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"Karate Mirko Crocop"Takeo Nakayama:stronget seido karate man Master of Masaaki Satake K-1 Fighter! 

アオっくの超格闘技考察
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I"m kyokushin karate man.
commenting Takeo Nakayama legend!
He won kyokushin 9th all japan tournament 2rd place!
He won seidou karate all japan tournament twice!
He fought Takashi Azuma and Keiji Sanpei.
K-1 fighter Masaaki Satake respect him.
He is like a Mirko Crocop.

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14 окт 2024

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Комментарии : 219   
@kiyoshidoi8336
@kiyoshidoi8336 3 года назад
今から44年前、私が16歳高校2年の夏休みに芦原道場で約20日間お世話になりました。 初めての一人旅、新幹線とローカル線、船を乗り継いで八幡浜の道場に伺った自分を最初に迎えて頂いたのは芦原先生の奥様でした。 そして誰もいない道場で一人待っていると、芦原先生が2階から降りて来られました。 「今度、松山に新しい道場を建てるんだよ」 道場の壁に新道場の絵が描かれたパネルを飾りながら笑顔で話をされていた芦原先生を今でも鮮明に覚えています。 その日から道場の寮に入って連日稽古に励みました。 寮生の朝のランニングから始まり、午前中は道場でほぼ一人サンドバッグを相手に稽古しながら 午後は当時幼かった先生の二人の娘さんの遊び相手。夕方は道場稽古、寮に戻って寮生の晩ご飯の仕度など充実した日々を過ごしました。 中山先輩と初めてお会いしたのはその時に行われた芦原道場の夏合宿でした。 芦原先生もその時中山先輩と初めて会われたようで「君は何で髪を金髪に染めてるんだ?」って興味深く尋ねてましたね。当時の中山先輩は茶帯で、動画の情報とは違って身長は180㎝近くあったと記憶してます。 数日間の夏合宿後、寮に入ってきた中山先輩はとにかく明るい人で、私が寮で昼寝をしていると、そっと近寄って来て、耳元で「ワッ‼」とやられて飛び起きたりとか… 先輩にとって3~4歳下の私は、弄って気分を発散出来る弟みたいな感じだったんだろうと思います。 そんな中山先輩が珍しく「はぁ~」とため息をついていたので「どうしたんすか?」て尋ねると 夏合宿後、用事で八幡浜に居なかった芦原先生がもうすぐお帰りになるとの事 「先生にまたしごかれるよ…」 中山先輩の気落ちした表情に思わず笑ったら「コノヤロー何笑ってんだ‼」ってしばかれたりとか 今となっては懐かしい思い出です。 この動画を上げて頂いて、若き頃の日々を思い返す事が出来ました。 ありがとうございました。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
素敵な思い出ですね!
@1j545
@1j545 2 года назад
同じ頃現役で松山におりましたからお会いしてるかもですね。 金髪の件は「スゴいのが入ってきたよ。金髪なんだけど「美容院のモデルして』って答えてたよ」って笑いながらお話してくれました。 実力、才能共にあり、先生もすごく可愛がっておられましたが後にああいう分かれ方となり、更にはヤバい世界に行ってしまったそうで残念です。
@団地と段違
@団地と段違 3 года назад
あおっくさん、中山先輩を取り上げてくださいまして有難うございます。 感謝感謝です。中山先輩の身長は178cmが正しいと思います。 言葉に言い表せないくらい凄い方です。 本来ならば空手雑誌や映像で何度も特集されてもいいくらいの空手界屈指のホンモノの天才だと思います。昭和54年以降くらいから芦原道場芦原会館正道会館に入門された全ての門下生の方々が中山先輩に憧れて道場に通っていました。 私も当時中学生でしたが、指導も丁寧で 優しく化け物みたいに強く何よりも無茶苦茶カッコよかった。 佐竹雅昭さんも言ってますが中山師範がいなかったら正道会館も成長しなかったしK1も成功しなかっただろうと。 まさに真実だと思います。 今だ語り継がれる 世紀の天才 中山猛夫のさまざまな逸話があれば知りたいですね。 私は当時、正道館に移籍しなかった派 の人間なので中山先輩がいなくなってかなり落ち込みました。 あおっくさん、いつも 素晴らしい空手検証動画をUPして頂き 有難うございます。 これからも注目させて頂きます。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
お言葉、本当に感謝です!
@満広田
@満広田 7 дней назад
40数年前難波球場にある道場に通いました。その時に22才くらいの中山猛夫先輩(当時)に指導して頂きました。憧れでした。高校の同級生が定期入れにアイドルの写真を入れてるなか私は中山猛夫先輩の(極真の9回大会の中山猛夫先輩のハイキックのポスター)を切り取り定期入れに入れてました。気の強さ、空手の強さ、指導力どれも最高でした。
@kskitchen777
@kskitchen777 3 года назад
流石、あおっくさん。 中山猛夫師範を取り上げられましたか。 今から44年前、私が16歳で極真会館芦原道場神戸支部に入門した時、大阪道場で入門半年足らずの中山先輩が最初の昇給審査で4級を取った後、その3ヶ月後の審査で次は2級の茶帯となったと聞かされました。 第9回極真会館全日本空手道選手権大会に出場した後、初めて神戸道場にも来られるようになり、私が緑帯の頃組手をしていただき、10秒もたずに壁まで投げ飛ばされてばかりいました。極真の大会の様子は当時8mmフィルムで撮影された無声の映像を道場の壁に映写機で写して見せていただきました。 後に正道会館の全日本大会第一回、第二回とも初めて生で目の前で中山先輩の試合を見ていました。 対戦相手が正直気の毒になるような試合ばかりでした。 今思い出してもあれほど凄まじい空手を身に着けた人は他にいなかったのではないかと思います。 ビジネスの世界に進まれ空手は趣味とされたと聞いておりますが、後世までも「正道会館のネッシー」と呼ばれ、スパーリングで佐竹雅昭の前歯を折ったことでも有名でした。 正直正道会館に移ってからはサバキを捨て、極真ルールの中で有利になる「倒し」を追求した石井館長の方針に從う形でスタイルを変えて行きましたが、もしずっと芦原先生の元で空手を修行されていたら、また全く違う空手家になっていたのではないかと想像したりします。兎にも角にも、話せば尽きることのない思い出がありすぎる偉大な先輩でしたが、極真会館では大山泰彦師範以外はあまり取り合ってこなかった中山猛夫師範を取り上げていただき、有難うございます。 できるものなら、あおっくさんに直接会って、芦原先生のことや中山師範の事などお話しする機会があったら良いのになという気持ちにさせられました。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
すごいですね、ぜひぜひTwitterのDMなどでお話お伺いしたいです!
