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福島正則の生涯 実は内政手腕も抜群で幕府にも厚遇されていた 【どうする家康】 

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参考文献
黒田基樹『福島正則文書の基礎的研究』
(黒田基樹『近世初期大名の身分秩序と文書』)
amzn.to/410dK1H
福田千鶴『戦争の終焉と城郭ー福島正則の改易を巡る三つの疑問』
(藤田達生『近世成立期の大規模戦争 戦場論 下』)
amzn.to/3Gjf4mV
土井作治『広島藩』
amzn.to/3N2waJG
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福島正則は武勇一辺倒の武将で、時代を読めず改易されたというイメージがありますが、いち早く中央集権的な支配体制を構築するなど優れた政治力も持っていた人物です。
大坂の陣では江戸に留められますが、豊臣家滅亡後も有力大名としてトップクラスに位置づけられており、豊臣恩顧だから改易されたというわけではありません。
幕府の武家諸法度も当初は曖昧な部分が多く、不幸な事故での改易というのが正則改易の真相で、正則の事例を教訓に諸大名は幕府への届け出を厳格にし、幕府も法度の明文化を進め、幕藩体制は整備されていきました。
今回は、秀吉 家康に重用され、豊臣 徳川の融和のために最後まで尽くしたものの、時代の変化の犠牲となったエリート大名 福島正則の生涯について紹介します!
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rekishock.com/
【画像引用】
大河ドラマどうする家康公式サイト
www.nhk.or.jp/...
#どうする家康 #日本史 #歴史

Опубликовано:

 

