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京都の川を訪ねる(第1回)菊渓川 

歴史じぃじ
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京都の川を訪ねるシリーズの第1回、菊渓川。
上流は菊溪菊の咲き乱れる桃源郷だったという。
下流は下水道に呑み込まれ、廃河川を探す旅となります。
でも最後に待っていたのは不思議な縁、、、
#京都
#菊渓川
#菊渓菊
#鴨川
#仲源寺
#KYOTO

Опубликовано:

 

26 июл 2024

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Комментарии : 18   
@anko7777
@anko7777 2 месяца назад
この川はほとんど暗渠になってて分かり難いですね。 東大路の西、路地の所ですが昭和30年代は開渠になっていたのを確認しています。 興味を持って西に辿ったところホテルの板戸、向かいの板戸迄確認しましたがそれより西は人家で入れず。 もう一つ西の通りと安井北門通りの角は、お風呂屋さんの前庭広場でした。 その西側には路地が有り暗渠の痕跡だったのではと思います。 東山一帯には名水と呼ばれる井戸が多数在りました。 「料亭菊乃井」の先祖は北の政所が愛した「菊水の井」を守る茶坊主だったそうです。 その井戸は石塀小路と下河原通りの南角に在る、今は胡麻専門店「むらた」の敷地内に在ると聞いています。 村田さんは菊乃井さんの親族ですので「菊乃井」の名前の由来かと… 下河原の名前の由来ですが、轟川と菊渓川が合流して出来た砂礫地だとされています。 で、「中古京師内外地図」と言う明治時代に作られた、応仁の乱以前の京都の地図を見ますと、まさにこの辺で合流してるのです。 下河原通りから急坂になる所は度々氾濫したらしいのですので、もしかしたら轟川は付け替えられたのかも知れませんね。
@aratatakeda7971
@aratatakeda7971 2 месяца назад
コメントありがとうございます。実際に開渠時代の川をご覧になった方から、ご投稿いただけるなんて嬉しい限りです。 菊乃井さんの井戸の話も興味深いですね。村田さんは気付きませんでしたが、あの辺りは扇状地だったと思うと、あり得る話だと思いました。 下河原が、菊渓川と轟川の合流地点というのは幾つかの書物に書いてあったのですが、実はちょっと懐疑的でした。でもその地図に記載があるなら間違いなさそうですね。ご教示ありがとうございます。 今後も引き続きご教示いただければ幸いです。
@horikawa2012
@horikawa2012 4 месяца назад
東大谷墓地には時折り墓参しているが、 そういう名と歴史の川があったとは知らなかった。 当家のお墓は明治36年建造と彫られているので、 おそらくご先祖は菊渓川の往時の美観を 目にしていたんじゃないかな⁈ 子孫の私は今回のこの動画を見なければ、 間違いなく知らないままで終わったことだろう 御教示に対し誠に感謝いたします なお、かつての実家の至近に「西洞院通」という南北の通りがあるが、そこは昔、川だったと聞いた記憶があります。ご参考まで
@aratatakeda7971
@aratatakeda7971 4 месяца назад
コメントありがとうございます。東大谷墓地にお墓をお持ちの方からの投稿とは驚くとともに、大変嬉しく思います。 西洞院通の情報ありがとうございます。参考にさせていただきます。 かつては京都中に川があったようですね。今後もご覧いただければ幸いです。
@roserosa99
@roserosa99 4 месяца назад
良く調べられてますね~😊 団栗は「どんぐり」と、地元では読んでます。
@aratatakeda7971
@aratatakeda7971 4 месяца назад
え!そのドングリだったんですか?いや、お恥ずかしい!
@user-dg7kz4gk1m
@user-dg7kz4gk1m 4 месяца назад
去年の桜の季節に高台寺のライトアップを観てきました 菊溪川は知らなかったです 金運アップの秀吉愛用の大黒天さまにもお詣りしてきました 安井金比羅は縁切り神社としても有名ですね 大学生のころ、初詣の帰りにふと立ち寄り縁切りを願う絵馬に驚いたものです
@aratatakeda7971
@aratatakeda7971 4 месяца назад
高台寺の庭園は見事ですよね。ただ普通は高台寺墓地まで行かないので、菊渓川は気付かないかも。 安井金比羅宮は最近、縁結びの神様になって、女性に大人気に。いつも大行列ができていますね。
@Nishijima3896
@Nishijima3896 4 месяца назад
「轟川」より更にマニアックというか、京都人でも知っている人はごく一部ではないかと思われる、その「菊溪川」。本当に、目の付けどころがシャープですね。 ま、個人的には、上京区の「小川小学校(統合により消滅)」の脇、その名も「小川通」を流れていた「小川」が最も身近にあったのですが、私が確か小学2年の頃、暗渠になってしまいました。歴史じぃじ様のように、私は「小川」に焦点を当て探索してみたら新たな発見があるかも知れません。
@aratatakeda7971
@aratatakeda7971 4 месяца назад
コメントありがとうございます。小川を知りたいと思い、検索してみたところ、下記のサイトがヒットしました。物凄い場所だったのですね。 kyoto-albumwalking2.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-930a.html
@user-zc3bi2vl8o
@user-zc3bi2vl8o 4 месяца назад
菊渓川を知りませんでした。調べてみると絶滅危惧種のキクタニ菊を復活する運動がある様ですね。 コメントされていた西洞院川が九条車庫(以前は市電の今はバス)の西側の塀沿いに流れているのをかなり昔に見た記憶があります。今は塀も無くなり川は暗渠になっています。 因みに我が家のお墓は建仁寺に有ります。
@aratatakeda7971
@aratatakeda7971 4 месяца назад
コメントありがとうございます。西洞院川も面白そうですね。 それより建仁寺にお墓なんて凄い。由緒あるお寺ですよね。 次は轟川の予定ですが、建仁寺の中を流れています。墓地内は入れないので、外側をウロウロしました。 建仁寺墓地に入りたかった!轟川はご存じですか?
@user-zc3bi2vl8o
@user-zc3bi2vl8o 4 месяца назад
恥ずかしながら轟川の事を知りませんでしたのでネットで見ましたが色々な方が調べられていて、航空写真で見ますと大統院の北、民家との境がそうなのでしょうか?墓所はその隣の僧堂に有ります。
@aratatakeda7971
@aratatakeda7971 4 месяца назад
仰る通りの所です。まさにお墓は轟川のそばのようですね。
@user-zc3bi2vl8o
@user-zc3bi2vl8o 4 месяца назад
僧堂は拝観謝絶の場所ですが、もし御覧になりたいので有れば、ご協力は出来ますが?ただ墓地は建物や塀に囲まれていますね、西に少し開けた所は有りますけれど、川の事を考えてもいませんでしたからハッキリとは記憶に有りませんのでお役に立てるかわ分かりませんけれど、、。
@aratatakeda7971
@aratatakeda7971 4 месяца назад
お心遣いありがとうございます。ただ轟川は既に訪ねてきました。ぜひ次回の配信をご笑覧いただければ幸いです。
@kazzvita002408
@kazzvita002408 4 месяца назад
ブラタモリin京都っぽい たのしさ
@aratatakeda7971
@aratatakeda7971 4 месяца назад
ブラタモリは終わってしまいましたね。残念です。私は若いころ土質工学をかじっていたのて、地質学や地形学は大好きです。その知識が結構役立っているかもしれません。今後もご覧いただければ幸いです。
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