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【飛鳥時代の遺構発見】大津皇子も訪れた? 神に仕えた斎王が存在した場所か 

飛鳥古代史
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27 окт 2024

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Комментарии : 40   
@正直ポチ
@正直ポチ Год назад
三重まで!お疲れさまでした。貴重な動画UP、ありがとうございます。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
斎宮、大好きです! 昔は「明和町」という駅でしたよね? 昔行った時、お年寄りの皆さんが楽しそうにゲートボールをしていたのが印象的でした。
@覚片岡-j3d
@覚片岡-j3d Год назад
5月12日斎宮に行って来ました❗。私が斎宮歴史博物館に入ってる間 他の見学者が一人も居なくて博物館は私の独り占め❗。ゆっくり見学出来ました。コドノ遺跡を見学したかったので職員の方に尋ねるたのですが、はっきりした場所分からない様子だったので残念ながら今回は諦めるました🥴。飛鳥時代の遺跡は動画ではビニールシートに覆われていましたが、私が見学した時はすでに埋め戻されていました。でも3cm 位の角材が沢山並んていました。 また、遺構を調査する際 木の根本を避けて発掘したのが分かりました。飛鳥時代以降の建造物もあるにしても かなり広範囲に斎宮跡が有り やはり重要な場所だった事が推測出来ます。大来皇女の人生も波乱万丈ですね〜。斎王を解任された後彼女が何処でどのように暮らしていたのでしょうか?。斎宮からの帰り 夏目廃寺展示館に寄りました。40過ぎまで優雅に暮らしたとの文面を目にしました。 本当かな…?。そうであって欲しいものです。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
斎宮に行かれたんですね! 嬉しいです。 コドノ遺跡は、ちょっと離れているのでわかりづらいのかもしれないですね。私もいつか行ってみようと思っています。 大来皇女の余生は幸せであったと信じたいですね。弟の面影と悔恨が甦らない日はなかったでしょうけれど。
@丹野利雄-q6v
@丹野利雄-q6v Год назад
ありがとうございます!
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
いつもありがとうございます! 本当に励みになります。
@まっちゃん-v3w
@まっちゃん-v3w Год назад
斎王と聞くと、大来皇女と大津皇子の悲しい物語を思い出し、切ない気持ちになってしまいます。これも妄想ですかね…。悪天候の中、お疲れ様でした。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
そうなんです。大来皇女と大津皇子、悲しい物語ですよね。もしかしたらここを大津皇子が訪れたのかも、と思うと、切ない気持ちになりました。
@安岡惠美
@安岡惠美 Год назад
斎宮が女性であることに日本における男性と女性の役割分担の歴史をうかがい知ることができました。現代はどのように継承されているか興味が向きます。有難うございます。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、斎王が女性というのは興味深いですよね。個人的には、卑弥呼のシャーマン的な力がその後も継承されたのでは?などと妄想しています。現代でも皇室関連の女性(黒田清子さん)が伊勢の式年遷宮の際、真夜中に行われる儀式にお出ましになっていましたね。
@さりながら
@さりながら Год назад
雨の中、お疲れさまでした。 途中、ブルーシートが掛かったところは、発掘中の現場ですね。 晴れていたら、発掘中の遺構を見学できたかもですね。 斎宮はなぜ神宮からこんなに離れた場所にあったのか、斎王が神宮へ赴くのは三節祭のときだけとういのも謎ですね。 大来皇女が、斎王に選ばれたのは12才のとき。幼くして母を亡くし、ひとり伊勢の地へ赴くのは心細かったことと思います。 大津皇子と一緒に過ごした時間はわずかだったはずですが、だからこそ、強く繋がっていたのかもしれませんね。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
おっしゃる通りの疑問を私も感じています。神宮に仕えるならなぜもっと神宮の近くに住まないのか。 伊勢神宮は天武天皇以降のものと個人的には考えていますが(それ以前にもあの地には何らかの社があったとは思いますが)、斎宮の場所にも何らかのいわれがあったような気がしてなりません。
@名古屋の白ウサギ
@名古屋の白ウサギ Год назад
@@umemaeSakiko 三輪山の山麓、檜原神社は笠縫邑伝承地とされています。・・ 斎宮は檜原神社と同じ緯度にあります。  檜原神社・・北緯34° 32° 18°・・・  斎宮跡・・北緯34° 32° 18°(動画の中で飛鳥時代の遺構が検出された場所) 檜原神社=斎宮・・緯度は正確に一致します。。  斎宮は檜原神社(元伊勢と呼ばれている場所)の真東に位置しています。。。天照大神は現在の伊勢神宮に鎮座されるまでは、斎宮に祀られていたとの説があります。笠縫邑のあった場所は、正確なことは分かっていないようで、諸説ありますが、、逆に考えれば、檜原神社が正解である可能性が高いと感じます。・・お話に割り込んでしまいました、失礼しました。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
檜原神社と斎宮跡の緯度は同じなんですね。以前書いた「皓月」という小説では、斎王が暮らす斎宮を檜原神社付近と設定したのですが、あながちホラではなかったかも。。。 貴重なご教示ありがとうございました!