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
私は昭和54年4月に18歳で難波道場に入門しました。 少し先輩ですね。 本部の合宿でひょっとしたら お会いしているかもしれません。 2級の時 中山先輩にレバー打ちキメられて悶絶しました😅
@aktty9992
@aktty9992 Год назад
神戸の有馬さんが北斗旗に出るとき、中山さんと顔面有りスパー やってましたね。後、中山さん並みに怖い小林さん、優しそうな 山田さん、懐かしいです。
@通りすがり通りすがり-b9h
こんにちは。 自分は10代で初めてフルコンタクト空手というものを知った時、実は極真より正道会館を先に知りました。 当時、ベースボールマガジン社から出版された、石井館長がまとめた 「勝つ!ための空手」(?確か。うろ覚えです。) という技術書がありまして、これが大変勉強になりました。 石井館長や当時の正道会館の強豪選手がモデルになり、技術や考え方が数多く述べられているのでしたが、そこでは顔面手技無しのフルコンルールにおける最大の急所・狙いを、右脇腹…レバーと定めて、左の中段攻撃を中心としたスタイルが紹介されています。この本は当時の正道会館の強豪選手達の得意な戦法をまとめたといった側面もあるようなのですが、中山猛夫氏も左ミドルと左下突きが軸になってるように伺えます。この本が出た頃にはもう試合は引退されていたと思いますので、この本には登場しません。 因みに、この本の記載内容やこの本や他の雑誌に掲載されていた石井館長の突きや蹴りの写真を見て、これは凄い人だな…と思っていました。 それから正道会館は、「格闘技オリンピック」という自主興行のシリーズやリングス参戦を経て、K-1を開始していきます。 自分は当時、雑誌やテレビで観ていた立場ですが、コメント欄には当時道場にいらっしゃった方も多数みえられてるんですね。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
だから左の蹴り、突きが中心なんですね!
@hirousya
@hirousya 3 года назад
正道会館で何度か顔面有りのスパーしました。自分が180センチでそれほど身長差はなかったので、中山師範は178センチぐらいだと思います。ボコボコにされて鼻血まみれになったのもいい思い出です。佐竹さんやアダムワットともスパーしましたが、中山師範が一番怖かったです。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
おぉ、怖かったんですね……
@もも-o3w1x
@もも-o3w1x 3 года назад
忘れもしない中学生の時に 夕方難波の道場で見学さして頂きました 中山さんのサンドバッグの 蹴りからのねじれて上にはねあがってました 凄いスピードと破壊力 基本稽古まで見学許されて ここまでですよと優しく諭されて 帰宅しました 凄かった記憶があります
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
すごいお話です!
@恭一高野-d2i
@恭一高野-d2i 8 месяцев назад
中山先輩、凄い方です! 難波道場に行ってました😄 印象に残っているのが、ある日に他流派の腕自慢が来た時の事です。 組手が始まり他の黒帯の先輩が苦戦して顔面へひじ打ちをしている所を石井先輩が、おい止めろ!と止めて次に中山先輩が相手しました。 開始直後ローキック一発で相手が横に、ぶっ飛んでのたうち回ってのを静かに見下ろし、どうしたの、どこか痛いのと言っていました。 やはり中山先輩は凄いと思いました!
@superkakutou
@superkakutou 8 месяцев назад
物凄まじいですね!?
@hirohamatani4562
@hirohamatani4562 3 года назад
私より遥かに詳しい方もいらっしゃるでしょうが 中山さんは正道の前はサバキスタイル、この正道の大会からは左ミドルとレバー打ちの 正道空手スタイルに変わりました。(変わったというより創った) どなたかに中山さんの詳伝を書いて欲しいです。 前田さんは見事なサバキで決勝まで勝ち上がりました。 決勝は負けましたが左を蹴って右手で掴んで捌く動きでなどで 相手をコロコロ転がしてほんとにみごとでした。 サバキをこんな様に大会で使うのか?と感心した記憶があります。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
本当すごいですよね!
@yuusama5203
@yuusama5203 14 дней назад
前田さんはこの大会に出場するまでにアメリカで修業したり、早稲田の松濤館で鬼神の強さで恐れられ、陸軍中野学校の格闘教官まで務めた大本教の宮司さん(「柔らかい空手」を創った松濤会の江上茂に空手の神業を伝授した人)から武道に関して何かしらの薫陶を受け、空手に関する見方が180度変わったそうで、「自分も対戦相手も怪我をしませんように」と祈りながら、落ち着いた心境で戦ったそうです。(現在は「和良久(わらく)」という武道の開祖として活動しています)
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
昭和54年4月に極真会館芦原道場に入門しました。 いつも指導は中山先輩、石井先輩たまに来られていたかな。 両先輩とは何度も組手指導して頂きましたが当然話にも何もなりませんでしたよ。 優しくて…ダメージ与えるようなことは全くされませんでした。 石井先輩は165cmもなかったかな。でも芦原先生の技を完璧に具現化されてましたね。 入門当初の中山先輩を道場の端から端まで引きずり廻したと他の先輩方から聞きました。 自分の知る中山先輩は178cm78kgでしたね。ハイキックをふわりと当ててそこからググッと押し込んでくるの。もう人間の筋肉の力じゃない、パワーショベルみたいでした。 芦原会館難波道場、当時の私の先輩同輩後輩、ここでコメントしてるんじゃないですか? 花光、岸(兄)、岸(弟)、大橋、松本、宿谷、藤原…各諸先輩方ご存知の方もいらっしゃるのじゃないでしょうか
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
やはり強い方は心も大きいですね!
@KO3UMETAROU
@KO3UMETAROU 3 года назад
宿谷先輩は、今は芦原会館の守口支部で稽古されていますよ。
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
@@KO3UMETAROU さん ありがとうございます。 自分(一級)と同輩(初段)が組手したとき 軽くハイキックしたら全力パンチされてダウンさせられました。 そしたら宿谷先輩が「そんなことしたらイカン」と相手をいさめてくれましたねぇ。 そんなこと思い出しました。 先輩まだ続けられているですか? 歴40年以上。凄い!
@辻健一郎-p3g
@辻健一郎-p3g 3 года назад
国本さんは?
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
@@辻健一郎-p3g さん 存じてますよ。Aコースだったので BorCコースの方ではないでしょうか。余り接点はありませんが😅
@はやしはやし-t3p
@はやしはやし-t3p 3 года назад
おぉ!中山猛夫! 編集も素晴らしいですね これからも動画楽しみにしております
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
押忍、頑張ります!
@山口法一専用
@山口法一専用 3 года назад
中山さん、うちの店の常連さんでした、私も極真をやっていて、店の外に道場生募集の貼り紙をしていたのですが、ある日一人で入って来たお客様が中山さんでした!来店して一言「俺の事知ってるやろ?」が最初の会話でした。勿論、話や伝説みたいな事は知っていましたがメチャクチャ若く見えたので最初は???でした。色々面白い話を聞かして貰いましたが、今はどうしているのでしょう、、、。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
おぉ、貴重な邂逅ですね!
@もりそん-b7n
@もりそん-b7n 3 года назад
動画有り難うございます。 私が16歳で極真会館芦原道場に入門した時は今はなき難波大阪球場の2階に道場はありました。当時は石井館長が責任者で中山さん、前田さんがいました。中山さんは身長は170センチ位だったと思います。 まあ強かったし憧れでしたね。髪型は角刈りしてました(笑)当時中山さんはサーファーと聞いてます。石井館長の弟さんが結婚が決まって道場に来られてお祝いした記憶があります。弟さん石井館長にそっくりでした。
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
私が入門した時は1階で床、カチカチでしたね。 中山先輩はスポーツ刈り、 それから外道路に面した2階に引っ越して 先輩の髪はサーファーになっていましたね。 自分はそのまま芦原会館に残ったので正道会館になってからは分かりませんけど。 中山先輩の身長は178cmと聞いていましたけど。自分より明らかに10cm以上高かったので170cmではないと思いますが。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
サーファーとはすごい!
