戦後76年プロジェクト「つなぐ、つながる」。きょうは、東京の下町で空襲を奇跡的に免れ、今も営業を続ける食堂を取り上げます。大変な食糧難の中、労働者たちを支えた食堂に、今変化が起きています。
東京・両国にある「下総屋食堂」。創業は1932年。ガラスケースから客が総菜を取り出して食事するスタイルは、創業当時のままです。
およそ10万人が命を落とした東京大空襲で周辺は焼き尽くされました。この下総屋食堂は奇跡的に難を逃れ、当時と同じ建物で営業を続けています。
「隅田川にね、死体がいっぱい浮かんでね、ひどいもんだった。あの惨状はね」(眞野和雄さん)
こう話すのは、近所に住んでいた眞野和雄さん、90歳。父親が経営する運送会社の運転手たちが食堂に通っていました。
「美味いわけないだろう。腹がいっぱいになれば良いんだもん。食べるところがないから、みんなそこで食べたもんだよね」(眞野和雄さん)
戦時中、国の統制下に置かれた食糧の流通。自炊が難しい単身赴任者などには、配給の代わりに外食券が発行されました。各地の食堂は外食券がないと食事ができない「外食券食堂」へと姿を変えていきました。
「下総屋なんかね、典型的な外食券食堂だったからね。俺が小学校行くときに、みんな並んでたよ。冬なんかな、寒いとこで」(眞野和雄さん)
空腹を満たすため、公園や学校の校庭、さらには国会議事堂の前でも、芋などの栽培が行われました。「餓死」という言葉が現実味を帯びた時代でした。
「日本中全部ひもじい思いした。ひどい時代だったね。たまに白米食わしてくれるんだけど、嬉しかった。おかずいらないよ。ご飯だけでおいしいんだよ」(眞野和雄さん)
戦後76年・・・店にはある変化が起きています。雰囲気のある店内が数多くの映像作品で登場するようになりました。この日は、店で撮影されたミュージックビデオを観た20代の客が来ていました。
「戦前も、ここがみんな来る憩いの場だったと思うと、すごく感慨深いです。ずっとこういう場所がなくならないで欲しい」(作品を観て来た20代の客)
眞野さんは改めて、平和への思いを訴えます。
「昭和一桁(生まれの)人間にとっては、今ほどいい時はないよ。食べ物おいしいし、俺は今一番いいよ、最高だよ。やっぱり平和は良いよな」(眞野和雄さん)
(10日11:17)
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8 авг 2021