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無能でもプライドを捨てて弟に従った世渡り上手 藤原道綱の生涯【光る君へ】 

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参考文献
上村悦子『蜻蛉日記の研究』
ndlsearch.ndl.go.jp/books/R10...
伊藤博『蜻蛉日記研究序説』
amzn.to/49M56HY
倉本一宏『藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代 (文春新書)』
amzn.to/3PgKa3s
増田繁夫『蜻蛉日記作者 右大将道綱母 (日本の作家 (9)) (日本の作家 9)』
amzn.to/4blIyPp
川村裕子『新版 蜻蛉日記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) 』
amzn.to/3SLodvx
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藤原道綱は無能のイメージが定着しており、実際、政治的に活躍したとは言えず、昇進も権力者となった弟の道長頼りでした。
藤原実資からは無能さを散々に日記に書かれており、晩年には道長に対して「一月だけでいいので大臣にしてほしい」と頼み込むなど後世の創作抜きでも情けないイメージがあるのは事実です。
この背景には、夫の来訪が少なくなり息子への愛に生きるしかなかった道綱母の存在があると言え、ほとんどの和歌を代作してもらうなど一人っ子として甘やかされて育ったことが、ぱっとしない道綱の情けなさに繋がったと見られます。
今回は、本人は大した活躍はできなかったものの、道隆 道兼死後は権力者となった道長の唯一の兄として藤原氏の長老の地位にあったがために出世できた藤原道綱の生涯について紹介します!
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【画像引用】
大河ドラマ光る君へ公式サイト
www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1...
#光る君へ #藤原道綱 #上地雄輔 #大河ドラマ

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11 мар 2024

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Комментарии : 57   
@chi-ki0
@chi-ki0 4 месяца назад
藤原道綱は運と、変なプライドは持たずに現状の環境を受け入れる力が高かった事で世渡り出来たのだと思います。
@user-xg9ii8qp1h
@user-xg9ii8qp1h 4 месяца назад
出来のいい弟がいることを利用できるのがえらい。なかなかできる事じゃない。
@user-oj9is6th6q
@user-oj9is6th6q 4 месяца назад
「光る君へ」の大河ドラマでの道綱が大好き。 関白、太政大臣、右大臣、左大臣などの妻になるより、道綱のような明るく、優しく、トップをめざさない、だけど富はある道綱の妻になりたい。
@うにいくら
@うにいくら 4 месяца назад
道長にとっては数少ない癒しであり心の支えだったりするのが面白いです
@user-ec2sf1vt8y
@user-ec2sf1vt8y 3 месяца назад
僕はいつでもNo.2😄💕
@user-lb9ot1nt9d
@user-lb9ot1nt9d 4 месяца назад
この人、道長以上に運が良くて世渡り上手なんだと思います
@sabasanma
@sabasanma 4 месяца назад
光る君への道長ではなくガチの道長は少し人間味に欠ける。 まああの時代の政治家なんてあんなもんかも知れんが。
@user-bv7pl4bg2l
@user-bv7pl4bg2l 3 месяца назад
大臣にしてくれと弟に懇願するエピソードは兎も角、母の不遇を見ているだけに女性には優しかったのでしょうね。
@Horururu
@Horururu 3 месяца назад
この人を演じられる上地雄介さんがすごい。
@user-gj4sv4ef7p
@user-gj4sv4ef7p 4 месяца назад
「世渡り上手」という言葉が似合う人生ですね
@sayokowaffle9107
@sayokowaffle9107 4 месяца назад
寛和の変での上地さん、良いお芝居されてたなあと思います。権謀術数なぞさっぱり判らないのに、兼家の次男であり弓が上手いってだけでとんでもない席次につけられてあわあわしてる感じとか(笑) 道綱母は日記や百人一首で才女なんだと思っていましたが、母親としてはこう、何というか・・・だったのは勉強になりました。
@user-ec2sf1vt8y
@user-ec2sf1vt8y 3 месяца назад
そ〜っと兄貴と一緒に剣璽を抱えて移動する時に、コケかけて 剣璽を落としそうになってましたね。😂💦 見ていてヒヤヒヤしました。 三種の神器を運んでいるところを目撃した者があれば始末せよというお父さんの怖い命令。 道綱さんに人殺しなんて、出来なさそう。😢
@patmap
@patmap 4 месяца назад
