参考文献
清永聡『三淵嘉子と家庭裁判所』
amzn.to/3ITwUOR
-----------------------------------
元高遠藩主の子爵家に生まれた頼広は、「殿様判事」と呼ばれ、紳士的なふるまいとルックスで男女を問わず人気があった一方、裁判官としての実力も高かった人物です。
若い頃は、裁判所が司法省の下に置かれている状況に怒り、反権力ともとれるさつき会の中心メンバーになって司法省への転任を拒否していましたが、終戦で司法界も180度転回する中、一躍出世を果たしていきました。
戦前からアメリカの家庭裁判所を見学するなど、当時の司法界でも特に家庭裁判所に精通していた頼博は、宇田川潤四郎が中心となって進める家庭裁判所設立にも関わり、一貫して宇田川や三淵嘉子らの支援者であり続けました。
今回は、宇田川潤四郎とともに戦後の家庭裁判所設立の中心人物となり、少年保護を主張する三淵嘉子の活動も支援した内藤頼博の生涯について紹介します!
-----------------------------------
画像引用
虎に翼公式サイト
www.nhk.jp/p/toranitsubasa/ts...
レキショック 公式Twitter
/ reki_shock_
中の人 個人Twitter
/ rekishock0919
レキショック WEBサイト
rekishock.com/
【画像引用】
#虎に翼 #朝ドラ #久藤頼安
14 июн 2024