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zero sen ゆっくり近現代
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近現代史ゆっくり解説チャンネルです。明治から現代にかけての歴史をわかりやすくお伝え出来ればと思っております。姉妹チャンネルに江戸時代ゆっくり解説もやっていますので、ご興味のある方是非ご覧下さい
#ゆっくり大江戸
Комментарии
@user-sr4xb2my3f
@user-sr4xb2my3f 7 часов назад
東京帝国大学の学生は全員パッパラーだったんですよ。  当時大学を志願する人なんて僅かで全ての大学は募集人員に受験者数が達していなかったので  金持ちなら誰でも大学に入学出来ました。  勿論勉強している者などほとんどいなかったみたいです
@user-gl5gs4nc9b
@user-gl5gs4nc9b 10 часов назад
大正16年て昭和2年の事かな?大正は15年迄の筈火傷。
@percy5665
@percy5665 День назад
将校の制服が実費と言うのはヨーロッパの文化です。 ヨーロッパでは貴族や領主(騎士や大地主)が王から官位をもらっており自前で軍服を仕立ててました。 戦争が始まったら兵隊として領内の若い男を一時的に集めて戦争が終わったらそれぞれの仕事に戻っていました。 これを近代国家は徴兵による一律化により職業軍人の将校、任期制の兵、間が広がるので兵から昇任させた下士官の大きく3階層に分かれますが、職業軍人の将校は実費調達のままでした。
@user-xp3ej6be5w
@user-xp3ej6be5w День назад
今は帝大卒でもブラック企業短期退職→日雇い労働者→引きこもりがデフォだからな、、、って氷河期世代だけ?
@user-zi3hq2xe9v
@user-zi3hq2xe9v День назад
次はやはり海軍機関学校と海軍経理学校をお願いします⚓️∠(`・ω・´)
@user-zi3hq2xe9v
@user-zi3hq2xe9v День назад
大正16年はありませんよ😶
@giantszero6962
@giantszero6962 2 дня назад
戦後にも通じる大衆文化が広まってる反面軍部が台頭し農村は前近代的なままな時代。 アメリカ化と聞いて真っ先に浮かぶのが怪獣映画。 戦後のゴジラなどは輸入上映されたキングコングやターザンの影響をもろに受けてるし。
@user-zi3hq2xe9v
@user-zi3hq2xe9v 2 дня назад
戦前の大衆の娯楽の一番の人気ジャンルといえば、浪花節は絶対に外してはいけない❗️
@uxcq3963
@uxcq3963 2 дня назад
師範学校をお願いします🙏
@LaLaJun
@LaLaJun 3 дня назад
予備役の軍人が将校の軍服を着て保険の営業に家庭に来る事があったと本で読みましたよ。
@sak252
@sak252 3 дня назад
当時の帝大法学部では、卒論(今の東大法学部や京大法学部にはありません)を書くために、原書を何冊も読み込まなければならなかったそうです。 商社各社が帝大生に高給を提示していた一因には、その語学力への好評価があったのかもしれません。
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 4 дня назад
陸軍将校の養成のために造られた学校ですね。エリートですね。
@user-lb8vc8it6z
@user-lb8vc8it6z 4 дня назад
少尉で当時の帝大新卒くらいの収入だったハズだがこれで貧乏少尉と言うなら新人なんだからしょうがない
@user-bw8fx2tc5u
