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ローマ帝国の歴史【37~35BC】「パルティア戦争」【アントニウスとクレオパトラ】 

 Roma antiqua
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▼参考文献
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ローマ革命 ロナルド・サイム
amzn.to/451hvF2
アントニウスとクレオパトラ エイドリアン・ゴールズワーシー
amzn.to/3OauZaD
ローマ皇帝伝 スエトニウス
amzn.to/3O4nUbK
ローマとパルティア: 二大帝国の激突三百年史
amzn.to/3Py93aj
アウグストゥス: ローマ帝国のはじまり
amzn.to/46UKSK6
▼チャプター
00:00 アントニウスの東方再編
03:32 戦争計画
09:18 パルティア戦争
19:31 敗走
32:27 アントニウスとクレオパトラ
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25 июл 2024

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Комментарии : 93   
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
攻撃側と防御側それぞれの「選択権」。基本的ですが重要な事を解説していただき理解が捗ります。ありがとうございます。
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
結局、パルティア軍は正面から野戦の決戦に応じてくれませんでした。 ものすごく対ローマの戦いを研究している感じがします。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
体調を崩し体を壊して、一度は秩序が崩壊しながらも撤退できたローマ軍は強力だし、それを統率したアントニウスもすごい将軍だったに違いない。
@cina6167
@cina6167 5 месяцев назад
「3500回視聴」と表示された。久々にキリが良い。内戦の動画中ではややマイナーかもしれないがアントニウスにとっての大勝負、彼の良いところ悪いところ両方見られるこの動画、もっと視聴数伸びて欲しいな。
@yaizudamashii
@yaizudamashii 7 месяцев назад
英語版wikipediaでも対して書いてない戦役を解説してくれるのはありがたいです。軍団兵をこの戦役で30000人も失ったのですね。アントニウスの凋落に後々影響したのかもしれません。ユーフラテス川を使わずにアルメニアを通ってイランまで行くなんて狂気の沙汰ですね。あの時代の技術ではたとえパルティア騎兵の襲撃がなくてもとても兵站が持つとは思えません。トルコ東部の高原地帯は冬は死ぬほど寒いので撤退は大変だったでしょうね。
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
冬はかなり寒そうですね💦
@user-mr8je6qo7c
@user-mr8je6qo7c 5 месяцев назад
大カエサルには生きてパルティア戦記を書いてほしかった
@cina6167
@cina6167 5 месяцев назад
アントニウスほどの将軍が、クラッススの失敗例、バッススの撃退例を参考にして十分準備した上で敗退したのだから、パルティアという国、フラーテス4世という王、両方の意味で「戦った相手が悪かった」という結論になるのでしょうね。
@user-sh8we3rz2v
@user-sh8we3rz2v 7 месяцев назад
ありがとうございます!
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
ありがとうございます✨助かります!
@user-vh3zx4ve3i
@user-vh3zx4ve3i 7 месяцев назад
大工と設計士の話分かりやすすぎる
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
👍
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
0:21だれが上手いこと言えと(笑)ここのアカリウス様はテンポの良い軽妙な喋りで、ゆかりさんの「間」もいいですね。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
25:02曹操に当たる主将がまるで張遼や曹仁のごとく敵中に取り残された兵たちを救いに行き包囲網を破ったわけで、ガッルスが戦死したとは言え、もしパルティア戦役が引き分けぐらいに持ち込めていればもっと素晴らしいエピソードとして記録されていたのでは。アントニウス、武将としてはとにかく強いな。
@cina6167
@cina6167 5 месяцев назад
当時のアルメニアの北隣で元ポントス王国の東端、黒海沿岸のコルキスあたり、のちの世の「ジョージア」の事情と一瞬空耳した(笑)
@cina6167
@cina6167 5 месяцев назад
もしかしたらアルメニアの勢力下だったかもしれません。
@user-km8wx5dx6j
@user-km8wx5dx6j 7 месяцев назад
マイナー(?)な戦闘をしっかりやってくれるのは、本当にありがたいのです!
@PVBLIVSVALELIVSAVLELIANVS
@PVBLIVSVALELIVSAVLELIANVS 7 месяцев назад
待ってました!!!
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
やっと出来ました✨
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
29:47この場面、既視感がある…確かシチリア戦争で似たような事が…
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
アララト山ってノアの方舟伝説に出てくる山ですよね。10万もの大軍ですごい山奥を通っていったんだな。
@cina6167
@cina6167 5 месяцев назад
パルティア遠征に従軍している「プブリウス・カニディウス・クラッスス」この人第一回三頭政治で有名なクラッススと関係あると勝手に思い込んでいましたが、お金持ちの方は「マルクス・リキニウス・クラッスス」で氏族が違った‼️リキニウス氏族の方のクラッススはコグノーメン(家族名)なのに対し、カニディウス氏族は有名でないのでコグノーメンなのかアグノーメン(添え名)なのかwikiに明記は無く私には分かりませんでした。とにかく縁者ではないようです。初心者🔰にとって古代ローマ人の名は紛らわしい時がある…。
@cina6167
@cina6167 5 месяцев назад
アントニウスが自身の奴隷(?)に「最後の命令」を下す場面。シチリア戦争で敗戦した若きカエサルにも同様の場面があり、それとの対比が印象的でしたが、これ実は、数年後起こる事に対する壮大な伏線なのでは?と「その事」が起こる動画配信前に愚考しました。どうなんでしょう?