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
@@大林正大 さん、大阪球場1Fが床カチカチの所でした。 南海高架下2Fになって 床スプリング入り 職員室、トレーニング場(ベンチプレス腹筋台等)、トイレアリ、壁には鏡 の 恵まれた環境に替わりました。 あ~懐かしい🤗
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
@@大林正大 さん そうですね😄。
@もりそん-b7n
@もりそん-b7n 3 года назад
@@大林正大 いやぁー!あの頃より30kg程ふとりましたので…
@harihari1962
@harihari1962 3 года назад
こんにちは、中山さんを、上げてくれましたか、ありがとうございます。懐かしいです、難波の大阪球場の2階で入門した時はまだ中山さんいなかったと思います。昇給審査の時に一回だけ、へなちょこ下段けりを蹴らせて頂きました。当時時々茶帯の金田先輩が時々指導されてましたが、その先輩より強かったようでした。中学生だった自分は、石井先輩とどっちが凄いのだろう?と思いを巡らせていましたが、、ある日芦原先生(当時は、みんなそうよんでいましたので)が指導に来た時、石井先輩も中山さんも、ずいぶんと小さく見えたのを、よく覚えています。 実に不思議な感覚でした、、前田先輩、薬師寺先輩、他たくさんの思い出があります。まだ極真会館葦原道場、大阪支部だったですね、最初2階のバレー教室だけだったころ、床板が ところどころ剥がれてて、動きにくかった、着替える所も無かった、、稽古の終り頃石井さんが道場生二人に腕を水平に繋がせて、ほんの数歩の助走で、その上を飛び超えて、尚且つ空中で足刀横蹴りを放った、中山さん、ほんとにすごかったです。。暴走族のリーダーだったらしい?とかも、聞きましたが?💦定かではありません、 あと、指導も石井さんと同じように、ほんとに上手で、丁寧で優しかったです。なんかいろいろ書いてすいません、ありがとうございました、押忍 、
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
本当沢山の逸話がありますよね!
@tsuchifude
@tsuchifude Год назад
浜井先生との試合で、中山先輩が、浜井先生の左前蹴りに対して、下段払い、右ローから左ハイのコンビネーションをやっていますが、これは芦原空手の基本サバキです。確か浜井先生が、このコンビネーションに驚いたと言われていた記憶があります。この時代にこのサバキをやっている人はいなかったと思いますので、芦原先生ってすごいと思ってしまいます。
@superkakutou
@superkakutou Год назад
おぉ、そうなのですね!
@ryoh-1976
@ryoh-1976 3 года назад
素晴らしい解説です!ポイントが押さられてて分かりやすい!中山先輩は空手歴1年未満で準優勝でしたが、入門前にも色々やってて最初から強かったです😓憧れの先輩で正道会館に行ってしまった時は残念でした。 でも、正道会館の全日本は府立体育館へ見に行きました!
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
お言葉、ありがとうございます!
@屁はラッパ
@屁はラッパ 3 года назад
RYOH-1 芦原さんは相当はらたててたんじゃないですか? 私も正道会館の第1回全日本は見に行きました。たしかパチパチパンチの吉本芸人も出場してましたよね。
@ryoh-1976
@ryoh-1976 3 года назад
@@屁はラッパ さん 芦原先生は、怒ってると言うか悪口は行ってました😅第一回行かれたのですね!今回の動画にもあるKOシーンは衝撃でしたね😰島木譲二さん(パチパチパンチ)の出場はもう少し後の大会だった記憶があります。
@武中誠
@武中誠 3 года назад
動画配信ありがとうございました。中山先生は左の蹴りの切れが凄いですね。 極真の試合ではステップをつかい、正道会館の試合ではドッシリと構えてましたね。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
まさしく!
@largehill9736
@largehill9736 3 года назад
極真の時は72kgくらい、正道の時は85kgくらいですからね。
@武中誠
@武中誠 3 года назад
@@largehill9736 戦い方が違うのは体格が大きくなったのもあるんでしょうね。
@ウォーキングT
@ウォーキングT 3 года назад
動画有難うございます。中山師範とは2年間極真、芦原会館でご教授頂きました。初めて入門して初めて組手した時、師範の強さに突進しかないと思って、ラッシュしました。師範の懐に入る事ができ、パンチで押しました。と束の間左上段回し蹴りが私の左目を直撃!目の前が真っ暗になり沈みました。どうやら白帯の青二才が!というような顔で睨み付けられ恐かったです。翌日顔面がお岩さんになってましたが、高校には行きました。怖い体験でしたね(ーー;)
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
うわー怖いですねー(笑)
@nolimit2242
@nolimit2242 3 года назад
中山さん、本当に天才ですよね。サバキもめちゃくちゃ上手かったようです。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
かっこいいです!
@辻健一郎-p3g
@辻健一郎-p3g 3 года назад
噂では先代は石井さんより、才能あると、見抜いていたそうです。
@nolimit2242
@nolimit2242 2 года назад
@@辻健一郎-p3g 芦原先生も、、、実は、そんな事言っていましたね。石井は、人集めにたけど、、、、空手の方は、、、❓️笑 これ以上言えません。
@nolimit2242
@nolimit2242 2 года назад
@@superkakutou 改めて、見ると今、流行りのカーフキックしていますよね。あの頃たぶん、芦原会館系の人たちでも、高弟たちくらいしか、教えてないんですよ。芦原先生は削ぎ蹴りと呼んでいました。二宮師範はカッティング❗と呼んでいます。今の選手は外側のカーフを多用していますけど、ホントは内側と膝内側を削り蹴るのがあるんです。
@辻健一郎-p3g
@辻健一郎-p3g 3 года назад
東大阪の少林寺拳法の大会で優勝、 高校時代にラグビー経験のあるおぼっちゃん。勉強もよくできたそうです。 芦原道場では、入門して初めての組手で緑帯を倒す。四国の合宿では、二宮城光師範を組手で押していた噂もありました。 極真の試合では。壁塗りテクニックを多様。これも、その当時は革新的。 道場にはサーフボードを道場に持ってきてました 正道辞めたあと、西成区域付近でよく見かけたと、数々の人にききました。 そして、白蓮の西田さんも。。。 趣味はゴルフに変更。 そして、一番、近年で中山さんが表舞台に、姿を表したのは真正会の大会で、佐竹さんや武蔵さんや、過去の正道の選手に混じって、中山さんも来場してました。 頭は丸坊主でしたが。。。r
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
色んな経緯がおありになるんですね!
@辻健一郎-p3g
@辻健一郎-p3g 3 года назад
正道時代はあまり存じませんが、芦原道場、芦原会館時代の中山さんの逸話は数知れず。と、聞きます。
@wakatake555
@wakatake555 3 года назад
芦原時代に、組手であの二宮城光師範を転がして極めを入れる寸前に芦原先生が急いで止めたって話があります。 前田聖比良聖師範戦は本当に前田師範の序盤の怪我がなければ凄い試合が見られただろうにとても残念です。あそこまで一方的だと折角の決勝戦が見ごたえなく終わってしまった感じでした。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
本当そうですよね!