@user-bw8fx2tc5u 5 дней назад
ある海軍兵曹の飛行機搭乗員が、中国戦線に行ったら給料が倍になり、しかも使うところもなかったので、トランク一杯の猪🐗(10円札)を日本に持ち帰ったという話を聞いたことがあります😁
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 5 дней назад
陸士と並んで、海軍将校の養成機関。だから、エリート校ですね。
@user-su3ej6qg2h
@user-su3ej6qg2h 5 дней назад
「陸軍将校の敎育社会敎育社会史ー立身出世と天皇制(上・下)」(広田照幸)(ちくま学芸文庫)に陸軍将校の実態がよく述べられている。このシリーズの「陸軍幼年学校と陸軍士官学校」をさっき見てそこにもコメントしましたが、陸士出た亡き父が生前よく言っていたこと思いだしてコメントします。  概して、軍人は貧乏人がいく学校で割りに合わないという意識が世間、特に都会では強くそれは現代まで続いている。防衛大学は陸士、海兵時代に比べて難易度が低い(大体、地方国立かマーチぐらい。ただし、防衛医大医学科は別)こともあるが、任官拒否も多い。  だが、九州など地方では評価が高いとか。また、自衛隊という閉塞社会では階級が全てで、一尉以上の幹部は一般隊員からみると神様扱いである。(これは警察や旧国鉄や一部大手私鉄など現業が多い制服組織に見られる。会社の自衛隊体験で見た光景では一部の一般隊員は幹部の制服にさえ畏敬を込めていた) 一方で自衛隊は定年が早い。防衛大出た幹部でも多くはニ佐くらいで終わり、再就職先は自動車ディーラーぐらいとか。そのギャップが大きい。(自分の会社の運送系子会社に陸自二佐の人が部下なし付部長でいたが、現役時は部下が全部してくれてただ号令するだけだったのに、今は一人でセールスしていると嘆いていた)  その点は、前記の本に書かれている旧軍時代の将校の生活観、行く末と同じである。しかも、戦前の高級軍人は陸軍省課長は大佐だが、今は防衛省本庁課長は事務官僚の世界で微妙に差別されている  まあ、戦前でも本省や参謀本部は陸大卒が主流なので、難易度的には現代の国家公務員総合職(昔の高等文官、旧国家公務員上級職甲)と相当と考えれば、陸大=国公総合職、陸士=隊付将校と考えればいいのかもしれない。(もっとも、ランク的には 陸士>防衛大、陸軍省(一流)>防衛省(二流)なので軍人は自衛官より世評は圧倒的に高い。防衛省事務高級官僚が昔の真の高級軍人の地位にあたるのだろうがインパクトは弱い)  俸給的には、今と昔では物価以上に給金価値、社会敎育文化度が違うので単純比較はできないとも思います。昔は多くの国民が衣食住だけあれば良い世界。高等教育行く人も多くないし、文化サービス業も発達しない中後進国家(今のロシアぐらいのイメージ?)。だから多くの国民は農商工の現業従事で貧しくともそれなり生活に甘んじていたのではなかろうか。だから、官庁や財閥や一部基幹産業従事の高等職員以外の現業従事職員の給与が相対的に低く出るのは仕方ないとも思う。  旧軍の問題はやはり陸士の表向きの評価の異常な高さと、しかし陸大出以外の隊付大勢組の受ける処遇のギャップだっただろう。前記の本にも書かれていたが、陸士生徒は折々に触れて天皇のお目通りができるチャンスに恵まれており意図的に天皇親衛というエリート意識が植え付けられている。それなのに、平時では早々に予備に回され、不況時には学校小使やセールスマンなど意図しない境遇の者もいたらしい。その点は、現代はいくら高級自衛官の給料が本省幹部に見劣りするといってもそれほどの差はないだろう。
@user-su3ej6qg2h
@user-su3ej6qg2h 5 дней назад
