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昭和42年の羽幌炭砿求人情報 

RaRa-ch
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6 сен 2024

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Комментарии : 29   
@Meteor.shower.wand.
@Meteor.shower.wand. Год назад
めちゃくちゃ詳細な炭鉱夫求人を初めて拝見しました。 よく集めましたね。 その収集能力、脱帽致します。
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os Год назад
ご視聴、コメントありがとうございます。実は、この資料は集めたわけでは無く、40年以上も前に亡くなった父の遺品の中にありました。父は、羽幌炭砿の求人にも深くかかわっていたので資料や写真フイルムを沢山持っていました。その資料を使い投稿しています。廃墟と成った羽幌炭砿は結構投稿されていますが当時の姿を知ってもらいたくて今年3月末より投稿活動を始めました。
@carlosbandera7770
@carlosbandera7770 Год назад
RaRa-chaさんの番組を見ていると、炭鉱が人集めにいかに苦労をしたかがうかがえます。炭鉱のあったころは、事故の報道もたびたびあり、確かこの求人の出たころには雄別炭鉱茂尻鉱業所の爆発事故で60人くらい亡くなったような記録を見たことがあります。私の記憶にある時代でも昭和56年に北炭新夕張炭鉱の事故とか昭和60年ごろの三菱南大夕張炭鉱の事故とか、とにかく事故が多かったです。それと3交代制は不人気で「3交代制のおかげで人が集まらなかったのでは」と元炭鉱マンの方から聞いたことがあります。はたまた、30年代から始まった「ビルドアンドスクラップ政策」で中小の炭鉱がどんどん閉山していった時代です。将来性に疑問もあったのでしょう。それに加えて炭鉱が山の中となると求人を見た人の気持ちはなんとなくわかります。
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os Год назад
ご視聴ありがとうございます。炭鉱マンは、皆命を懸けて働いていました。亡き父も、坑内員ではありませんでしたが人集めに、留萌、札幌、旭川と、人集めに出張していました。閉山後、苦労がたたり54歳を迎える前に他界してしまいました。ある意味、命を懸けていたのでしょうと、思っています。
@rorlang
@rorlang Год назад
この年の12月に生まれてしまいますので、タイムマシンで行くとタイムパラドックスが起きるので無理です・・・ なんて冗談はさておき、全く地域は違いますが街並みや人の雰囲気がとても懐かしいものでした とても良く面白い動画有難うございました
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os Год назад
こちらこそ、ご視聴下さいまして、ありがとうございました。 コメント頂き、励みになります。
@user-oc7lp4ko7p
@user-oc7lp4ko7p Год назад
大卒公務員の5倍稼げるというロマンがあった時代…。炭鉱だけでなく、長距離トラックとか建設業とか、昇給のスピードが比較にならなかったとか。
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os Год назад
私の時代でも、公務員はあまり人気無かったですね、その後やって来るバブル時代には、給料の良いところ、条件の良いところへの、転職が当たり前でした、そんな時代もありましたね。今は、安定の公務員が人気の様ですが 時代は変わりましたね!
@user-lm4dz8xi6x
@user-lm4dz8xi6x 10 дней назад
羽幌炭は質が良く、ビルド鉱として安定していたようですが、突然の閉山。しかし、この見切りの良さが幸いしたとも言えます。まもなくオイルショックで高度成長も終焉。構造変化で国内鉱業は壊滅状態になります。この会社今でもあるみたいなので、一応正解だったと言えますね。
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os 10 дней назад
御視聴頂きありがとうございます。「石炭」から「石油」へと昭和の「エネルギー改革」の頃の話でしたが この先、「石油」から「 再生可能エネルギー」へと移って行くのでしょうけど 炭鉱のj町の 閉山劇 の様な新たなる「ドラマ」 が生まれる事があるのでしょうかね?
