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世界最強といわれた「零式艦上戦闘機」…零戦(ゼロ戦)が未だに語り継がれる理由とは?<後編>【梟軍事情報局】 

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18 сен 2024

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Комментарии : 136   
@user-db4mr6fb4l
@user-db4mr6fb4l Месяц назад
海軍が零戦に頼りすぎてたところもあるよね。日本機全体に言えることだけど、早くにパワーのあるエンジンを作れなかったこと。あと格闘戦有利の思想を変えられなかったことがダメだったね。
@泰之牧野
@泰之牧野 Год назад
何よりも見た目が格好いいし、初期の異常な戦果が印象的。
@23zcg
@23zcg 11 дней назад
零戦の凄さは経験豊富なパイロットに卓越した運動性能がプラスしたもの つまり一方がポンコツだとこのような歴史は起こらない ただ歴史で言われるほどの名機でないのも事実
@user-oo8tq7ly4z
@user-oo8tq7ly4z Год назад
アクタン島で鹵獲されたゼロ戦には裏話もありまして、 墜落して戦死したパイロットは古賀忠義(こがただよし)さんという人でした。 しかし調査報告書を書いたアメリカ人の日本語力が少々未熟だったようで、 「よしかちゅうぎ」と記されていたそうです。 ここから考えても、やっぱりアメリカ人が日本語を理解するよりも日本人が英語を理解するほうがまだ人材豊富なはずで、本気で取り組んでいれば情報でもっと優位に立てたのかもしれないなあ、なんてことを考えてしまいます。
@user-ji8zr1ei8h
@user-ji8zr1ei8h 2 года назад
チィラノサウルスみたいな存在ですね!
@蓮之都木
@蓮之都木 2 года назад
まず何よりもフォルムが美しい 全体的に丸っこくてカドカドしい所が全然ないのに。 機能を極めると機能美が出てくるのかな。
@user-dm5xk4xz5p
@user-dm5xk4xz5p Год назад
日本人によって設計され、日本人によって製造され、日本人によって操縦され、日本人とともに戦い、日本人とともに散っていった。まさに日本人のための刀。
@ゆめ乗り
@ゆめ乗り 2 года назад
名機は時代が変わっても、カッコイイですよね。
@guugoosuka6909
@guugoosuka6909 2 года назад
生産工数の多さや機体の華奢なところ含めて平時の戦闘機だよなぁ 実戦で結果は出しているけど、それは優秀な搭乗員あっての話。
@freeway104
@freeway104 2 года назад
優秀な搭乗員でなくても、普通の搭乗員で良いのだけどな。 戦争末期は、日本は満足な訓練も出来ていないパイロットをドンドン消耗させたからなあ。 要するに、零戦は優秀でも、それを使いこなす軍の上層部がバカであったということだ。
@guugoosuka6909
@guugoosuka6909 2 года назад
@@freeway104 普通の搭乗員を数揃えるというのが当時の日本には難題だったからねぇ 一騎当千の猛者を揃えたかったというより、日中戦争の経験がアドバンテージになって結果としてベテラン揃いになった感じ。
@crown3206
@crown3206 2 года назад
「舵」の発音がめっちゃ気になる
@wakajundouga
@wakajundouga 2 года назад
経験豊富なパイロットに卓越した運動性能の賜物
@ehehe123456
@ehehe123456 2 года назад
画期的戦闘機だったが、いつまでも優位が続かない兵器の世界。もっと早く兵器の開発ができるほど工業力があり、資源も潤沢にある国だったら次々に新型を開発できたでしょうね
@健久保田-x4k
@健久保田-x4k 2 года назад
