。
@panda688
@panda688 Год назад
嘘か真か羊が大きいから美しいんだそうで、やっぱり一番のご馳走がでかいっていいですよね。
@user-et6vx6gz4b
@user-et6vx6gz4b Год назад
玄酒については湯島聖堂の儀式で用いられると聖堂に置かれていた展示品の解説があったのですが、 アルコールを供えないのは仏教の影響だと思っておりました。 水は黒であるというのは、確かに爵などの青銅器に入れると黒く見えるのでなるほどといった感じです。 始皇帝の秦は水徳の王朝だとかで臣下の衣服や旗を黒で統一したそうです。 また、羊の羹が日本で羊肉を食べる文化の無い日本で羊羹になるのは有名です。 これも有名な話で孔子の弟子、子路が政変により殺害されて塩漬けにされたため 孔子は悲しんで家にあった塩漬け肉を全て処分したそうです。 ネット上では孔子が捨てた塩漬けが何の肉なのかで都市伝説的に食人の話が出ていたことがありますが、 春秋時代の食人については子路の様な例は特殊なのか、はたまた一般的な事なのか気になります。 食べ物の話は面白いです
@user-bg1mt2dt2s
@user-bg1mt2dt2s Год назад
中国で水が黒いというのは、黄河の濁流をはらんだ激しい流れにより濁って水が黒く見えたことから。黄河流域の中華の人間からすると、水とは黄河のことであり、色は黒らしい。 日本人からすると、「なら黄河じゃなくて黒河じゃん」と思うかもしれないが、黄河は黄色い大地を割いて流れる川だから。上流の土地は確かに黄色い。 「玄」の字には「黒い」という意味と「天」、「遥か遠い」という意味がある。古代の祭祀では、王は天地に祈った。天に捧げる水を祭器に入れたので玄酒と言うのではないだろうか。 ただ、私も青銅器に入った水を見たことがないので、それが黒いことは知らなかった。かつての人はそこに夜空、天を見たのかもしれない。 ちなみに、現代の中華人民共和国でも、ある意味水は黒いらしい。悪い意味で。
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