亡き父は田舎の中学から陸士行った。実家が色々あって金銭的に余裕ないのと、田舎では軍人の評価高かったから。幼年学校は落ちたので中学から。幼年学校は当時は軍縮の影響で東京しかなく非常に少数だったとか。(受験の翌年から各地にもできて少し入りやすくなったとか)  中学は2番で入ってが少しサボって20番くらいまで落ちたが、最後は頑張って合格。入試問題、特に数学傾向研究したのが良かったとか。田舎のわりに学歴社会だったのか一高とか三高とか、高等師範とかよく言っていた。(海兵の方が陸士より難関。しかし、敗戦直前は陸士の方が上。海兵は軍艦沈められて陸戦隊になったが、大量入学。制服がナッパ服なり人気下落とか)  当時は、旧制高校がエリートで早慶はダメ。 特に早稲田は与太者という意識が庶民でもあったらしい。(実家が下宿屋やっていたが、下宿させていた女学校の先生では、広島高等師範出の先生はえらいが早稲田出の先生は偉くないと母親が言っていたとか。)  このように何故か学歴詳しい父の影響で、自分は一流半私立から国立目指し、急に成績伸びたので東大受けた。やはり最難関で失敗し早稲田入ったが、学風と世評の意外な低さで嫌になり東大再受験しやっと合格した。当時、東大には旧制高校出の教授がいた。ある人気教授はザックバランな人だったが、東京の中学では一高が別格。次に海兵で、陸士はその下で水戸高校や静岡高校、浦和高校と同じくらいと言っていた。(その教授は水戸高校から東大経済)  軍人は陸大出ないとダメ。そのため、陸士でもこっそりガリ弁するのが出世する。父の昔語りでは昔いた部隊の上官がよく、視察きた陸大出の上官の悪口と、後輩へのアドバイス(勉強しないと後悔するぞとの)をしていたとか。  父は結局勉強しなく成績ダメだったので、卒業後は朝鮮の部隊に行ったが、それでも戦争中だったので、数年で大尉になったが、近所の人がびっくりしたとか(平時には万年大尉で退職の人も多かったらしいので)その後、陸軍が特別に作った潜水艇(まるゆ部隊)部隊に入り隊長(艇長)で終戦。最後は広島近くの島に駐屯し広島へは一番救援隊で入った。原爆ドームあたりで女学生や中学生の悲惨な状況を見たらしい。(終戦後も放射能影響ないか結構心配したとか)  なお、軍人の評価は地域で異なる。旧制高校崇拝、私学蔑視は戦前の日本では共通のようだが、軍人の評価は都会では少し低かったとも思われる。概して貧乏人がいく学校で、規律厳しくその割に恵まれないという意識があったようだ。(昔の帝大行くには結構な金がかかった。それで、田舎の大地主階層も旧制高校から帝大コースが多かった)  また、意外なことだが、都会近郊の地主階層の一部には、長男は中学ぐらいで後継がせるのがいいという考えもあったようだ。自分の母は都会近郊出で、旧制女専まで行かせてもらえたらしいが、父の学歴全く評価していなかった。(自分の地元では最近までその名残があった。結構中学受験盛んな地域で東大や京大最上位クラスの私立がいくつもあるが、新興住宅地のサラリーマンの家庭だけでが行く。地元の家庭は土地持ちで裕福だが受験熱はない。そのため地元公立高校はどこもレベルが低い)
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 6 дней назад
ここを卒業して、高等文官試験に合格すると、キャリア官僚としての生活が始まるんですよね。そして、その出世の速度は、武官の速度よりも早く、5歳も早く、高等官一等位に慣れるとか言われていますが、本当に戦時の初級将校供給源になるようになっているんですかね?
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 6 дней назад
武官に比べて、文官のキャリア組の出世の速度は半端ではない。
@user-ps3hn3bq7m
@user-ps3hn3bq7m 6 дней назад
おれポンコツ平社員だけど少佐ぐらい給料貰ってるけど、会社の為に頑張った方がいいのかな?