そもそも沈められるとわかってて大型戦艦を開発したことも要因の一つです。 山本五十六は空母+零戦を量産して配備することを進めていましたが 上層部は戦艦の製造を優先しました。
@伊藤雲黒斎
@伊藤雲黒斎 Год назад
@@健久保田-x4k さん 艦も飛行機も量産できますけど操縦者は量産できないんですよ。赤とんぼもガソリン使いますし。持っているコマを有効に使う作戦を考えるべきでした。 航空攻撃で作戦行動中に撃沈された戦艦はプリンスオブウェールズ・レパルス・武蔵・大和の4艦だけです。日本にVTヒューズと高精度レーダー、ポンポン砲があれば戦艦はそれなりに活躍できたと思うのですが。
@SC-cn9eg
@SC-cn9eg Год назад
​@@健久保田-x4k まぁ大和建造開始時は大艦巨砲主義だったんだし、世界の国々は相手の国より大きい主砲つけた戦艦を作るのに躍起になってたし、それは現代だから言える結果論でしょ。
@健久保田-x4k
@健久保田-x4k Год назад
@@SC-cn9eg 五十六はそれに気がついていて戦艦の量産には反対したが軍部は聞き入れなかったらしいよ。
@健久保田-x4k
@健久保田-x4k Год назад
@@伊藤雲黒斎戦闘機 量産したとしても油が足りなかったので負けてたとは思いますけどね。
@user-wm8ff9pg3f
@user-wm8ff9pg3f 2 года назад
個人的に思うのは、零戦に防弾が考慮されなかった原因の一つに 『格闘戦ったら格闘戦!格闘戦できなきゃ戦闘機ぢゃないっ!格闘戦ったら格闘戦っ!』と 駄々をこねまくった某サーカス団の団長の駄々があると考える。 十二試艦戦の開発会議において、一撃離脱を主張する方(少佐だっけ?)と 舌戦を繰り広げ、駄々駄々駄々駄々駄々駄々駄々捏ねまくった団長がいなければ 開発方針も変わっていたと思う。 特に発動機の選定において、小型の発動機を選択したのは従来の日本の艦戦が小型であった事と 駄々を捏ねまくった団長のせいで、一撃離脱向きというか大馬力の大きめの発動機を 選ぶに選べない状況だった事が多分にあると考える。 零戦は1,000馬力級の艦上戦闘機としては、最高峰の機体だと思う。 2,000馬力、とまでは言わないまでも1,600馬力の小型発動機がなかった事が 零戦にとっては不幸であったと思う。 ちなみに本土防空において、ベテランが古い型の零戦を若手に譲って52型で出撃。 ベテランは撃墜されて若手が帰還するなんて事もあった事から 意のままに操る、という点において52型は古い型に及ばなかったと考えます。 機体重量が増えているのに、馬力据え置きじゃ仕方ないんですが。
@user-wm8ff9pg3f
@user-wm8ff9pg3f 2 года назад
@原田隆久 高速になると舵が風圧で痩せてしまい効きがわるくなるんですよね、当時の日本では把握できなかったようですが。 低速向きのセッティングもありますが、翼面荷重の問題もあるのではないかと思います。
@freeway104
@freeway104 2 года назад
「一撃離脱」とは聞こえはいいが、要するに、正面からガップリと戦っては負けるので、「不意打ちを食らわせて一目散に逃げる」という姑息な戦法だからな。 ま、当時、欧米は実際に零戦と戦ってみて、「もはや格闘戦では零戦に勝つことは不可能」とサジ投げていたようだな。その結果が、大馬力エンジンを開発して、それにより「一撃離脱」を図る、戦法も「集団戦法」「ペア戦法」として、1対1で零戦に勝負を挑むことは避けるようになった。
@user-wm8ff9pg3f
@user-wm8ff9pg3f 2 года назад
@@freeway104 姑息はいいすきでは?言いたくなるのはよくわかりますが。 やってる事って、通り魔ですまんね🤯
@ヤマトムサシ-x5l
@ヤマトムサシ-x5l Год назад
日本機とは巴戦をするなとの厳命が屈辱だったエースパイロットは、巴戦を挑んで墜としたり墜とされたり。
@キャッシュ満三郎
@キャッシュ満三郎 Год назад
ジャンルは違えど戦後は戦闘機ではなく、自動車産業で世界を驚かせたのは言うまでもない!