@ゴリっくま
@ゴリっくま 3 года назад
中山さん 懐かしいですね 確か芦原道場に来る前は少林寺やってた様な・・・ 頭もキンキンやったと
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
キンキン!
@kskitchen777
@kskitchen777 3 года назад
@@superkakutou さん 当時大会に出る直前まで中山先輩は金髪パーマでした。芦原先生に言われて、黒く染めて出場したと当時聞きました。
@ハッシー-x7q
@ハッシー-x7q 3 года назад
中山師範は少林寺拳法のキャリアがあり、少林寺の大会で優勝した下地があると、後の芦原館長の出版してた本に書いてました。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
ありがとうございます!
@UFC-
@UFC- 3 года назад
押忍 お疲れ様です。 野田貢が事故死したようです。 K−1にも出場してたようです。殆ど印象に残ってませんが是非追悼の意を込めて一本作成してやって下さい。 故人も非常に喜ぶと思います。
@屁はラッパ
@屁はラッパ 3 года назад
私が初めて極真に入門した時、右のローからステップバックしての左三角蹴り(極真で三日月蹴りと呼ばれているもの)で顔の正面を蹴るというのをさんざん稽古しました。 その時のカルチャーショックときたら・・・、壁を塗るように打つ肘打ち、びっくりした、というのは空手とは前屈立ちや騎馬立ちからのしのしと正拳突きをするものとばかりおもっていたから。聞くとその指導員は最近まで芦原道場にいたときいてなるほどと思った。もう40年も前のことです。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
壁塗りは興味深いですね!
@kskitchen777
@kskitchen777 3 года назад
@@superkakutou さん。実は芦原道場ではルールにのっとった空手ではなく実践武術を追求されていました。ですからパンチも打てない至近距離からの肘打ちや、逆に遠間から一気にステップインしながらの肘打ちや、あるいはバックハンドの肘打ちなど、多彩な肘打ちとそのコンビネーションは必ず稽古していました。その時の体感的なポイントが肘打ちを打つ方の手を壁を塗るように動かして、インパクトの寸前に軸足を一気にひねりながら、ちょうどハンドボールの倒れ込みシュートのような体制で、反対の手で顔面ガードをしながら全体重を肘先の一点に集中させるようにして一発必倒の肘打ちの方法を日夜学んでいました。顔面パンチやパンチのコンビネーションも同様でした。そういう考えで芦原先生は本当の実践で使える技術を追求される方でしたので、極真空手の普及とともにルールが明確化されるごとに使えない技術が増え、それを嫌っていったという経緯がありました。
@tadashisakaue5352
@tadashisakaue5352 2 года назад
正道会館全日本第3回を生で見てました。中山師範は審判でいました。懐かしいです。
@superkakutou
@superkakutou 2 года назад
貴重な体験ですね!
@ぽくぽく-w2x
@ぽくぽく-w2x 3 года назад
何がすごいって、リアルタイムで中山氏と接触&面識がある方々がコメ欄にいるってこと
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
ときめきますよね☆
@pampam2325
@pampam2325 3 года назад
中山さんは初出場の時は過小申告してますね、他の芦原の選手もそうでした。178cmで73~75kgくらいだと思います。無差別だからいいのだと思います、判定時は体重計りますから。東選手戦ではバックハンドの肘をみぞおちに入れたかったはずですが東選手の鋼の筋肉には通用しなかった。三瓶選手戦も同じく。第2回世界大会前の全日本で体格に優る原田裕次選手(佐藤勝昭師範の弟子)に判定負けし、世界大会には出れませんでした、原田選手は世界大会出ました。その後増量しパワーアップしました。90kgくらいはあったと思います。中山さんに世界大会で活躍して欲しかった。。芦原会館になってすぐアメリカの二宮城光師範の元に修行にだされ現地の大会(二宮師範主催?)で優勝してます。その際、試合に負けたある選手がもう一度組手しろと迫り、中山さんはそれを受け、相手を頭から床にたたき落としたエピソードがあります。原田裕次選手とは正道の大会で雪辱を果たしました。私は中山さんのファンなのですが、原田選手との再戦をみて、極真ルールでは極真のトップレベルに勝ち抜いて優勝できるかは??だと思いました。もう一度、パワーアップ後に極真の大会で活躍して欲しかったです。長文失礼しました😓
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
現地の大会は凄い話ですよね!
@pampam2325
@pampam2325 3 года назад
@@superkakutou ちなみに皆が壁塗りと言っているのは元は基本でやる回し受けのことです。芦原では回し受けを使って相手を引っ掛けてくずし、サイドに回って死角から攻撃します。前後にステップしながら回し受けの練習をします、組手になるとあんな感じになりますね(笑)
@宮城智康-q4w
@宮城智康-q4w 3 года назад
芦原さんの組手スタイル、どうだったんでしょうね〜? 妄想膨らみます 笑笑! 自分のイメージですと、猫足に前後のフットワークを使い、円心の構えで、手が忙しく動いてるイメージなんですが、どうなんでしょうね〜? (・∀・)
@pampam2325
@pampam2325 3 года назад
@@宮城智康-q4w 私も芦原先生の組手みたことありません(笑)子供の頃?剣道やってたらしいので出入りは早かったんじゃないでしょうか?昔の先生方が言うにはカウンターを狙って一発で倒す感じだとか?まさに空手って感じ。古い先生方だと大山泰彦先生がフットワークが凄くて天才だったとか聞きますね。 そんな泰彦先生でも久々に組手した際、ワンツーで打ち込んできたところを芦原先生にカウンター打ち込まれてのばされてます。カッカきて突っ込んでいったらダメですね(笑) ある時、芦原先生がパンチを教えるのに指導員の石井さん(後の正道会館館長)を相手にやった際、ちょっと石井さんびびってましたね。芦原先生は本当に凄いんだろうなと白帯の私は思いました。技でも相手を殺すようなものをいつも考えてた人だから怖いですね、それの延長線が手裏剣投げですねww 顔を叩く組手をしてきたのと、太ってきてからもハンドスピードは早かったのでケンカになれば後年でも強かったんじゃないでしょうか(笑)
@宮城智康-q4w
@宮城智康-q4w 3 года назад
貴重なお話 アザス m(_ _)m
@はやしはやし-t3p
@はやしはやし-t3p 2 года назад
士道館の天才 村井義治氏の特集も作成して下さい! 正道学生全日本オール一本勝優勝! 第一回アマチュアシュートオール一本勝 優勝! MAキック 7戦7勝! 士道館全日本オール一本勝優勝! 天才過ぎますよね 昔の梶原一騎追悼興行のVHSとかで残ってますし 白蓮や、正道にも出てますから多少の映像はあるかと思いますので、あおっくさんの絶品の編集と分析で、是非是非‼︎
@superkakutou
@superkakutou 2 года назад
それは凄い人ですね!
@th1862
@th1862 2 года назад
凄い強さ‼️判定ではなく倒しにいく激しい組手格好良いですね😆
@superkakutou
@superkakutou Год назад
本当です!