無能と自覚していたからこそ没落することなく良い人生を送れたのでしょうね。半端に野望が一欠片でもあったり、自身に野望なくとも少し有望なところがあると周りに持ち上げられて、道長相手ではあっという間に悲惨な人生になっていたと思われます。
@user-us9sf3kx2s
@user-us9sf3kx2s 4 месяца назад
愛されキャラなら良いんじゃない? 中途半端に有能な人物の方が 周りに害を及ぼす事もありますから。
@cancan5892
@cancan5892 4 месяца назад
歴史上に名の残る人物は偉業や才気で優れた人が多いですが、弟道長の権威を後ろ盾に”一月だけでいいから、大臣にしてくれ!”という情けなさは、つい笑ってしまいます。それでも倫子の妹を本妻に迎えているのですから、そこそこ評価はあったのでしょう。長徳の変で失脚した伊周の代わりに中納言になり、その後大納言まで出世したとは、無能でも務まる朝廷政治の真骨頂でしょうか?!勤勉な実資が怒るのも、無理ありません。他方、母の文才は継がずとも、文学的環境に幼少期から居たので、和歌やその方面の知識は高かったのでしょう。当時の一流歌人と交流できるのは、また新たな優れた才能です。もともとの出自から、兼家本家筋に楯突いたり、足を引っ張り権力を奪取しようとしないのがはっきりしているから、道長も安心して道綱を用いることができたんですね。こういう権力欲にまみれていないちょっとユニークな男性は、意外とモテたというのもわかります。
@k1mr17
@k1mr17 4 месяца назад
藤原道綱母の子である藤原道綱
@hayato-no-kaze
@hayato-no-kaze 3 месяца назад
今年の大河は、古典の授業でお馴染みの名前がたくさん出てくるからいつもより興味深く見ていられます
@user-ec2sf1vt8y
@user-ec2sf1vt8y 2 месяца назад
百人一首の歌人達がたくさん登場してますものね。😊 私も同じ理由で興味深く視聴しています。💕
@user-hj8ms6qk6s
@user-hj8ms6qk6s 4 месяца назад
蜻蛉日記読むと面白い
@vianeplus
@vianeplus 4 месяца назад
弓の名手って話が欲しかったなぁ。 私も無学なので一文不通でも世渡り術を心得た道綱が好きです。
@rekishock
@rekishock 4 месяца назад
出家騒動で蜻蛉日記エピソードの尺をだいぶ使ってしまったので省いてしまいました…すみません…
@kamiramain6043
@kamiramain6043 3 месяца назад
織田信雄もそうだけど、血筋がよくかつプライドがそこそこだったから生きながらえたし、割と自由な生活を送れてるから、プライドはある程度で良いというのは学んだ
@tomohiroichikawa7671
@tomohiroichikawa7671 4 месяца назад
子孫が鎌倉幕府の将軍になったようですね。意外としぶといのかも。
@vmoiub
@vmoiub 4 месяца назад
無能なのに居るだけで皆が安心する偉い人、会社にもいるよね・・・(´・ω・`)
@rekishock
@rekishock 4 месяца назад
歴史上の人物を安易に無能呼ばわりするのは良くないですが、道綱は無能、良くて優秀でなかったと呼ばざるを得ないなと思います。 貴族としては及第点はあったのでしょうが、道綱の置かれた環境では許されないという印象です。
@user-pt3yj5ex9u
@user-pt3yj5ex9u 4 месяца назад
すると、同じく無能で有名な顕光よりはまだマシ、ということでしょうか。
@user-fb7kc3fu2u
@user-fb7kc3fu2u 4 месяца назад
さらに無能だった兄弟もいたようですね
@user-nk4sk4lt6x
@user-nk4sk4lt6x 4 месяца назад
更級日記の作者、菅原孝標娘さんとは従兄妹の関係ですね~
@user-pm1gm4qo3f
@user-pm1gm4qo3f 3 месяца назад
右大将道綱の母の異母妹が嫁いだのが菅原孝標、その娘が菅原孝標の女
@user-iy1xo3cb9j
@user-iy1xo3cb9j 2 месяца назад
左大臣源雅信の中の君に恋をして最終的には結婚を認めてもらっていたり、道綱が死ぬときに道長自ら見舞いに行く仲だったりと、小右記のイメージダウンがひどすぎるだけで、際立った才能はないけど好かれる人というイメージです。あと、和歌集に一首入っているので、母親の才能も少しは受け継いでいた。
@HK-yo7zp
@HK-yo7zp 3 месяца назад
道長にとって安心できる唯一の兄だったと思う
@user-さわ
@user-さわ 4 месяца назад
道綱も実資も北の方との縁が薄い者同士だから、何かきっかけがあれば仲よくなれたのかも
@fujiwara_shino
@fujiwara_shino 3 месяца назад
右大将道綱母 中学の頃読んだ新井素子の小説に出てきて、 百人一首で一番最初に覚えた歌。
@taroukuma7125
@taroukuma7125 4 месяца назад
道綱のお母さんはちょっと問題と言うか、あの時代の女性としてどうかな。 蜻蛉日記は読んだがかなり強い女性だ。男は扱いづらい女性だったろう。 息子は文才も何も受け継いでいないが、結果良い人生だ。お母さんも何だかんだ、いい子を持ったと思ったんじゃないかな。