@723halaby7
@723halaby7 2 года назад
「技術者たちの敗戦」という本を思い出した。
@user-nz3yg4eh6m
@user-nz3yg4eh6m Год назад
英語でゼロファイターってのが格好いい、、
@快舟
@快舟 2 года назад
日本は一貫して戦闘の継続性を全く無視してるように感じる。
@red-pu1si
@red-pu1si 2 года назад
零戦が最強なんじゃないよ 中国戦線から闘い続けてきた飛行士たちの技量がズバ抜けていたというのが真実 軍部はそれら貴重な熟練飛行士たちを捨て駒のように使ったため、最後は練度の低い新人飛行士だらけになってしまった
@fracta39
@fracta39 2 года назад
「ゼロに遭遇した時は逃げて良い」というのは無敵神話のように語られてるが、実際には米軍は欧州戦線でもフォッケが登場した時に同じ指令を出している。つまり「得体の知れない敵とはむやみに戦うな」という慎重な用兵思想で対策が確立するまで戦わないという合理的思考の賜物でありことさら零戦が恐れられたわけでもないという話もある。
@まる-s3o
@まる-s3o Год назад
それってフォッケと同等に恐れられてたとも言える気がしますけども…。 まぁでもどっちにしろ弱点のわからない敵とまともに戦うのはリスクが大きいですしね…。 どっちにせよ「怖かった」のは事実だと思います。、
@伊藤雲黒斎
@伊藤雲黒斎 Год назад
零戦好きなみなさんホンダに乗りましょう。なるべく小さいの。昔のCRXなんて軽くて速くて運動性も良い。かつて海軍パイロットが味わった爽快感が味わえます。 但し衝突してもされても身体や命の保証はできかねます。零戦と同じです。凝ってるなぁ。若いうちにパッと咲いて潔く散りたい若人よお近くのホンダディーラーへ。
@user-kz8nw7gi7d
@user-kz8nw7gi7d 2 года назад
7試→9試(96式艦戦)→12試(零戦)と来てたから、昭和14年か15年にはポスト零戦の試作発注があっても良かった。 ↑これは戦後、海軍戦闘機の試作審査を担当した小福田さんが悔やんでる。 このタイミングなら、「誉の呪い」に遭わず、今度こそ金星エンジン搭載の艦上戦闘機が生まれていたでしょう。 ↑ただ、15試だと12試艦戦の瑞星→榮のように試作途中で誉を押しつけられた可能性はある。 実際には14試局戦(雷電)の設計が割り込んだ。 同じ頃、中島の海軍機設計ラインは13試陸戦(後に改良されて月光)、13試陸攻(深山)、14試艦攻(天山)を担当してたので、こっちも手一杯。 海軍側も三菱12試艦戦の仕上がり具合を見ながら、中島へ次の次の艦戦を発注する余裕も無かった。 ↑航空本部・空技廠は少数精鋭なので、もともと人数が少ない。
@zoroasuta__
@zoroasuta__ 2 года назад
そこまで詳しくないのですが、昭和14年、昭和15年だとポスト零戦となる烈風が載せる金星(ハ43)は開発が始まっておらず、三菱重工も零戦で手一杯だったので事実上発注は無理だったのではないのですか?
@user-kz8nw7gi7d
@user-kz8nw7gi7d 2 года назад
@@zoroasuta__ 様 金星自体は零戦の試作が始まった昭和12年にはありましたよ。 設計要求に従えば嫌でも機体が大きくなるので、少しでも小型化したくて、金星より一回り小さい瑞星を選んだんです。 その後、海軍から「中島の栄にしろ」と設変の指示があり、史実の零戦へと繋がります。 生産体制については、史実でも中島がかなりの零戦を作ってます。 なので、仮想の新型とオーバーラップする時期は、中島で零戦を作り、三菱は新型へライン変更になると思います。 まぁ、死んだ子の年を数えるような繰り言ですが。
@zoroasuta__
@zoroasuta__ 2 года назад
@@user-kz8nw7gi7d なるほど、それから新型に際しても二千馬力級の18気筒の金星と誉が選択肢に上がって誉が選ばれたということですか。でも、そこまで三菱が小型の金星に拘ったのがわからないです。確か、翼面荷重が小さい方が格闘性能が高かったんでしたっけ?格闘戦主義だったということなのでしょうか、
@user-kz8nw7gi7d
@user-kz8nw7gi7d 2 года назад
@@zoroasuta__ 様 金星の18気筒版とも言えるハ43は、中島・誉の後追いの開発でしたね。 確かに、コイツは無理です。 なので、あくまで金星の40型系か50型系になります。 おそらく、史実の5式戦に近い性能の機体になるんじゃないでしょうか
@user-kz8nw7gi7d
@user-kz8nw7gi7d 2 года назад