@山下聡-g5k
@山下聡-g5k 3 года назад
あおっくさん押忍。 中山猛夫さん強いですね。 正道空手はキックボクシングの技術に近い人も多いですね。ただやはり空手の試合というのを考えるとやはり腰をある程度どしっと落として半身に構えて真っ直ぐな突きとか前蹴りなどをもっと使える方が最後は顔面突きありのルールに行くにしてもやり易いような気がします。正面向いて廻し蹴り中心では崩せない相手、沢山居ますから。
@yuusama5203
@yuusama5203 3 года назад
正道館の大会参加選手は極真以外の弱小団体の有象無象が多く、数で磨かれた強い選手は居なかった。だから全国の猛者が集う極真の全日本に比べると、正道の全日本は極真の地方大会位のレベルで、東選手や三瓶選手と激闘を繰り広げてきた中山選手にとっては、正道の大会は楽勝だったのだと思います。その頃に全盛期を迎えていたであろう中山選手の極真でのファイトが観たかったですね。 この頃の中山選手なら、極真でも大道塾の北斗旗でも優勝があり得たのでは、と思っています。
@mmzero7732
@mmzero7732 3 года назад
同意です! 圧勝とは言え、当時の正道では当然! 極真にいて、中村誠、松井、ウイリー ミッシェル、アデミールなどとの 激闘が見たかったです! 正道でアンディやサム・グレコと スパーリングしなかったのかな?
@只野仁-o1v
@只野仁-o1v 3 года назад
中山猛夫選手は歴代の記録で残る名前しか知らなかったのですが、きれいに蹴りが連打で出る選手ですね。すごいですね。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
本当に凄いです!
@mamimume1232
@mamimume1232 3 года назад
知る人ぞ知る天才でしたね。 多分、現代ならMMAやk-1に挑戦していて、ある程度以上の実績も残せたのではないでしょうか? 奔放な方だったようですが、兎に角強かった。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
時代が違えばまた凄かったかもしれませんよね!
@西條豊二
@西條豊二 3 года назад
第9回のプロフィールは、違ってて当時は問題になりましたね…それはさておき、極真時代は荒削りでしたけど、正道時代は、しっかりした組手スタイルを確立して、強くなりました!スタミナ、パワーどれをとっても群を抜いてました…もし極真の大会に出場しても結果を残せたかも知れません…
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
夢がありますね!
@mmzero7732
@mmzero7732 3 года назад
全盛期の佐竹、柳沢、金、玉城なども 勝てなかったらしい アーツやバンナなどとの闘いが見たかった
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
熱い話ですね!
@isaometal
@isaometal 3 года назад
@@superkakutou さん 玉城さんものちのRU-vidで、中山先輩は天才でしたと語ってましたね。
@内山満康
@内山満康 Год назад
バンナや、アーツとは、いささか身長差があるでしょう
@aochannel6106
@aochannel6106 3 года назад
名前だけは、知ってました。当時は、全く映像を見る事ができませんでした。最近は、RU-vidで見る事が出来ますね。話代わりますが、千葉真一さんの『空手バカ一代』が無料配信されてますよ。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
みたいですね、以前お見かけしたことがある気がします!
@999hayaubsa5
@999hayaubsa5 3 года назад
んな相手にでも自分のペースに持ち込んで、試合におけるイニシアティブをとってしまうところが凄いですね。 格闘センス・基礎体力・闘争心・・、生まれ持った才能がある人が努力を重ねるとここまでのバケモノ的な強さになるのかと。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
ほんとうですね!
@宮城智康-q4w
@宮城智康-q4w 3 года назад
ソースは忘れましたが、芦原英幸さんが「中山は、天才だ! 体落としからの顔面キックとか殺し技とかも仕込んだ!」って言ってましたねー! 両手をブラブラさせ顔面を牽制しながら、フットワークを使う人、結構居ましたねー! 初期の頃の二宮さんなんかも似た感じでした。 芦原さんの組手がそんな感じなんでしょう? 後に浜井さんが、「初めて見るコンビネーションに驚いた!」って言ってました。 因みに浜井さん、レンタルビデオでAV貸してま居て、金沢の青少年は、皆浜井さんのお世話になってる。って金沢出身の後輩が言ってました。 笑笑( ^ω^ )
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
すっごいいろんなお話知っていらっしゃいますね(笑)
@bchop5751
@bchop5751 3 года назад
浜井氏は北陸最大のビデオレンタルチェーン(ビデオシティグループ)の創業者でオーナーでしたからね。DMM代表の亀山敬司氏が当時傘下にいたという。
@宮城智康-q4w
@宮城智康-q4w 3 года назад
wikiで偶々見たら、そうでした! アザス m(_ _)m 浜井門下で星稜高校中退の後輩が同じ職場に居るんですが、よく浜井さんの話聞かせてもらってます。後 松井秀喜さんのAV好きは、星稜ではかなり有名な話みたいですねー 笑笑 ( ^ω^ )
@mmzero7732
@mmzero7732 3 года назад
体落としからの顔面キックって 空手バカ一代で芦原師範が ジプシー空手家に決めた技ですかね? ホントに有った技だったら凄いですね
@宮城智康-q4w
@宮城智康-q4w 3 года назад
自分は、入門初日に足払いで転ばされてからの顔面キックを喰らいました。鼻が折れたかと思いましたねー!中々血が止まらなかったっ す。崩し、倒してからの踏みつけ、蹴りは普通に有ります。 漫画のモデルは、100人組手完遂のジャン ジャービスとの組み手です。二宮さんが全く歯が立たなかったみたいで、芦原さんが見本組手をやり、相手のパンチをカウンターのワンツーでのばし、そのまま転ばし、顔の脇の床を踏みつけた。のが有った見たいです。
@tamara_a2
@tamara_a2 3 года назад
私の記憶では、極真の世界大会に出た時も180cm近くあって、 当時としてはかなり大柄でしたよ。小さくないです。 極真の当日プログラムはミスプリだらけでしたから。
@matktm
@matktm 3 года назад
世界大会には出ていないですよ
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
第2回世界大会 東京まで見に行きました。 プログラム買いました。 「四国芦原道場の暴れん坊中山は原田裕二に前進を阻まれ敗退」…で出場出来なかったとありました。 因みに原田選手はアメリカのチャックチズム選手に破れました。
@kskitchen777
@kskitchen777 3 года назад
@@オリーブハマチ さん  それは何かの記憶違いでしょう。中山先輩が準優勝した第9回大会の翌年、第10回大会で二宮城光先輩が優勝され、その後芦原先生が破門されて芦原会館として独立されるわけですが、その後に第2回世界大会が開かれるころには、何年も芦原会館からは大会出場をやめる芦原先生からの命令が下されました。細かく言うと芦原会館設立前に、石井先輩が独立されて正道館を造り、1年くらいして中山先輩は芦原会館を辞めて正道館に移籍し、正道館が大会を開くようになった数年後正道会館と名称を改めたという経緯がありますので、間違いないかと。中山先輩が大会と言うものに出場されたのは、第2回正道館全日本空手道選手権が最後でした。その後正道会館に残りながらも、職員としての立場からビジネスマンとしての道へ転身されて行きました。
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
@@kskitchen777 さん ありがとうございます。 私は1979年11月23〜25日の第2回世界大会は 芦原先生、中山先輩と共に会場にいました。 佐藤俊和vsウィリーウィリアムズ戦すごかったな。 その時予選で中山先輩が原田選手に敗れ出場が叶わなかった…とありました。 つまり第2回世界大会当時は間違いなく「極真会館芦原道場」でした。 大会プログラムにも「国内支部長 芦原英幸」とあります。 また1981年8月の本部道場の夏合宿に参加しましたがその時芦原館長から「芦原会館になって初めての合宿です」と言葉があったので1980年9月〜1981年8月の間に 極真会から芦原会館になったのだと思います。 長文反論になって申し訳ありません。 でも40年も経ってこんな話できる人とお話し出来て楽しかったです。
@MrTuYoube
@MrTuYoube 3 года назад
芦原先生が独立されたのは極真第二回世界より後ですね。大山館長(当時)が二宮選手を最後まで第二回世界に出場するよう口説いていたという流れからも。出場しませんでしたが。
@satomijurian9699
@satomijurian9699 11 месяцев назад
21歳で極真2位は天才!伝説です。正道会館での活躍を見たかったなぁ😊
@superkakutou
@superkakutou 8 месяцев назад
まさしく!