@user-qi1dp6ce9m
@user-qi1dp6ce9m 6 дней назад
これは兵曹長に任じられた方の話ですが、通常軍装から礼装だけで千円、さらに私服の洋服や袴付きの和服(海軍士官には私服でもそれなりの格好が求められた)を揃えるのにさらに五百円かかったと言う話ですから、新米士官はかなり苦しかったと思います。
@anjing2728
@anjing2728 6 дней назад
これも歴史から鑑みれば小島の無常展開に過ぎない。
@yoshi-yu6sn
@yoshi-yu6sn 6 дней назад
若い少尉さんにゃ金がない〜♪ 女泣かせの中尉殿〜♪
@tsuchikadonarita9334
@tsuchikadonarita9334 6 дней назад
昭和70年(1995)の物価が,昭和100年(2025)の何%だったのか,是が非でも知りたいものですが…。 昭和50年頃の物価…"UFOコマンダー7"→約1/6 昭和60年頃の物価…"ブリタニア号" →約1/4 昭和70年頃の物価………………………→VHSの価格から,算出できんものか…。(※12月8日に,DVDの規格が発表される。)
@ku8687
@ku8687 7 дней назад
やるせない現実
@kahoru726
@kahoru726 7 дней назад
良い動画で感動しています。226事件の奴らも所詮は金ですよ。
@nuruosan4398
@nuruosan4398 7 дней назад
日本フォードの社長秘書は女性でありながら当時の東京都知事より高い給料をもらっていて、日本一の高収入の女性として新聞にも紹介され話題になった
@user-jq2yo9tc1c
@user-jq2yo9tc1c 7 дней назад
金は出せないけどお前らはお国の為に頑張ってるんだぞ偉いんだぞ尊い仕事なんだぞだから誇り持って働けよっていう誤魔化しが、次世代になると子供の頃から軍人は偉いって聞いていたのになんでこんなに金貰えないんだおかしいだろって加速度的に不満が蓄積し暴走していく事になるの本当に世の中ままならないというか。結局誤魔化しというのはどこかにしわ寄せがくるんですな。あまりにも大きなしわ寄せが。
@user-xz5he2kw4r
@user-xz5he2kw4r 7 дней назад
当時の大企業の月給を追記します。日本鋼管(現 JFE)の記念館に戦前の給与に関する記載がありました。課長(当時の課長は現在の部長に相当)で200円、技師長で300円でした。軍人で該当するのを探すと、陸士を出たら誰もがなれたという少佐194円、海兵を出たら皆がなれたという大佐345円に相当します。一般工員の給与が30~40円の時代でもあり、これは立派なものです。思わずため息が出ます。ちなみに当時の課長・月給200円は家には女中を置いていました。
@_newby_geek7219
@_newby_geek7219 7 дней назад
あくまで私見だけど、純粋に問題を見比べる限りは「当時の東大入試」より「現在のセンター試験」の方が難しい。 だから何だって話ではあるけど、絶対的な”学力”の上昇についても、より多くの人が触れてくれれば良いのにねー。
@user-nb6dg4qu8m
@user-nb6dg4qu8m 7 дней назад
火垂るの墓の節子と清太の父親は海軍大尉だけど、こう見ると別に金持ちのボンボン生活を送れるって訳でもなさそうだなぁ。まぁ、海軍だから色々他にも手当あるだろうけどさ。
@user-yn2lp1rf2e
@user-yn2lp1rf2e 8 дней назад
帝都物語の加藤も薄給だったのね😢
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 8 дней назад
この当時、帝国官吏としてエリートだったんだよ。将校はね。
@giantszero6962
@giantszero6962 8 дней назад
少尉でも将校なら決して待遇は悪くないけど問題は軍服などが自前であること。なんでそうなってるの? あと退役後。軍の常識=世の非常識だから再就職は楽じゃなかったはず。
@user-yakisoban
@user-yakisoban 8 дней назад
ま、色々と大変だったろうけど2回もクーデター起こした連中なのは覚えておかないと
@kawasakikr-1s315
@kawasakikr-1s315 8 дней назад
一応、独身者は官舎での生活が基本で、衣食住は支給になるので俸給はこれで生活しなければならない給料という訳ではないしね・・・ ただし士官になると制服などの仕立ても兵士と異なり自腹になるので、新米士官で安い俸給の間はキツイかもしれないね