@@zoroasuta__ 様 >格闘戦主義だったということ そうですね。もの凄い軽戦闘機志向でした。 12試艦戦の開発がスタートした直後に、日中戦争が本格化して、現場から「次はこんな戦闘機が良いな」と言う要望が来ました。 その内容は 「速度や航続距離が少し落ちても、クルクルよく回る戦闘機が欲しい」 というものでした。 航空本部は「そんなんじゃ明日の戦闘には勝てない」で一蹴してましたが、格闘性能至上主義だけは生き残ってます。 海軍の中にも冷静に 「じゃあ、複葉の練習機(いわゆる赤トンボ)が一番てことかい?」 と突っ込み返す人もいましたが、ごく少数でしたね。 実際、12試艦戦の試作機が出来上がった後も、 「まるで艦上攻撃機だ。デカすぎる」 「96式艦戦に比べて動きがモッサリしてる」 と、良い評判は上がってません。 この「軽く小さく良く回る」の3要素は、1930年代後半の日本戦闘機設計陣にとって強迫観念みたいな物でした。
@アズサ-g1n
@アズサ-g1n 2 года назад
うぽつです。
@user-sf8qb7xq5k
@user-sf8qb7xq5k Год назад
海上で直接対決したグラマン鉄工所は今一つ映えないデザイン(自分は好きだし、F4FもF6Fも動画一本分になりそうなエピソードには欠けるも運用まで含めた兵器としてはww2随一の傑作機だと思います)だし、開戦まで太平洋戦線を侮って2線級のカーチスやハリケーンで苦戦。諸外国が日本の工業力を侮り過ぎたギャップも大きかったんでしょう。ww2ではついぞ航空対決は無かったけれど、先のノモンハンで97式戦の実力を目の当たりにしたジューコフは極東の航空戦力拡充に本気で取り組んでました。
@ジョニーサカモト
@ジョニーサカモト 2 года назад
エースパイロットたちはゼロ戦は最高と言っていたが20mm機関砲で敵機を落としたのではなく7.7mm機銃で打ち落としていたという・・・
@菅野裕之
@菅野裕之 2 года назад
現実には、そのようですね。対戦闘機では、20㎜は弾速が遅く弾数も少ないのでかなり有利な位置でないと役に立たなかったとか…その点7.7㎜は弾速が早く弾数も多く機体の中心にあるため使いやすかったらしいです。あの撃墜王、岩本徹三さんは少ない弾丸で相手を仕留めるため、積極的にパイロットを狙ったそうです。
@yamasan4239
@yamasan4239 2 года назад
20ミリ機銃弾は 小便弾と言われ当てるのが難しかったようですね
@akibanokitune
@akibanokitune 2 года назад
装弾数60発じゃ5秒程で弾切れだから照準合わせしてる間に終わるね。 まぐれで当たったら敵機の羽がもげるとかスカッとしたらしいよ 結果的にはアメリカ空軍の様に50口径ぐらいの機銃で弾数増やした方が正解だと思う
@色々保存サブ
@色々保存サブ 2 года назад
20mmは大型機用だからその用途では問題にはならなかったけど想定にはない対戦闘機では2号銃になるまで殆んど使い物にならなかったらしい
@異端ネロ
@異端ネロ Год назад
敵の爆撃機に対しては有効だったのではないか?格闘戦が持ち上げられるけれど。 しかし、20mm機関砲があっても爆撃機の銃座に近づくのは悪手というのはあったようだ。
@かーくん-v6d
@かーくん-v6d 2 года назад
戦前に開発されたと言う点でF6Fとかより一世代古い機体が「苦戦を強いられてる」とかで済む時点で十分強いんよなぁ…
@hira5391
@hira5391 Год назад
地上攻撃のある中国大陸から空戦主体の対アメリカになってからは20ミリ機銃はおろすべきでした
@矢後光規
@矢後光規 2 года назад
零戦のコードネーム、ZEKE・HAMP(32型のみ)ZERO・ZIRO(堀越技師の名から)  戦時中、オーストラリアから交換船で帰国した民間人はほとんどが船艙に押し込まれたが一部の人々が船室を与えられた、船室を与えられたのは三菱の社員とその家族、理由は零戦を作った会社人間だから、 実際は商事の方でメーカーの人では無かった、と半世紀以上前に読んだ本に載っていた。
@にゅる-k5o
@にゅる-k5o 2 года назад
超々ジュラルミン による軽量化、20mm機関砲。攻撃は最大の防御。 しかし、1発当たると終わってしまう。 それに比べるとグラマン鐵工所はケツにつかれて撃たれてもなかなか落ちないから次にチャンスがある。 紫電改でやっと米に追いついたが時すでに遅し。
@akibanokitune
@akibanokitune 2 года назад
紫電改は優秀だけど量産に向かず、たった1400機ほどの生産だから1万機以上製造された零戦が主力だった。 燃料も零戦には質の良いガソリンが使われたそうです。
@色々保存サブ
@色々保存サブ 2 года назад