@てんてこ米-b8x
@てんてこ米-b8x 3 года назад
グローブつけての顔面パンチありのスパーでも佐竹選手が敵わなかったと聞いたことがあるような
@largehill9736
@largehill9736 3 года назад
佐竹自身がそういってましたね。ただいつの時の佐竹かは問題ですが。たぶんK-1が始まる前の対ニールセンの頃だと思います。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
すごいですよね!
@genki507
@genki507 3 года назад
中山選手は、四国芦原道場の内弟子練習生。 少林寺の下地がありました。 二宮選手が怪我で出場できないため急遽緑帯出場。 黒帯はレンタル。 上段突きのないルールでの直線的な攻撃の極真空手は、ステップを用いた防御と芦原空手の死角からの攻撃にはいい練習相手でした。 今の極真の支部長は、芦原の一道場生に負けた人が結構います。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
すごいですね、急遽出場であの大活躍!
@イブキ1667
@イブキ1667 3 года назад
佐竹さんが崇拝していた方ですね! 芦原会館じゃなく極真芦原道場かと思ってましたが、芦原会館でした。確か緑帯と聞きました。 石井さんが先代と袖を分かち、その際時差があるようですが中山桝田さんを引っ張って先代の怒りをかったと言われています。 芦原会館で3年正道で5年お世話になりましたがK1で佐竹さんに指導しておられたと聞きましたが中山さんは幻的な感じでした。
@ryusin2009
@ryusin2009 3 года назад
否、短い期間でしたが中山さんは芦原会館の道着を来ていた時代もあります。退会の理由も聞きましたが、まぁ、やめときましょう。
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
昭和56年本部道場での夏合宿行きましたが(その時芦原会館になっていたけど) 間違いなく中山先輩いらっしゃいました。 自分の目で見ているので絶対間違いありません。
@イブキ1667
@イブキ1667 3 года назад
@@オリーブハマチ ありがとうございました!
@イブキ1667
@イブキ1667 3 года назад
@@ryusin2009 ありがとうございました!
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
みなさんたくさんのお言葉感謝です!
@aochannel6106
@aochannel6106 3 года назад
実写版『空手バカ一代』を観てみましたよ。何故?映像化されないのか、何となく分かった様な…。踵落としらしき蹴りを使っていたのは驚きです。
@mmzero7732
@mmzero7732 3 года назад
驚きました 確かに、踵落としみたいです! アンディよりずっーと前ですからね
@aochannel6106
@aochannel6106 3 года назад
@@mmzero7732 さん、どうも、踵落としで間違い無いですね。当時は、テコンドーなんかは認知されて無いはずです。けど…前蹴上げからの様な…気もしない事もないですが…。冒頭の百人組手のところで最後に組手をした大先生が、石橋雅史さんといって、大山空手の基本形態を安田栄治さん等と築いた方です。
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
自分は昭和54年に大阪難波の芦原道場に入門しましたが 内回しの応用で当時から自分も含め道場生やってましたねぇ。 踵落としなんて洒落た名前ついていませんでしたが。 グラウベフェイトーザの「縦蹴り」も中山先輩に教わり普通にみんなやってましたよ。 芦原先生のカラテは世間より20年は進んでいました、それ実感したのがカラテ離れて何年も経ってからと言う~😅
@aochannel6106
@aochannel6106 3 года назад
@@オリーブハマチ さん、そうなんですね😲当時も一歩リードしていたんだなー🤔昭和54年は、まだ“極真“の頃ですかね?
@オリーブハマチ
@オリーブハマチ 3 года назад
@@aochannel6106 さん 昭和56年夏の本部道場合宿が 芦原会館になって初合宿でしたので 間違いないです(中山先輩も参加されてました)。 道場 引っ越し… 石井先輩いなくなった… 芦原会館になった… 中山先輩までいなくなった… 話古すぎて ごっちゃになりかけてますが これらは 間違いありません。
@タカアンドトシ-z2u
@タカアンドトシ-z2u 3 года назад
いつも感じるのですが、パンフレットの身長、体重ってかなりいい加減ですよね。毎年、身長が違っていたりします。おそらく内弟子がやっつけ仕事で制作しているのでしょう。   一つ驚いたことがあります。第10回はあの二宮城光が優勝した大会!その大会のベスト4にランクインしているということは、いかに芦原先生の空手が素晴らしいものかを物語っていますね。驚きました!芦原空手恐るべしです。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
第10回に、というわけではなく、その前回大会に準優勝で、二年連続でベスト4,というお意味ですかね……?
@タカアンドトシ-z2u
@タカアンドトシ-z2u 3 года назад
@@superkakutou すいません。中山選手は第10回は三瓶選手に破れ、入賞できなかったのですね。もしこの大会で三瓶選手に勝っていれば、二宮城光とともに入賞し、より一層、芦原空手がアピールできたのではないか?と思い、残念で仕方がないと感じました。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
@@タカアンドトシ-z2u いやでも、本当に印象に残る素晴らしい激闘でしたよ!
@genki507
@genki507 3 года назад
芦原先生は、極真本部道場の青年部の首席指導員でした。 今の松井さんの地位です。 添野さんによると組み手でマス大山を殴りまくって、倒しそうになって怒られたそうです。 極真は韓国の儒教、年功序列なようです。
@タカアンドトシ-z2u
@タカアンドトシ-z2u 3 года назад
@@genki507 え〜、あの総裁に!! 芦原先生や黒崎健時さんなど極真の創設期の強者を指導する総裁はさぞ大変だったでしょうね〜。わざわざお忙しい中、情報共有ありがとうございます。
@ryusin2009
@ryusin2009 3 года назад
ミルコの方が後なので「空手界のミルコ」ってのは・・・・
@HK-908
@HK-908 3 года назад
芦原英幸氏と大山倍達氏が袂を分かっていなければ後の三誠時代に何らかの影響があったかそれとも無くなっていたのではと思わせる存在ですね。 後の正道空手での第1〜2回大会は余りにも圧倒的過ぎて何と言うか甲子園の決勝進出常連校が地方予選で猛威を奮ってるかの様で大変失礼ながら前田さん以外にはそりゃ勝って当然だよねって感じですわ。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
まさに!