@ながらさりながら
@ながらさりながら Год назад
レイラインですね。斎宮は、続日本紀に記されている多気太神宮であるとの説もありますね。瀧原宮と並んで、伊勢の地で最初に天照大神を祀った場所とも。そう言う意味では、斎宮も檜原神社共に元伊勢ですね。そうすると、なぜ今の場所に、わざわざ天照大神を祀り直したのでしょうね。
@覚片岡-j3d
@覚片岡-j3d Год назад
梅前さんが斎宮に行かれたので 私は近場の泊瀬斎宮旧跡伝承地の天神社に行ってきました。豊鍬入姫が化粧をした化粧川化粧壺の旧跡 この壺で大来皇女が禊をしたとされる伝承地です。ただ 看板は立っているのですが、何処が壺なのかさっぱり分かりませんでした😰。近くの八王子神社に立ち寄った時 地元の方と話しをしたんですが「色々伝承はあるけど確たる証を出せと言われたら無いわ…」と言われていました(笑う)。「化粧壺も整備されていないから看板が立っているだけやわ」と笑っておられました☺️。大来皇女を少しでも偲べればOKです✌️
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
天神社。元伊勢のひとつですね。一度行ってみたいと思いつつまだ願いは果たしていません。泊瀬斎宮旧跡伝承地の碑も近くにあるようですね。いろいろお出かけ下さりありがとうございます。またご教示よろしくお願いします♪
@民草1
@民草1 Год назад
民草1️⃣号: こんばんは。 やっぱり雨がつきものですね。 コメントされる方々の、貴重な情報は素晴らしいですね。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
ご視聴いただいている皆さんからのコメント、本当に貴重です。
@kk2488ii
@kk2488ii Год назад
斎宮、斎王と言うと源氏物語を思い出します。 悪天気の中、ご苦労様でした。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
ありがとうございます♪ 源氏物語でも斎宮はとても格の高い女性とされていますよね。現実から隔絶された高貴な人という感じだったのではと想像します。
@皆戸正幸
@皆戸正幸 Год назад
梅前センセイ、明和町の斎宮跡に行かれたんですね。僕も数年前に行ってきました。斎宮歴史博物館、いつきのみや地域交流センターも入りました。斎王の森には神宮司庁が管理する斎王宮阯も。明和町には「斎王まつり」があり見ごたえ満載です。 浅見光彦シリーズ「斎王の葬列」を読み、甲賀市土山町の垂水屯宮に出かけました。土山町には「斎王群行」も行われています。 明和町の「斎王まつり」と土山町の「斎王群行」を是非、梅前センセイに見てもらいたいですね。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
「斎王まつり」行ってみたいです! 土山町でも「斎王群行」が行われているんですね! ご教示ありがとうございます。機会があったらぜひ行ってみたいです。
@epiphonecasinoj
@epiphonecasinoj Год назад
古代伊勢道、すごいですね。ちゃんと再現されているとは。 日本ってホント、すばらしい国だと思います。 それはそうと、富雄丸山古墳。すごいものが出土しましたね。 ぜひ、梅前さんの取材、期待しております。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
古代伊勢道、とてもよかったですよ♪ ホント、すばらしいと思いました。 富雄丸山古墳、行ってみたいです!