26 авг 2024

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Комментарии : 42   
@nullpo1887
@nullpo1887 Месяц назад
改易の後に家臣宛で「油断してしまった結果こういう事態を招いてしまって申し訳ない」と謝罪した書状が残っています。 実は福島家改易は加藤家のお家騒動である牛方馬方騒動の翌年に起きてます。 大阪の陣の利敵行為などいくつもの不祥事が発覚したのですが、徳川秀忠は改易処分を下さず、利敵行為の当事者だけを切腹させ、加藤忠広はほぼお咎めなしの、当時としては非常に寛大な処分を下してます。 正則の「油断」ってもしかしてこれに起因してる?...と思ってしまいました。
@kamenriderlove
@kamenriderlove 9 месяцев назад
19:35 どちらかと言うと秀忠の統制強化の犠牲になった感じだと思う。
@giantnioinoba2023
@giantnioinoba2023 9 месяцев назад
不運というか、福島正則には同情を禁じ得ません。 葵徳川三代で蟹江敬三さんの正則が好きですね。関ヶ原での家臣への檄で、退く者はぶった斬るぞ~!は笑いましたw
@kangtrsuper5450
@kangtrsuper5450 9 месяцев назад
葵徳川三代の蟹江敬三さん演じる福島正則が完全に自分の中の正則です。すまけいさんの伊達政宗もハマり役だったし、やっぱり神大河だったなー。
@user-ys2hj8qo5f
@user-ys2hj8qo5f 9 месяцев назад
さらっと流してるけど関ヶ原を新説の正しい方採用してる。
@vianeplus
@vianeplus 9 месяцев назад
江戸時代最初期に切り米で配下に俸禄支給してるなんて先進性に脱帽。 ず~と涙もろい脳筋だと思っていました、すいません。
@theshowmustgoon5760
@theshowmustgoon5760 9 месяцев назад
レキショック様 決して「武」だけの人ではなく、政治家としても優秀だったということですね。
@user-ww3lc7bi6b
@user-ww3lc7bi6b 9 месяцев назад
戦才と内政能力は抜群だったと思います。いい意味で家臣に丸投げ気味なのも結果的に改易後に家臣たちに有利に働いた。惜しむらくは外交と徳川幕府内の情勢等を読む能力には欠けていたと言わざるを得ない。
@mnkmdst720
@mnkmdst720 8 месяцев назад
数十万石もの大封を与えられる人物ってのはやはり与えられるだけの器量があったんでしょうね 同じ七本槍でも正則と清正・嘉明の両加藤だけその大封で後の4人は5万石以下 特に最も出世しなかった平野長泰は子々孫々まで豊臣時代どころか明治まで数千石だった
@user-yh9vh6is1c
@user-yh9vh6is1c 9 месяцев назад
豊臣から徳川の世の中になって最後には正則は損をしましたね。
@user-ce3wm8nh7q
@user-ce3wm8nh7q 9 месяцев назад
あれだけ豊臣を推していながら最後の最後に我が身可愛さで豊臣を裏切った自業自得の凡将
@user-wk5pq8fn3h
@user-wk5pq8fn3h 7 месяцев назад
豊臣が冬の陣の前に集めた兵糧の内訳は、福島正則分八万石、徳川家分三万石(接収を免れたという説もある)、諸大名分三万石、商人からの買米二万石です。 福島正則からが半分なんですよね。 こんなにも大阪に兵糧を置いておく理由など特にないので、やはり接収見逃しは正則最後の奉公だったのではないでしょうか。
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke 9 месяцев назад
福島家の血筋が途中から山名家に代わってしまってるように記憶してます。 今も続いてるのかな…
@rekishock
@rekishock 9 месяцев назад
途中福島家から山名家に養子を出しているところまでは確認できたのですが、それ以上は確認できませんでした…
@takt9831
@takt9831 9 месяцев назад
福島・加藤などは豊臣家の親族衆として異例の出世をしながら最後は徳川方になった家だから徳川としては目障りでしょう。 黒田・藤堂・池田・山内・前田なども秀吉に取り立ててもらっているけど、元々が豊臣とは関係のない武家の出身なので幕末まで生き残れたのでしょう。 そういえば、今の徳川家当主が「嫌な大名家は江戸初期に全部潰している」と対談で言っていました。
@masao750
@masao750 9 месяцев назад
家康から秀忠への遺言は正則の改易です
@user-yh9vh6is1c
@user-yh9vh6is1c 9 месяцев назад
そうなんですか?
@user-iv5em8lu6h
@user-iv5em8lu6h 3 месяца назад
三国志の張飛ポジションの酒好き脳筋武将とイメージしてました。清正は関羽で。
@user-xw8rs6gc5b
@user-xw8rs6gc5b 9 месяцев назад
加藤清正と比べると人気が薄い印象があるんですが、好きなんですよね福島正則...。乱暴者だけど憎めないエピソードとかあって、実際知ってみると結構クレバーなんですよね。 恩のあった豊臣家の滅亡を見、共に戦った清正らが先に行って、後年は気がしょげちゃったのかなぁと勝手に思ってます。
@shun1670
@shun1670 9 месяцев назад
福島正則の戦一辺倒なイメージは間違いなく大河ドラマ『葵徳川三代』の蟹江敬三氏の演技で形作られたと思ってる笑
@user-gm1td9ff9z
@user-gm1td9ff9z 9 месяцев назад
俺もそう思う
@user-gy3hj5bc5t
@user-gy3hj5bc5t 9 месяцев назад
ってイメージにピッタリと当時言われてたから、元からああいうイメージだったはず。
@WearstFaker
@WearstFaker 9 месяцев назад