@@akibanokitune 紫電改はパーツが零戦よりも少ない紫電よりさらに簡略化されていてダグラスシステムなども導入してたから大量生産には向いた機体だったはず
@NAME5466
@NAME5466 2 года назад
@@akibanokitune 零戦を優先したのではなく,零戦のエンジンはオクタン価の高い燃料でないとまともに飛べなかっただけですよ
@kurikumakunn4649
@kurikumakunn4649 Год назад
零戦が落ちた時しっかりと打って壊しておけば…。そう言う決まりだったのに
@川井ヒカル
@川井ヒカル 2 года назад
知名度で言えば、零戦は他の日本陸海軍戦闘機中別格に世界的に有名です。少なくとも軍関係者の間では知らない人はまずいません。大東亜戦争当時の日本国内では全く知名度はなく、陸軍の隼の方がプロパガンダ映画などもあり圧倒的に有名であったそうです。零戦の初戦果は中国は漢口の12空に進出した11型零が国民党軍戦闘機を27機撃墜したと日本側の公式発表がありますが、戦果報告は必ず誤認があり、戦後の調査では国民党軍の被害は十数機であったようです。それでも一方的な戦果であった事実は変わりません。 アクタン・ゼロによって米軍に零戦の重要部分の多くが露呈することになりましたが、実は戦後まで中島制栄エンジンの中島制キャブレターの性能は流石の米国でも分からなかったと言う事実があり、その後インジェクションが主流となりあまり注目されていませんが、中島のキャブレターは世界最高の性能がありまして、ロールスロイスですら同じ性能のキャブレターを開発できたのは何年も後のことでした。 1000馬力級の栄ですが、背面、急降下、急旋回と如何なる状態でもエンジンがチョーク(燃料と空気の混合比が濃すぎる。)もストール(同混合比が薄すぎる。)もしません。これも全く記憶されていませんが、高度3000mまでなら1000馬力級の零戦の方が2000馬力以上の米軍機より短時間で上昇できることも注目に値すると思います。米軍機の場合高高度性能に焦点が当てられ、低空では排気タービンなどの過給器がかえって排気抵抗となったのか、それとも当時の排気タービンの技術レベルが低かったせいか、エンジンがスペックどおりの出力を出せていません。
@十二試艦戦
@十二試艦戦 2 года назад
ソースはどこでしょうか?
@ゴンゾー-v3r
@ゴンゾー-v3r 2 года назад
堀越二郎さんが、戦後零戦についてあまり語らなかったと聞きました。なんでも特攻隊に使用されて多くの戦死者出したかららしいと聞きました。正しいかは分かりませんが?そして、こうも聞きました。零戦のことを話すときには、もっと馬力のある排気量の大きなエンジンにしていればあそこまでひどいことにはならなかったと後悔を話していたと、かなりつらかったんでしょね、海軍の提案で中島航空の栄エンジンを使ったからでしょう、次期主力戦闘機烈風のときは海軍の要求を説得してかえてでも、大きなエンジンを積んだらしいですね、それと防弾装備もしたらしいですね。海軍がもっと戦闘機について理解していれば零戦はもっといい戦闘機になっていたかも?
@ヤマトムサシ-x5l
@ヤマトムサシ-x5l Год назад
金星の搭載を求めたけれども栄使用を命じられ、烈風もハー四三だったけ? 求めたけれども誉を命じられ、性能が低く過ぎてハー四三で開発を再開したけど敗戦。
@jx6004
@jx6004 Год назад
堀越技師は戦後も航空技師としてYS-11などにも関わり、自身で著書も出しメディアの露出もあり、むしろ自身の功績を積極的にアピールした人だと思っていました。 戦後、全く語らなかったのは隼、鐘馗、疾風などを設計した小山悌の方だと思います。「われわれの設計した飛行機で、亡くなった方もたくさんあることを思うと、いまさらキ27がよかったとかキ84がどうだったと書く気にはなりません」と言って、戦後は飛行機どころか自動車さえかからわず、林業関係の仕事をされました。
@ナロ-z3b
@ナロ-z3b 2 года назад
ここでウンチク語る人は恥ずかしくないのかな
@lucifer7922
@lucifer7922 2 года назад
批判的な人達よ 『零戦 搭乗員たちが見つめた太平洋戦争』 を観てくれ。
@さむぅ-z2s
@さむぅ-z2s 2 года назад
酒井三郎氏(故人)は出てこなかったなぁ。酒井氏も一撃離脱の戦法、そしてゼロ戦の最大の強さはその圧倒的な航続距離だと言う。空戦には持ち込まず、いかに早く敵機を見つけ、敵に気づかれることなく有利な位置から攻撃をすることが重要だと。敵が気づいたときにはもう勝負は決しているという。酒井氏は昼間でも星が見えるくらいに目を鍛えたらしい。そして氏によるとゼロ戦はその性質上急降下が不得意かつ速度超過では機の制御が難しく、神風特攻はほとんど戦果なく無駄死にだったと証言・・・。