@user-wi4pc1me9g
@user-wi4pc1me9g 8 дней назад
会食料亭にいかないといけないし今と違って上司の誘いは絶対なので手持ちなくていけないなんて言えない 部下にたいしても土産や奢り代もあるしつらいよな
@user-ft3qw3zu2z
@user-ft3qw3zu2z 8 дней назад
お待ちしておりました♪ ちなみに… 予備役…ヨビヤク❌     ヨビエキ⭕️
@mf9439
@mf9439 8 дней назад
権力の中枢から遠い個々人に対してひたすら過酷な扱いをする点は、昔も今も同じである
@user-lm4dz8xi6x
@user-lm4dz8xi6x 8 дней назад
この、将校の待遇と政治的暴走に関しては、多くの方が指摘されてますね………
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 8 дней назад
小学校の頃は徴兵や招集による兵役は国民の義務だから無給だと思ってました。
@Kaito5327
@Kaito5327 8 дней назад
明治維新後の我が一族は地主階級だった。地主として安穏とした生活が約束されていたが、かつて後鳥羽上皇や織田信長に仕えていたころの家名再興の夢を捨てきれず、祖父は陸軍士官学校に進学したと聞く。
@user-pg2tb8hi5r
@user-pg2tb8hi5r 8 дней назад
日本軍は中々昇進できない軍隊。昇進枠が決まってるからめちゃくちゃ武勲を上げてもめったに昇進できなかった。 ナチスドイツ軍やソ連軍みたいに武勲を上げたり国家指導者に気に入られたらホイホイ出世できる組織もあったが。 3年で陸軍大佐から陸軍元帥になったロンメル元帥なんて日本軍ではあり得ないこと。
@user-sd5ge7vl4p
@user-sd5ge7vl4p 8 дней назад
てらせんのサブチャンネルですか?登録させて頂きました😊
@user-vw2cg6kb7p
@user-vw2cg6kb7p 8 дней назад
明治初期に定めた俸給表をインフレに合わせて改正しなかったことが軍人の困窮原因だったのしょうが、翻って、デフレ時代の平成を自衛官であった身としては、まだマシだったのかもしれないなぁ〜と感じているところです。 私が経験した自衛隊は、薄給かつ定額働かせ放題も可能なブラック公務員でしたが、そこは親方日の丸。ささやかではありますが毎年定期昇給したためデフレという環境も相まって浪費しない限り生活の安定を図れたものです。 生活に余裕ができたことから、デフレで割安に放置されていた株や不動産、ゴールドをせっせと買い集めることもできました。 現在、50歳ですが、すでにブラック労働からも解放されて悠々自適に過ごせております。 ただ、これからのインフレ時代の若い人達は大変でしょうね。より一層、早い時期から投資することをお勧めします。
@user-om9te8pj6c
@user-om9te8pj6c 8 дней назад
今も昔も仕事をしない国会議員は高級取り 国のために戦場で戦う徴兵の兵隊さんは一銭5りん
@user-hu3zj1tv6g
@user-hu3zj1tv6g 8 дней назад
8:43 いや、制度のモデルにしたドイツ(特にプロイセン)の陸軍でも同じ話し聞いた事がある。 確か、ドイツ統一で功績を上げたモルトケでさえ、尉官の時に食べれないからか翻訳仕事を掛け持ちして、結婚は佐官になってからだったはず。
@user-rm7sq3ge1q
@user-rm7sq3ge1q 8 дней назад
上が貰いすぎて 今も変わらんぞ
@user-rk2ml6eq6o
@user-rk2ml6eq6o 8 дней назад
陸海軍の将校さんは、軍服等の装備品(軍刀や議場用のサーベルなど)全て自前でしたから、給料日に成ると洋服屋の集金が「鬼より怖い!」と言う話もあったみたいですね?
@yoshitsuguoda5046
@yoshitsuguoda5046 5 дней назад
あまつさえ皇族御用達麹町太田屋で大礼服なんか仕立てたら青天井だったでしょう。
@user-gm4qi7oo9s
@user-gm4qi7oo9s 8 дней назад
まあ、士官になっても実入りは少なかったです。 要人になれる人はともかく実戦部隊の 士官は部下も飢えてました。 飛行機乗りのうち戦闘機乗りは少ないのは仕方ないから「せめて食事とか喫煙は自由にさせてくれ」と言っていてそれでも却下されると現地人の鶏や豚を獲ろうとした話がありますからね。