当時「ローソンが勝てているのはYAMAHAマシンのおかげ」という世間の噂話(ホンダライダーであるスペンサーやガードナーはパワー>フレーム強度で乗りにくいマシンをねじ伏せて勝っているのにローソンはスムーズにマシンを操りマシンの素性の良さで勝っている的な噂)を聞いて、マシンのおかげじゃないということを証明したいというローソンの意向があり、さらにそのタイミングでスペンサー復帰が絶望的な状況で、アーブ金本(当時のスペンサー担当スーパーメカニック)がフリーな感じになっていたので実現したとのことだったと思います。結果的にローソンはマシンに勝たせてもらっているのではないことを証明できたのでヤマハへ戻ったというような話だったと記憶しています。NSRがローソンの要望で改善されこのころからだれが乗っても早いマシンになったのははご存知の通りです。 当初の雑誌のインタビュー記事(今は廃刊になったGrand prix illustratid)で読んだ内容を参考まで。