@ヤマトムサシ-x5l
@ヤマトムサシ-x5l Год назад
あげ足取り済みません。 酒井ではなく坂井では…
@飛行艇-z6r
@飛行艇-z6r 2 года назад
チャンネル登録者です。 グッドボタンを押しました。 <前編>に引き続き<後編>も興味深く視聴させていただきました。 わかりやすかったと思います。 これまでに零戦搭乗員であった方々の戦記を何冊か読みました。 「シコルスキー」とも呼ばれたF4Uコルセアや、「ペロハチ」とも呼ばれたP-38については、各搭乗員によって評価が分かれているのですが、グラマンF4Fについて「与し易い相手」としている方は皆無でした。 零戦のほうが格闘性能が良いので、F4Fに機銃を撃ち込む機会は到来するそうですが、機銃を撃ち込んでもなかなか撃ち落とせず厄介であったそうです。
@kazusan120764
@kazusan120764 2 года назад
鹵獲されたのは致命的でしたね。 あれで手の内が全部晒されてしまった。 ちなみに自動車やバイクの最初の客はライバルメーカーだそうで、全バラして徹底的に調査するのだそうです。
@jx6004
@jx6004 Год назад
ヘルキャットはその頃にはほとんど完成していたそうです。零戦対策はアクタンゼロがなくてもできていた。確固たる裏付けにはなったでしょうが。
@user-dk1gw7mn5o
@user-dk1gw7mn5o 2 года назад
語り継がれる スピット→救国戦闘機 ムスタング→最高傑作 無視するのは如何なものか
@BronzyTetsuya
@BronzyTetsuya 2 года назад
確かに「世界中で語り継がれる戦闘機は零戦をおいて他にありません」というのは過言です。 他を無視したと言われても仕方ないし。零戦は大戦中の名機として名が挙がる、くらいが妥当なのに。
@freeway104
@freeway104 2 года назад
あんなあ、 素人がグダグダ素人判断してもしょうがないのだよ。 戦後にアメリカの航空専門雑誌が、多くのパイロットや技術者、設計家などの声、そして戦時中の実績などを総合的に検証して、「世界最強の軍用機6傑」を選んでいるが、第二次大戦の戦闘機から、ムスタングやスピットファイア、フォッケウルフなど差し置いて、零戦をただ1機選んでいる。
@user-dk1gw7mn5o
@user-dk1gw7mn5o 2 года назад
@@freeway104 さん スピットを救国と呼んだり、ムスタングを最高傑作と呼んだ人達を全員素人扱いするのは、いささか言い過ぎかと思います。
@fracta39
@fracta39 Год назад
じゃあ零戦は海軍を調子に乗らせて亡国への道をひた走らせた亡国戦闘機ってことでOK?
@dreamjourney1
@dreamjourney1 2 года назад
「舵」のイントネーションが、おかしいです。普通、「か」を高く発音します。
@Reiwa4KARASU10Age28
@Reiwa4KARASU10Age28 2 года назад
ゼロ戦を開発した技術があったから、戦後の日本国の復興に役立ったと思われる。又、省エネの技術にも大いに役立ったと思われます。 今後に於いても、日本人の持つ未来性の思想を伸ばす教育を高める事が必要です❣️❣️❣️
@ehehe123456
@ehehe123456 2 года назад
当時のアメリカの政府高官は死の商人としての守銭奴だけだったんだなw
@blowinthewind2013
@blowinthewind2013 2 года назад
零戦や兵どもが夢の跡・・・
@user-us7nn1iv3h
@user-us7nn1iv3h 2 года назад
緒戦の活躍は米英が日本の航空技術と日本人パイロットに対しての理解が不十分で、加えて当時の日本軍パイロット達が中国戦線で鍛え上げられたベテラン揃いであった為、ゼロ戦は1000馬力級の戦闘機としては究極の戦闘機であったが、それはあくまでも1000馬力級の戦闘機の中ではの話であり、緒戦優位の要因は前記の二つに依る処が大きいと思う、追記として、学者肌の堀越二郎氏の設計した零戦は軍の要求を満たす為に、それ以外の戦闘機と云う道具に必要な装備の殆どを削り落とした戦闘機であり、その点では中島飛行機の叩き上げの技術者、小山 悌技師の一式戦闘機(隼)とは違った視点で造られた戦闘機であった、Zero(零戦)はもはや我々の敵ではないが、Oscar(隼)には若干の注意を要すると大戦末期の米軍レポートが残る。
@色々保存サブ
@色々保存サブ 2 года назад
ここでは過小評価&反日キッズVS過大評価&零戦信者が見れるかな?