@aktty9992
@aktty9992 Год назад
第1回大会見に行きましたが、事実上のベスト3は 中山、原田、鎌苅さんだったと思います。 前田さんは準決勝まで相手をサバイていたのに、中山戦は ガチンコで行ってしまいました。
@ピーターアーツキ
@ピーターアーツキ 3 года назад
石井館長は、サバキ空手の申し子ですからね。 身長のサバ読みもK-1に引き継がれてますよw
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
そうなんですね!
@小平充史
@小平充史 2 месяца назад
猛夫って名前がふさわしい腕白な人ですね。K―1出たらどうなりましたかね。なんで出なかったのか。
@角谷清
@角谷清 2 года назад
178㎝が本当の身長で9回大会や10回大会のパンフのサイズはええ加減なもんですよ。 10回大会の組合せも大山館長が単独で決めたらしく当時の芦原道場には勝たせたくなかったのでしょう・・・ 三瓶戦にしても本部ルールに負けたようなもんで技やコンビネーションでは負けてはいないと当時の芦原門下はそう見ていました。 あの試合で三瓶氏を負けさせていたら本部の売りが中村氏だけになってしまいますからねエ いずれにしても当時から芦原門下は本部の空手をバカにしていたのは事実です・・・
@taigo1475
@taigo1475 3 года назад
ありがとうございます!
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
いつもいつも温かいご支援本当に感謝です!!!!!!!!!
@taigo1475
@taigo1475 3 года назад
アオっくさんこんばんは。こちらこそ有難うございます!実は私もpcで動画を作成した事があります(仕事)。旧pcおまけに旧ソフトによる編集作業は本当に大変💦、どうかご無理なさらず続けて下さい←結局、次の動画配信待っている今日このごろです。
@坂巻明-s6q
@坂巻明-s6q 2 года назад
この極真の大会で準優勝した時のパンフレット持ってまして 確かに身長170cmで67kgと表記されてましたが 全くそんな小さく見えなかったです これがオーラというものかと思ってました。 次の極真の大会にも中山さんは出場して残念ながら三瓶選手に判定で負けてしまいましたが その時は身長が173cmに伸びてました その時でも身長176cmの三瓶選手より身長は大きく見えました。 その時もこれがオーラというものかと思いましたね
@superkakutou
@superkakutou 2 года назад
ご覧になられて羨ましいです!
@1j545
@1j545 2 года назад
私も現役の頃でした。身長、体重はフェイクです。芦原先生とその話なったら「適当に書いとけって言ったらこうなってたけん」って大笑いされてました。
@IN-ft1xe
@IN-ft1xe 2 года назад
柳○の企業舎弟になったらしいね
@梶田勇-f2q
@梶田勇-f2q Год назад
へー、本当ですか? まぁ、中山氏はもの凄く気性が荒々しかったらしいですから、そういうこともあり得るのかもしれないですねぇ。 もともと少林寺拳法の猛者だった中山氏が芦原英幸師範に入門して間もないある頃、髪を金髪にしていた中山氏に芦原師範が、「お前、なんだ?その髪は?」と注意したところ中山氏は平然とした顔で「西海岸です。」と答えて、周囲の道場生を唖然とさせたらしいです。 また、自分の気に食わない生意気な後輩の道場生を組み手でさんざん叩きのめしては何人もの後輩をやめさせたというエピソードもありますね。 まぁ、あれほど天才的に空手が強く、しかも気性が激しいとなると柳○会の企業舎弟になったと聞いても別に驚かないですねぇ。さもありなんか?………といった感じですねぇ。
@こねやん
@こねやん 5 месяцев назад
お前ららしいですねぇ〜とかみたいですね〜とか全部憶測で嘘言うとんねん ! 中山先輩には難波の芦原道場から正道館に移籍した約5年間指導して頂いた者から言わしてもらうが入門した当時暴走族に入っていて髪を金髪に染めていたのは事実やけど後輩をイジメてたとか気性が荒いとか全くデタラメやんけ 性格的には温厚で指導中にも声を荒げるなんて事一度も無かったぞ それどころか後輩には誰でも、くん、さん付けで名前呼ぶくらいの人で芦原先生がもっと本気で叩け!言うてるのに中山は優しいから押忍言うてニコニコしてるだけで叩かんけんな(笑)と苦笑いして話してられたで もちろんその図抜けた実力で極真全日本を、緑帯で準優勝した位やから気が強いのは当然でそれを後輩イジメたとか辞めさせたとかどっかの捏造妄想作家みたいな大嘘を振りまいてるんやないぞ
@こねやん
@こねやん 3 месяца назад
お前ら、らしいです、らしいですの何の確証も無い作り話しのオンパレードやんけ
@坂巻昭
@坂巻昭 11 месяцев назад
中山さん 大会のパンフレットでは170cm 67㎏と記載されてますけど そんな小柄に見えませんね 正道会館の第一回大会全日本大会に出場した時は 更にデカクなってました。 正道会館の大会に出場した時は 中村誠さんみたいになっていて 中山さんとは思えませんでした
@superkakutou
@superkakutou 8 месяцев назад
本当それなんですよね!
@yuzy0808
@yuzy0808 2 года назад
東選手の馬力に押されたのも興味深いが中村誠仕様に鍛え上げた三瓶選手にはやはり通用しなかったという印象があります。 ステップで言えば既に1回世界でオリバーが使いこなしていました。
@superkakutou
@superkakutou 2 года назад
オリバーのステップもまた独特なものでしたね!
@奇怪体操
@奇怪体操 2 месяца назад
連蹴りは少林寺拳法で既に身に付けていたのではないでしょうか?  また少林寺も死角から攻撃し、体捌きによるポジション取りを徹底するので少林寺拳法が案外生きている感じがします。  少なくとも糸東流の様な伝統空手よりも動きが柔らかく芦原先生の空手に近いんだと思います
@budo-gosin9409
@budo-gosin9409 2 года назад
極真世界大会に出場して第1回正道全日本の3回戦で中山選手が苦戦した選手って佐藤塾所属の原田裕次選手じゃないかな。
@かまやん-s3w
@かまやん-s3w 3 года назад
芦原会館の捌きは大東流合気柔術に通じますね!!!
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
な、なるほど……!?
@nikkoigawa8057
@nikkoigawa8057 9 месяцев назад
Les Combatnts ne font que attaquer. CES SONT DES COMBATS SANS DÉFENSE .😊
@superkakutou
@superkakutou 8 месяцев назад
C'est ainsi que se bat un vrai guerrier.
@大阪の前川清
@大阪の前川清 3 года назад
極真は極真空手芦原道場の事で極真も芦原会館も同じです(笑)
@ueno915
@ueno915 3 года назад
時と場所、名前も違う。極真にサバキとしては無い。
@大阪の前川清
@大阪の前川清 3 года назад
極真会館芦原道場時代からサバキはやってましたよ、、、、 道場生みんな本部の空手をバカにしてました😅
@宮城智康-q4w
@宮城智康-q4w 3 года назад
芦原英幸さんの現役時代の組手が見て見たいですね。北海道でやってましたが、組手、鍛錬に至る所に、芦原さん、山崎さんの影響ありました。実際の組手に反映される程、そのエッセンスを消化出来てませんでしたねー! 芦原道場に対しは劣等感しかありません! 羨ましい (・∀・)
@いとうあさみ-t4z
@いとうあさみ-t4z 2 года назад
全盛期の中村誠とやってほしかったね。
@superkakutou
@superkakutou 2 года назад
興味深いですね!