@torisai6116
@torisai6116 3 месяца назад
道綱…と、いえば… 好きな女性への恋文の歌を母親につくってもらったのにフラれたり、家出した母親のトバッチリで父母の間でワタワタしたり…と、いうイメージしか出てこない…
@user-wn6ro1jr1d
@user-wn6ro1jr1d 4 месяца назад
昔のムロタニツネ象さん作画の学研漫画では、道隆・道兼に続いて次々死んだと描写されてましたが、その後も生きていたんですね。花山天皇の3兄弟肝試しに道綱はいませんでしたが、肝試し自体描かれることはありませんでしたね。
@user-kazenodrone23
@user-kazenodrone23 4 месяца назад
藤原家もいろいろありますね😉
@user-dq3tn3mg2i
@user-dq3tn3mg2i 4 месяца назад
右大将の道綱のイメージしかありません。
@user-jf5sx6zj4t
@user-jf5sx6zj4t 4 месяца назад
右大将道綱の母は高校生から知っていましたが、その道綱が藤原道長の兄だとは 最近知った70ちかい爺です。
@user-dq3tn3mg2i
@user-dq3tn3mg2i 4 месяца назад
@@user-jf5sx6zj4t さん異母兄に道隆、異母弟に道兼、道長です。道隆、道兼、道長は母親が同じ
@user-jf5sx6zj4t
@user-jf5sx6zj4t 4 месяца назад
@@user-dq3tn3mg2i  蜻蛉日記の作者の夫は兼家、道長の父は兼家。知ってはいましたが両者が結び付いてなかった 藤原氏の家系図は何度も見たはずだけど、道綱はあくまでも”右大将道綱”の認識で個人としての藤原道綱の認識はありませんでした。思い込みは恐ろしいと改めて感じた次第です。
@kk-hq8nu
@kk-hq8nu 4 месяца назад
ディスグラフィアだったのでは。
@user-pu8sq5ei7s
@user-pu8sq5ei7s 4 месяца назад
藤原道綱の事は堀辰雄の「かげろふの日記」で知った。
@user-rg4ob9ce5y
@user-rg4ob9ce5y 4 месяца назад
本当に無能だったのかな?両親といい子供や子孫といい 血統的にはむしろ有能で無いとおかしかったはずなんですよね
@t-nakahiro
@t-nakahiro 4 месяца назад
炎立つ で義家の後任の陸奥守基家は 道綱の孫。 あの時は無名のさしたる力のない人とされてた。
@user-ec2sf1vt8y
@user-ec2sf1vt8y 4 месяца назад
あーーー‼️そうなんだ!😍 後三年の合戦の後でそう決まって、源義家(佐藤浩市)が呆気に取られてたシーンを思い出しました‼️ 確かにそう言ってましたね!よく覚えています。😅 「この度の人事には、陸奥の金が動いておる!清衡めぇーー!」 って清衡に恨み言を言ってましたね。
@t-nakahiro
@t-nakahiro 4 месяца назад
@@user-ec2sf1vt8y 自分も小学生でしたがよく覚えてます。 大納言の孫で、摂政関白太政大臣の曾孫なのに酷い扱いですよね。
@user-bx3gu9eu8u
@user-bx3gu9eu8u 3 месяца назад
「炎立つ」で林隆三が演じていた藤原基成(藤原泰衡の外祖父)は誰の子孫が調べてみたら、藤原道隆だった。 ということは、「義経」で蛭子能収が演じていた一条長成(義経の継父)の祖先も藤原道隆か。
@user-bg1fx3ui6t
@user-bg1fx3ui6t 3 месяца назад
無能だから運良く生き残れた人という印象。中途半端に有能だったら確実に道長に潰されていた気がします。 なんというか織田信長の次男の信雄みたいに無能ではあるけどそれ故に変にプライドを持たずに上手く世渡りして生き残れたように思えます。
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 3 месяца назад
だって、「一文不通の人」と呼ばれていましたよね。ただ、右大将に任命されていたから、大納言級の最上席であることは間違いないですね。
@user-rc7no8jr7w
@user-rc7no8jr7w 2 месяца назад
この人は弱いものの味方で優しい人。 強い人に付き一途です。
@s-con
@s-con 2 месяца назад
実資の性格からしたら親ガチャに大当たりし、周りに流されず、女性からモテまくった道綱はさぞ大嫌いだっただろうね
@user-ec2sf1vt8y
@user-ec2sf1vt8y 2 месяца назад
この動画のタイトルに「プライドを捨てて」と書かれていますが、 そもそも道綱さんにはプライドが無いように思われます。😂💦💦
@user-rh5mb9ur8q
@user-rh5mb9ur8q 2 месяца назад
今川氏真と雰囲気ぐダブる
@user-pk7hk2dp9j
@user-pk7hk2dp9j 4 месяца назад
兄道隆?
@user-zf5pq4sr9l
@user-zf5pq4sr9l 4 месяца назад
😮
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