@sk-dc5xl
@sk-dc5xl 2 года назад
零戦ってそこまで評価されてるかな? 過大評価されるのがp51 過小評価されるのがbf109 だと思ってた…
@色々保存サブ
@色々保存サブ 2 года назад
@@sk-dc5xl 最近は評価されにくくなってる気がする、Bf109は過小評価というより知名度が低いかも
@sk-dc5xl
@sk-dc5xl 2 года назад
知名度が低いのか何なのか 「航続距離短いィィ」 「機動性ないィィ」等とdisる人も居るし そりゃ私らの機体と比べればそうなるよね てかドイツ機全般「一撃離脱」とかいう戦法を基にして作られてるから それと他国それぞれ運用思想が違うしね
@色々保存サブ
@色々保存サブ 2 года назад
@@sk-dc5xl 機動力化け物の日本機とそれに追従するスピットファイヤと比べればそりゃ低いよねって感じするよね、航続距離も欧州ではちょっと短い程度だし。
@sk-dc5xl
@sk-dc5xl 2 года назад
bf109 g6の航続距離見てきたけど 880〜1114kmが限界らしいね… 直協戦闘機として開発されたからなのか…
@user-vr6sx2tl8q
@user-vr6sx2tl8q 2 года назад
零戦の高性能は装甲をペラペラにしたのと引き換えなものです。装甲がペラペラと言う事は、その性能を引き出す技能があってこそ。 ふと思えば今日の日本の企業戦士もペラペラな装甲(福利厚生や労働環境)で世界と互角に戦っているのだから零戦に載っている様なものでしょうか?
@freeway104
@freeway104 2 года назад
現在の最新鋭の戦闘機も、装甲の厚さを自慢にすることはない。 空対空ミサイル1発で吹き飛ぶからな。 零戦も、設計思想が「装甲を厚くする」のでなく「操縦性を究極に高めて、敵の弾を避ける」という点においたのだよ。
@whatyousee8518
@whatyousee8518 2 года назад
だいぶ過大評価ですね
@akibanokitune
@akibanokitune 2 года назад
過大というかアメリカ・イギリスが過小評価して痛い目に遭った。 特にイギリスはプリンスオブウェールズの新鋭戦艦を派遣すれば日本軍なんてビビって萎縮するだろうとたかを括ってた
@user-ue9qe6oh4i
@user-ue9qe6oh4i 2 года назад
零戦って、強さと引き換えに致命的な欠陥を抱えてたんですよね(いろいろありますが最も致命的なのは高速域で舵が効かなくなること)。そういう面では隼から疾風まで正常進化できた中島の方が優秀だったと思います。構造上、安全率を削るというのは、設計技術者としてやってはいけないことだと思っています(私も種類は違いますが設計技術者としてね)。
@user-dk1gw7mn5o
@user-dk1gw7mn5o 2 года назад
仮想敵を米国という巨大国家としたため、正面の直接戦力だけに絞るしかありませんでした。 継戦(補給や整備/製造、予備兵力)能力は、無視というより無理だった悲しい事実も解ってあげてください。
@user-wm8ff9pg3f
@user-wm8ff9pg3f 2 года назад
当時の航空力学が現物に追いついていなかった為ですね。 高速域で舵が効かなくなるのは、風圧に負けて舵が痩せてしまう為と なにかで読んだ覚えがあります。 隼から疾風までに関しては、アンフェアな比較でしょう。 対空砲火ありきの陸軍機と艦上戦闘機を同一で語るのはナンセンス。 陸軍機の防弾性能や開発における対応が素晴らしいものであったのは確かです。 その陸軍機と同様の防弾性能を備えた艦上戦闘機を設計・製造できるなら 指摘も尤もだとは思いますが、前提条件が違い過ぎます。
@user-ue9qe6oh4i
@user-ue9qe6oh4i 2 года назад
@@user-wm8ff9pg3f 隼から疾風を挙げたのは中島の機体設計思想の一貫性の面です。海軍の無茶な要求も大きいのですが、三菱は零戦→雷電→烈風と迷走してますからね〜。
@user-wm8ff9pg3f
@user-wm8ff9pg3f 2 года назад
@@user-ue9qe6oh4i 三菱の迷走じゃなくて海軍要求の迷走でしょうに😆
@user-ue9qe6oh4i
@user-ue9qe6oh4i 2 года назад
@@user-wm8ff9pg3f ま、そうですね。
@鈴木正勝-j4s
@鈴木正勝-j4s 2 года назад
パイロットが優秀なだけ。シャーがガンダム相手に当たらなければ。 20ミリはションベン弾、私なら駆逐艦の爆雷部狙い誘爆狙う。F-6Fグラマン鐵工所には歯が立たない。エースパイロットはパラシュート🪂はションベン臭い物つけるか! でしょ?
