日本のマラソンは強かった/1984 LA Olympic Marathon>
1980年代のマラソン史を語る上でやはりこのレースははずせない。日本マラソン栄光の80年代にあって、最大の試練となったレースとして今でも深く脳裏に刻み込まれている。それでは、31年前の真夏のロサンゼルスへタイムスリップしてみよう。
日本代表は、言うまでもなく前年暮れの福岡国際マラソンを勝ち抜いた、瀬古選手、宗茂選手、宗猛選手。史上最強と言われたトリオ。一方、外国勢のメダル候補は、キャステラ(オーストラリア)、サラザール(アメリカ)、イカンガー(タンザニア)、ロペス(ポルトガル)。この時、日本の誰もが金メダルを確信していた。いや、メダル独占さえあり得るとの予想もあった。この当時の実況をあらためて聞いても、それは期待の域を超越し、勝利への確信に近い様相を呈している。しかし、現実はあまりにも過酷だった。灼熱のコンディションの中、壮絶なサバイバルレースが展開されていく。メダル候補が次々に脱落していく中、ついに日本の絶対的エースにも悲劇が。。。
31年前のこのビデオの編集をしながら、胸に熱い思いが再び蘇って来た。最後の日本の希望は宗猛選手に託される。しかし、激戦を制したのは優勝候補の中でただ一人最後まで残ったロペスだった。当時10000mの世界記録保持者マメーデとともにポルトガルの長距離界をリードしていた英雄。37歳の老雄と言われたが、その走りは正に世界一に相応しいものだった。銀はアイルランドのトレーシー、銅はイギリスのスペディングと全くノーマークの選手。日本選手のみならず、キャステラ、サラザール、イカンガーにとってもオリンピックで勝つ難しさを思い知らされる結果となった。
18 сен 2015