自分は福島正則は、徳川家康に近いと思う。 真面目に仕事をしていて、それゆえに強かった。 戦争は、個人の自分の強さではなく組織で戦うもの。 福島正則は、部下の教育がしっかり行き届いていた。だから戦争にも強かった。それがのちの世で武辺者のイメージを定着させたんじゃないかなぁ。
@user-fuji01
@user-fuji01 8 месяцев назад
小笠原に流罪になった宇喜多にお酒を届けていたエピソードが好きです
@motoyasushimizu7107
@motoyasushimizu7107 8 месяцев назад
ウチの地元の堀川つくった武将って小学校で習った。
@WearstFaker
@WearstFaker 9 месяцев назад
福島正則は大阪の陣などで豊臣家に与したい気持ちはすでになかったと思うなぁ。 徳川秀忠は、たとえ身内や親戚筋の豊臣家であっても、幕府の決めた物事に違反するものは公正公平に厳罰を与えると天下に示した。現代でいうと「法の下の平等」の考え方に近い。 戦国時代では名家だから横暴が許された。なんてこともあったが、秀忠時代から徐々に取り締まりが厳しくなった。 福島正則はそういった時代の移り変わりをすこし軽く見ていた節がある。 それでも徳川幕府に対しては感謝はすれど恨むなんてことはなかっただろう。
@parpoo3
@parpoo3 9 месяцев назад
正則は犠牲になったのだ
@K0BAYA5H1
@K0BAYA5H1 9 месяцев назад
福島正則が晩年を過ごした長野県の高山村では、今でも名君扱いされてるんだよね。
@user-zu6tc9mb7s
@user-zu6tc9mb7s 9 месяцев назад
徳川側についたものの葵三代では酒によっては不満をぶちまける…。酒でも飲まなければやってられなかったのでしょう。明らかに時代や世代が変わっていることをもう少し考慮するべきでした。
@chi-ki0
@chi-ki0 9 месяцев назад
福島正則の印象が大きく変わる動画内容だと思います。 仮に福島正則が大河ドラマの主役になるなら、この様な構成になると推測します。 1章・秀吉に仕え始める〜賤ヶ岳の戦い 2章・大阪城完成〜清洲移封 3章・清洲統治〜関ヶ原の戦い 4章・広島移封〜福島正則退場 (45話 武家諸法度〜家康退場・46話 広島城修築問題発生・47話 広島城修築問題への対応〜改易 48話 信濃高井野入封〜福島正則退場と予想)
@daioh_gtonburi9204
@daioh_gtonburi9204 9 месяцев назад
サムネ「秀忠殿ーーーーーッ!! 秀忠殿ーーーーーッ!! あんまりでござるぅーーーーー!!!」
@cancan5892
@cancan5892 9 месяцев назад
関ヶ原の戦い後、安芸、備後の49万石以上を得たのが後々ひびいていると感じます。これだけ多くの領土を中央集権的にうまく営んでいたのは、徳川幕府にとってはやはり脅威に感じたでしょう。独自の領地支配を家臣に許さず、重臣といえども勢力を持てない状況は、まさに徳川幕府が各藩に望んだことであり、同様の発想ができる正則に畏怖の念を抱いたのでしょう。やはり彼は武勇だけではなく、政治手腕に優れています。養子の正之を廃し実子忠勝を跡継ぎにした理由は、何でしょう?!やはり、実子が生まれれば家督を譲りたくなるという親心でしょうか?徳川との縁戚関係が、それにより絶えてしまう危険を考えないほど、親心は広く深いということなのかもしれません。こういう経緯を知ると、二代将軍秀忠が、何として福島家を取り潰したかった理由も見えてきます。居城の修理を文字通り厳格に裁こうとする幕府のやり方は、戦国の世とは異なり一種安定していた治世下での無理難題めいています。城の破却にしても、字義通り全面破壊と当時は捉えなかったという解説にもあるように、これを契機に徹底的に滅ぼそうという姿勢を感じてしまいます。この例を教訓に以後、武家諸法度を明文化し、事前届け出を確実に行うようになったというのを知り、泣き笑いしている正則の顔がちらついてしまうほどです。改易され、嫡男忠勝も亡くした彼は、もう抗する気力もなくしてしまったでしょう。気の毒です。せめてあの世で、秀吉相手に徳川の横暴を訴えて、酒宴でも開いて欲しいものです。
@WearstFaker
@WearstFaker 9 месяцев назад
幕府が福島正則を脅威に感じていた。というのは創作・・・。 福島正則は、実際はかなり政治に知略に優れていた将であることは間違いない。 そこらへんは戦国時代と豊臣時代と生き抜いてきたものだけはある。
@user-ws3pg1kb6t
@user-ws3pg1kb6t 9 месяцев назад
加藤清正 肥後52万石 福島正則 安芸49万石 池田輝政 播磨52万石 黒田長政 筑前52万石 浅野幸長 紀伊38万石 細川忠興 豊前40万石 加藤嘉明 伊予松山20万石 藤堂高虎 伊予今治20万石 京極高次 若狭10万石 京極高知 丹後12万石 田中吉政 筑後32万石 山内一豊 土佐20万石
@user-co4uy9zu1s
@user-co4uy9zu1s 9 месяцев назад
関ヶ原で家康に味方したのだって 三成憎しだからで心底から家康を慕ってたわけでもないしな
@pontarou01
@pontarou01 9 месяцев назад
前田の場合は、バカ殿演じてたから改易されずに済んだ。
@matukawatositane
@matukawatositane 8 месяцев назад
いまだに正則のことを三成憎しで東軍についたと思っているのは知識のアップデートが出来てないってことか
@zeke7457
@zeke7457 5 месяцев назад
誰が何と言おうと嫌い
@user-dr4dz7nh3j
@user-dr4dz7nh3j 9 месяцев назад
読み書きできない癖に、優秀ではない、豊臣の身内でありながら、最後は惨めな生きざまさらした
@matukawatositane
@matukawatositane 8 месяцев назад
この方奉行みたいな動きもしてるのでその評価は当たらないのでは?
Далее
外様でも優遇されていた大名
11:47
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