@user-cp5kw6ko7h
@user-cp5kw6ko7h Год назад
この求人で三年後に閉山...。 炭坑夫のその後が知りたいです。
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os Год назад
閉山は、国のエネルギー政策の転化が大きかった様です。そのための保証として、退職金の保証を政府がする政策があり、その最終年に閉山を決断したみたいです。従業員の生活を少しでも守って頂いたとおもいます。北海道内の他の炭鉱が相次いで閉山し、羽幌もあぶないと、風評被害が流れ、閉山前に人が流出、人で不足になった事や、関連会社の倒産等色々な事もあったみたいですが、会社は従業員へ次の就職先を斡旋る事に最後まで奔走していました。
@hmasahikawa
@hmasahikawa Год назад
他の動画も見たんですが羽幌炭鉱さんはかなり条件も良かったみたいですね。 家にピアノとか車とかラジカセがあった。 電気光熱家賃無料。 炭鉱会館(劇場) もしこっちの時代で閉山までの3年ちょっとだけ働いて元鞘(今の時代今の職場)に戻れるのなら働きたい。 当時には『セクハラ』って言葉なかったから車掌さん(美人)にセクハラやりたい放題(笑) 今やすっかりなくなった『羽幌線』『深名線』や『札沼線』、『昭和炭鉱鉄道』『夕張鉄道』『天塩炭鉱鉄道』に乗る。昭和炭鉱は羽幌炭鉱閉山の前年になくなってるから有給取って早めに行きたい。できりゃ昭和炭鉱名物『隧道マーケット』も。 羽幌炭鉱での3年分の賃金溜めるだけ溜めて閉山のときに53年後に爆上がり(当時の50倍以上に)する株や先物を買ってこっちの時代に戻る。 超架空サクセスストーリー(笑) ただ当時にはケータイスマホ、ネットなし、電子マネーなし、便所汲み取り、道悪い、豪雪厳しいっての我慢できりゃなんとかなる。
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os Год назад
楽しいコメントありがとうございます。これからも宜しくお願い致します。
@user-nj4lr5fz4m
@user-nj4lr5fz4m Год назад
それならばあの軍艦島もそうですね。家賃、光熱費はだただから耐久消費財が多かった。だからきちんと貯金した家ならばわりと良い暮らしできたと思うよ
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os Год назад
軍艦島の募集要項も気になりますね。
@Su----
@Su---- 8 месяцев назад
そのパンフレット。羽幌町郷土資料館で見たような記憶があります(直接手に取れなかったので中身までは見てませんが) 週休2日制ではないものの有休も年間20日間とは、1960年代の労働環境としてはハイグレードですねー。 ところで 3:52 のジャンプ台ですが、築炭、本坑地区ともに、こんなに開けた平野や、モルタル造りの一般2階建て住宅ってなかったように思えるのですが、どこか別のスキー場写真からの流用かな?と感じました。実際いかがだったでしょうか。
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os 8 месяцев назад
コメントありがとうございます。パンフレットは資料館にもあったのですね! 資料館では気が付きませんでした。パンフレットは我が家の父がこのパンフレット作製にも関わっていたのでしょう 我が家に残されている物を使用しました。3:52のジャンプ台の写真ですが全然気にしていなかったですが確かに風景が違いますね。カメラ写真のデーターを見ると 前後が羽幌資料館の写真で築炭駅構内の配置図と 駅の切符売り用のホルダーと成っているので資料館で撮った写真だと思います。御指摘されるまでは周りの風景を気にしていませんでしたが 確かに周りの風景からして近代に近い写真だと思います。私は 朽ちて行くジャンプ台の写真だと思っていましたが???どこの写真なのか? 羽幌町なのか? 羽幌町に他にジャンプ台が在ったのか? 2012年に資料館で撮った事は、データーの位置からして間違い無いと思いますが???です。今 初めて気が付きました。御指摘ありがとうございました。
@kesemoi100
@kesemoi100 10 месяцев назад
各種手当、福利厚生がハイグレードすぎるね
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os 10 месяцев назад
コメント頂きありがとうございます。坑内で働いていた方は、自分の命を懸けた仕事でしたでしょうから条件を良くしていたのでしょうね。街が一つの職場であった昔の活気が懐かしいです。
@kesemoi100
@kesemoi100 10 месяцев назад
@@Ch-oe4os 炭鉱で働く人の羽振りが良かったのは 釧路の炭鉱博物館の係の人から話を聴いたことがあります。 炭住街はどこの家もTVのアンテナが建ち並び TVの所有者は札幌よりも多かったとか 炭住祭の日は子供がお札で小遣い貰っていてとか 今では考えられませんわ。
@rokuroku214
@rokuroku214 Год назад
今の3勤制工場を見るようだな?
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os Год назад
コメントありがとうございます。現代は24時間営業しいているところが多いですよね。身近な所では、コンビニ、スーパー・ホテルなんかもありますから。
@user-dg4hw5cr5k
@user-dg4hw5cr5k 8 месяцев назад
至れり尽くせりの募集要項。ここは東京だけど、子供の頃に「湯瀬石けん」とか「羽幌炭」の名をよく聞きました。
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os 8 месяцев назад
コメント頂きありがとうございます。「羽幌炭」は留萌港から東京方面 にも出荷されていた様です。元々羽幌炭鉱の開発には、神戸製鋼の熱源確保の為に開発された様です。本州方面へも幅広く出荷していた様です。(私も最近動画を作り始めて知った話ですが・・・。) 本年も 宜しくお願い致します。
@user-co2pr3gh6c
@user-co2pr3gh6c Год назад
きっと私は、蒸気機関車かヂーゼル車の運転士になっていたかも.‥😅
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os Год назад
それじゃ私は、三山を廻るバスの運転手になっていたかも?
@Mn-gg4yr
@Mn-gg4yr 16 часов назад
画像の編集目的よくわからない。見にくい。普通に紹介してほしい
@Ch-oe4os
@Ch-oe4os 13 часов назад
コメント頂きありがとうございます。 貴重なご意見として受け止めます。 半世紀以上前のデーターを出来る限り修復しての編集でした。当時を懐かしむ人達へのメッセージとしての投稿でした。もし、動画を視聴して不愉快になったのでしたら謝ります。「申し訳ございませんでした。」
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