@akibanokitune
@akibanokitune 2 года назад
零戦はまさにガンダムで言えば1年戦争末期まで主力になったザクなんだな
@ヤマトムサシ-x5l
@ヤマトムサシ-x5l Год назад
パラシュート降下しても終盤の無差別機銃掃射を考えれば、降下中に機銃掃射でなぶり殺されるだけ。
@user-jq5fx2me9e
@user-jq5fx2me9e 2 года назад
三菱の財閥が気に入らない。
@ポテトサラダ-s2b
@ポテトサラダ-s2b 2 года назад
零戦はいい機体でしたが、すごい機体ではなかったですね。結局のところF4Fと戦果ほぼ五分ですし(どちらかの都合のいい発表じゃなく、それぞれの損害を見比べればそんなもの) また20世紀じゃあるまいし、アクタン・ゼロを未だにここまで大きな影響があったと評価する動画は、久々に見た気がします。
@akibanokitune
@akibanokitune 2 года назад
っていうか開発時期からすれば対F4F兵器だったと思うのだが ミッドウェー海戦ではエンタープライズの戦闘機搭乗員が零戦相手に空戦するのは必須で戦闘前の食事を死刑囚最後の食事とまで言ってビビりまくってたんだよ
@ポテトサラダ-s2b
@ポテトサラダ-s2b 2 года назад
@@akibanokitune 対F4Fはありえないでしょう。そもそもお互い戦闘機のまともな情報は持ってないでしょうし。同時期の機体だと言う事ならそのとおりですね。 だから普通に同じような戦果を出したと言うことです。 ビビってたというのはどうでもいいです。エンタープライズ搭乗員がビビってたから零戦が強くなるわけでも、ヨークタウン搭乗員がビビってなかったから零戦が弱くなるわけでもありません。
@ポテトサラダ-s2b
@ポテトサラダ-s2b 2 года назад
@@Harpoon- すみませんが本気で何言ってるのかわかりません。 零戦が敵攻撃機や爆撃機と戦っての損害ですしってそれはF4Fも同じ。お互い様でしょう。 そもそも敵陸軍機やB17と戦ったときの結果は、F4Fとのキルレシオになんの関係もありません。 そんなことを言い出すなら、数や質的に日本軍が優勢だった太平洋戦争前半の空母戦で、零戦と同程度の戦果を残したF4Fって超スゲーってなっちゃいますけどw 零戦もF4Fも方向性は違えど、全体の性能はほぼ同等だったと思いますよ。
@十二試艦戦
@十二試艦戦 2 года назад
まず数が違うからキルレだけ見て語るのは良くないねそれと米は落とされてもまた復活できた日本は落とされたら終わり、数、人員米の方が有利で戦ってたんだからキルレだけでダメと判断するのはどうかと。
@greyghost1140
@greyghost1140 Год назад
@ポテトサラダ どう調べればいいのかわからないから教えて欲しいんだけど ミッドウェイのF4Fの戦果ってどんな感じなの?
@mattsong3975
@mattsong3975 2 года назад
零戦は、日本国内では、『零式艦上戦闘機』として、知られていたのですか? アメリカから、【ゼロ】と呼ばれていたわけですから、日本国内での名称は、帝国海軍の内部だけでなく、日本国内で知られていたということでしようか。
@紅のプー太郎
@紅のプー太郎 2 года назад
あまり詳しくはないんですが、戦争中は秘匿扱いで一般には知られてなかったみたいですし、戦後の漫画でゼロ戦ハヤト?とか戦記物の本で、名称が知られるような感じなのかな? 大和と武蔵は、呉や横須賀で酔っ払った勢いで、ついつい漏らした軍関係者か兵隊がいた模様で、わりかし知ってる方々が居たみたいですけどね。
@mattsong3975
@mattsong3975 2 года назад
@@紅のプー太郎 さま そうなのですね。であれば、帝国議会の予算審議も殆ど意味なさないですね。軍機ですから当然かもしれませんが。 ただいま、大和や武蔵への言及がありましので、急に気になったのですが、ジェーン年鑑ではどうなつていたのだろうと思いました。自国民は知らないけれど、また、帝国議会議員は知らないけれども、ジェーン海軍年鑑に載っていた、としたら随分おかしな話ですので。 どうも有難う御座いました。
@紅のプー太郎
@紅のプー太郎 2 года назад
@@mattsong3975さん  ふと思ったんですけど、厚木や大村(長崎県)に航空隊の基地がありましたけど、大和みたいに酔った勢いで漏らした基地関係者や整備やってる方々が居たかも?ですよ? それと、大和型の建造中に米海軍が感づいてた模様で、主砲こそ40センチと間違えてますが、排水量等々は少し小型の推測値で、ジェーン海軍年艦に記載されてたとしたら、推測値じゃ~ないんですかね?
@タカハシヒロトシ
@タカハシヒロトシ 2 года назад
戦闘機としては優秀だったが 機体を軽量化するために 防弾構造が無く パイロットを失う原因になった そもそも戦闘機開発の 考えが違う…
@akibanokitune
@akibanokitune 2 года назад
源田が悪い 零戦改良案を大和魂の一言で蹴った馬鹿者
Далее
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