@覚片岡-j3d
@覚片岡-j3d Год назад
ついに斎宮に行かれたんですね❗。大来皇女大好きな私もかねてから行って 見たかった所です。三重県なのでなかなか足を運ぶことが出来ませんでした。よくインターネットで検索して どんな所か調べたりしてました☺️。今回 動画にあげて頂いたので 気候が良くなったら是非訪ねたいと思います👍。三重の斎宮まで足がのばせないので、泊瀬斎宮旧跡に行こうかな…と思っていたところでした。春には三重の斎宮行くぞ❗。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
動画では行きませんでしたが、斎宮駅近くの「さいくう平安の杜」「斎宮歴史ロマン広場」「斎宮歴史博物館」などなど、丸一日楽しめる場所だと思います。特に、斎宮歴史博物館の映像展示は素晴らしかったです。ぜひぜひお出かけになってみてください!♪
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 9 месяцев назад
桜井茶臼山とかメスリ山古墳みたいな巨大古墳しか出土しないような玉杖(卑弥呼の絵にかいてある)が伊勢の小さな古墳から出土したみたいで、東京国立博物館が持っている。本当にこの辺にヤマトヒメがいたのかもしれない。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko 8 месяцев назад
貴重なご教示ありがとうございます。この周辺は本当に興味深いです。おっしゃる通り、ヤマトヒメとおぼしき女性がいたのかもしれません。
@kusunokikotaro
@kusunokikotaro Год назад
古代は祭祀王と統治王がいて、祭祀王の方が上だったということを聞いたことがあります。そういう見方からすると斎宮の存在は、祭祀王の存在が次第に薄くなっていく歴史を示しているのかもしれないと思いました。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
おっしゃる通りです。「マツリゴト」のうち、「政」の部分の比重が高くなっていくにつれ、斎王の存在が薄くなっていったということですね。
@kusunokikotaro
@kusunokikotaro Год назад
@@umemaeSakiko いまの日本は それを振り返って修正する必要とチャンスがあると思います。
@萩岡規佐子
@萩岡規佐子 8 месяцев назад
あのつむえのやまくち、つげの神社では、斎王行列が、復元されているようです。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko 8 месяцев назад
ご教示ありがとうございます。
@正樹和田
@正樹和田 Год назад
不思議に思っていたことがあります。斎宮は何故女性だったのかな?です。伊勢神宮は天照(女性)ですね、ならば彼女に仕える方は男性の方がふさわしいと思うのですが。ステレオタイプの小生としては府に落ちません。もしかしたら、天照神は男性なのでしょうか? にしても、雨風の中お疲れ様でした。大変参考になりました。次回も楽しみにしてます。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
なるほど。。。言われてみればそうですよね。個人的には、斎王は女性神に仕える女官、みたいな感じに思っていました。けれども、昼を司る神が女性で、夜を司る神(ツクヨミ)が男性というのも、ちょっと珍しいタイプの神話ですよね(ギリシャ神話では太陽神は男性で月は女神ですよね) 視点を変えるとまた新たな疑問がわいてきます。ご教示ありがとうございました。
@さりながら
@さりながら Год назад
神に仕えるのは巫女という考えからきているかもしれません。 卑弥呼もそうですね。 天照大神は本来男神であったものを、持統天皇が記紀に記す時に女神にしたという説もあります。 女神である天照大神が、孫のニニギを葦原中国の主として天降らせた。これは持統天皇が軽皇子へ譲位することに正当性を与えるために行ったとも考える説がありますね。
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 9 месяцев назад
@@umemaeSakiko 宮司が度会氏という海部系の氏族なので本当は饒速日とか徐福がアマテラスの元の神様なんじゃないだろうか?
@katubeni5191
@katubeni5191 Год назад
斎王ですか。倭姫命【第11代垂仁天皇の第四皇女】、豊鋤入姫命【第十代崇神天皇の皇女】そして、大来皇女【母は天智天皇の皇女大田皇女】と弟の大津皇子。斎王は結婚もできないし、皇子はいつ殺されるかわからない。どちらもいやですね。
@umemaeSakiko
@umemaeSakiko Год назад
大来皇女と大津皇子は気の毒です。母親が長生きしていたら、二人にはまったく異なる未来が待っていただろうと思うと切ないです。
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