@威風会中原柔軟空手講
中山選手バネが強いですね
@superkakutou
@superkakutou 8 месяцев назад
もんのすごいです!
@サボテン常夏野郎-q6l
@サボテン常夏野郎-q6l 3 года назад
少林寺をかなりやってたんでしょう? いくらなんでも8カ月の空手修行だけでは全日本は無理かと? でも間違いなく天才ですね 東と三瓶はフルコンルールに特化した強さなので、キックや防具空手などの顔面パンチありのルールなら中山さんが圧勝すると思います
@MrTuYoube
@MrTuYoube 3 года назад
あの時点では無理でしょ。のちの成長振りとごちゃ混ぜにして考えてしまっている。
@matktm
@matktm 3 года назад
鋭いハイやヒザ蹴り、中山選手は まさに天才だと思いますが、極真を離れた事が惜しい 当時の正道では相手になる選手がいなかったので、中村誠、松井、数見、八巻、木山、アデミール、ミッシェル、フィリオなどのレベルではなかったと思う あのまま極真にいて、更に技を磨き 世界で活躍してほしかった
@赤鬼-f4b
@赤鬼-f4b Год назад
よく見たら三瓶が顔面攻撃何発も食らってる。
@superkakutou
@superkakutou Год назад
荒々しい戦いですよね……
@YasuhikoMiyazawa
@YasuhikoMiyazawa 4 месяца назад
もともと少林寺拳法での強豪選手だったというではないですか?かなり多数の少林寺拳法経験者が空手初心者・未経験者として扱われていませんか?
@ポーちゃん寝る
@ポーちゃん寝る Год назад
聞きづらいの俺だけ?
@aktty9992
@aktty9992 3 года назад
中山さんとリチャードの試合、大山館長がパワー空手で 中山さんの事、酷評してた記憶がある。 確か、相手が後ろ向いているのに攻撃したとか そんな感じだったと思う。 ただしこれは、9回大会のずっと後で中山さんが 正道に変わってからの記事なので、余計に良く思って いなかったのでしょう。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
なるほどぉ……
@matktm
@matktm Год назад
元々、そんな組手では? 初出場の時から正道の大会まで、相手の顔に掌底入れたり、相手が後ろ向いてるのに蹴り入れたり、もつれて止め!がかかったのに、相手の背中に肘打ちしたりしていました 悪気は無かったと思いますが…
@ヴァルキルマー
@ヴァルキルマー Год назад
例えが……ミルコのほうが時代も年齢も若いんやけど。
@もっさり八兵衛
@もっさり八兵衛 3 года назад
ミルコ要素は?
@fillinmasa
@fillinmasa Год назад
芦原先生に角田と二人がかりで武器持って喧嘩を売るも、簡単にボロボロにやられたらしいですね。
@miyuki970
@miyuki970 3 года назад
ミルコの方が後なんだから空手界のミルコというよりは、K−1界の中山が妥当かと
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
通常であればそうなんですが、少しでもたくさんの方に知っていただきたいということで、ネームバリューのあるミルコの名を冠させて頂いたという次第です……
@miyuki970
@miyuki970 3 года назад
@@superkakutou 中山猛夫は空手界ではネームバリューはトップクラスですが、万人が知っている訳ではないですからね。
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
@@miyuki970 その通りで、これを機にもっと浸透していただければそんな嬉しいことはないですね!
@f浩次
@f浩次 3 года назад
天才だけどこの時代の選手のレベルってどうなんですか? 三瓶さんって方はウィリーのパンチ1.2発でやられそうになってましたが。
@宮城智康-q4w
@宮城智康-q4w 3 года назад
今は、驚くべき化け物が沢山居ますよねー! 自分は、179cm位ですが、中村誠さん、佐竹さん、増田さん、松井さん、間近で見ましたが、180cm弱で大柄選手扱いでしたから、どうなんでしょうねー! 唯、北海道の分支部に居ましたが、先輩達強かったですよ。緑帯位で、頭突きで建材ブロック割って、黒沢さんみたいにローキックの破壊力が化け物みたいな人め居ました。唯、東京で色々な格闘家と接触した時に上には上が居るもんだ! と思いました。増田章さんが、ベンチ180k上げる位身体能力有った見たいですが、今ならパワーリフティングの標準記録です。 大谷翔平君、八村君みたいな化け物のが活躍する時代と比較すると厳しいと思いますよ 笑笑( ^ω^ )
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
うぅん、そうですね――
@mmzero7732
@mmzero7732 3 года назад
今の極真の選手が数見、八巻、木山、 塚本などの選手より強いとは思えないな
@yasuminization
@yasuminization Год назад
もともとは少林寺拳法出身ではありませんか?
@superkakutou
@superkakutou 8 месяцев назад
みたいですね!
@tibiviki
@tibiviki 3 года назад
無駄なパンチ、キックが無い
@まーちゃん-f6d
@まーちゃん-f6d 2 года назад
芦原先生にメリケンサック両手に着けて、ヘタレの角田と2人で襲いかかったがボコボコに返り討ちに合って難波道場の2階から血だらけになって転がされた中山と小便漏らした角田
@リアル-p3t
@リアル-p3t Год назад
現場にいた人から聞いたことがありますが、小島一志の言ってる話はまったくの作り話。嘘です。
@山本稔-c6c
@山本稔-c6c Год назад
私はそこにいました、まったくの嘘ですよ。中山師範がファールカップ着けていたので下で芦原先生待っていてそう告げました、芦原先生は「そうか」の一言で上に上がって行きました。カッコ良かった。だけど話しだけで終わったんですよ
@奇怪体操
@奇怪体操 2 месяца назад
自分は当時の芦原道場生から  芦原先生から怒鳴りあげられて 2人して帰って行ったとききました
@isaometal
@isaometal 3 года назад
噂では、二宮城光さんよりも、強かったとか…
@superkakutou
@superkakutou 3 года назад
そんな噂が……
@matktm
@matktm Год назад
組手をやったら、二宮さんが押されてたとか まあ、極真のオープントーナメントでやれば、二宮選手が勝つでしょう
@イケイケチャン
@イケイケチャン 2 года назад
6
@superkakutou
@superkakutou 2 года назад
6ですか?
@kshitler
@kshitler Год назад
少林寺拳法経験者では有ったが、芦原英幸に入門時からその秀た才能、資質を見出された天才格闘家。 色んな逸話、伝説が有るが、ルールの有るスポーツとしての天才格闘家としてだけでなく、ルール無用の本当のストリートファイト、実戦、文字通りの殺し合いでも彼を倒す事は困難。 若い頃全日本クラスの彼らを見て、ふと一瞬「ヤクザなんてなれるもんじゃない。」と思った。 彼らにナイフやドスでかかって行っても簡単に捌かれ、堅気の素人じゃ無いので手加減してもらえず、片輪にされても文句は言えない。そんなぶっ飛んだ妄想すら頭をよぎる程、怖い物など無い、何でも来いの迫力が有った。
@superkakutou
@superkakutou Год назад
そうなのですね!?
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