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
17:47蛮族のごとく挑発された勢いそのまま襲いかかるわけでもなく、弱者のごとく強大な敵に呑まれるのでもなく、冷静に敵の強さを理解した上で攻撃を思い止まれる。これができるフラーテス4世麾下のパルティア軍は手ごわい相手だ(やや呑まれ気味な感もあるが)。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
『カエサル【48〜47BC】』以降の通史動画、サムネイルは大雑把に言うと「黒と白」っぽい色を基調としている。やはり裏テーマに「メメント・モリ」(タヒを想へ)が隠れているのではないか。
@user-cw4pq8lq2b
@user-cw4pq8lq2b 7 месяцев назад
クラッススのパルティア遠征はある程度知られているがアントニウスのパルティア遠征は良く知らなかったからワクワクした
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
アントニウスのパルティア遠征も端折られがちですが、なかなか熱いです。
@mickeyfunTV
@mickeyfunTV 7 месяцев назад
パルティアをボコすって言うワードに吹いた。(笑)
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
異民族の王をボコしてこそローマの立派な将軍みたいなノリは健在です。
@mickeyfunTV
@mickeyfunTV 7 месяцев назад
凱旋式やりたかったんだろうな、負ける筈とは思いもしなかったんだろうな。@@SPQRJapan
@gc8zacc3
@gc8zacc3 7 месяцев назад
勝者の側から描かれても、敗者の側から描かれても、胸が苦しい・・・滅びて当然の者ならともかく
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
この恨みの応酬に一応決着をつけるのだから、 ネロ様はかなりすごいです。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
8:57この答えの一つになりそうなのは『おそらくローマはインドと直接交易したい』(過去動画「【検証】ローマ帝国でコショウと黄金は等価か?」参照)という推測だが、史料的にはやや後の時代なので、この時期にも当てはまるかどうか。
@cina6167
@cina6167 6 месяцев назад
お、「2999回視聴」表示、3000回目かな?通史動画のサムネイルは男ばかり続いたけど、パトラさんのおかげで再生数伸びるだろうか。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
26:14 石臼は当然重いため荷駄獣(荷車を引く牛や直接背に荷物を載せて運ぶ騾馬など)に運ばせることが多いハズだが、アントニウス軍団が戦闘を続けつつ撤退をする中、残った石臼を運ぶことの優先順位は後回しになりがちだったろう。それがボディブローのように効いてきたと言える。コレはキツイ。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
パルティア弓騎兵対策を重視した結果か、基本アントニウス軍団は分隊せず攻撃目標を一つに絞り、一体的に行軍している(一時的な輜重隊分離や食糧調達は除く)。ガリア戦役時の大カエサルにおけるラビエヌスの様な、一軍を率いることができる優れた副将を欠いていたのかもしれない。だとしたら臨機応変な作戦は難しく、アントニウスが取れる手段は限られたものにならざるをえない。大軍を擁してはいるが意外に厳しい状況だと思う。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
歴史的に極東の平たい顔族属州民たる我々の主食はコメであり、小麦食における石臼の重要性がピンとこない。保存や運搬のことを考えれば穀粒(小麦の種)の方が都合が良い反面、種皮が硬く分離しようとすると可食部が簡単に砕けてしまうことから、小麦粉に挽いて食べる方法が普及しており、小麦を主食とする民族の軍隊にとって石臼は必須なのだろう。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
27:15逃亡奴隷「ガイウス」が陣に駆け込んできたことは、アントニウス軍に神君「ガイウス・ユリウス・カエサル(大カエサル)」の加護があったのかもしれない、と思わせる(名がガイウスなのは単なる偶然でしょうが)。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
24:50「アフリカではスキピオは不敗」みたいな宣伝文句があったけど、この出来事で「東方でクラッススは縁起が悪い」みたいなコト陰で言われてそう…こういうのは二度目が大事。
@MrNozza1919
@MrNozza1919 7 месяцев назад
とうとう次回アクティウム! クライマックスですな!
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
アクティウム直前の駆け引きが熱いです!
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
31:06こう言い切ったからには、パルティアへのリベンジか、若きカエサルとの内戦か、生還後一段落ついたところで次のビジョンを軍団に示さなければならないが、どうだったのだろう。大敗を喫して精神的にそんな余裕は無かったかもしれない。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
12:12数字に萌える古代ローマ人、執政官ルキア殿らしいやり取り。競馬を嗜まない一属州民として 「脳内で瞬時に換算できないが、とにかく騎兵隊に比べて遅い進軍スピードだ!」ということは分かった。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
正直城砦などの要地を固められたら長期戦は免れないが、背後の若きカエサル陣営の動向が気になるアントニウスとすれば、一年でそれなりの成果をあげたいと思ってだろう。長期戦は兵站も大変だし。
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
あの地域の城砦は固いので、3年とか5年の計画が必要に思えますが、 アントニウスの頭にはそういうプランは存在しなかった様に思えます。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
⁠@@SPQRJapanそうか、(この時点からしても)太古の昔から異民族の侵入に晒されてきたメソポタミアの城砦はアントニウスが今まで経験した西方の城に比べて相当固かったのですね。ありがとうございます。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
9:46ここの掛け合い、重い言葉だ。現代にも通ずる真理ですね。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
5:04コレはキケローのことでOk?
@cina6167
@cina6167 6 месяцев назад
パルティア戦役から生還するまでは、アントニウスにとっての「一番大事なモノ(事)」は大カエサルの真の後継者になる事であり、そのための戦友たるローマの軍団兵も大切だったと思う。しかし多数の軍団兵を失い、彼自身大敗に心が傷つき、クレオパトラに物心ともに癒されるコトによって、「一番大事なモノ(事)」がクレオパトラに変わってしまったのではないか。そんな風に思える。この時アントニウス自身大きく「変わってしまった」のかもしれない。
@user-eg4mf2fn5i
@user-eg4mf2fn5i 7 месяцев назад
アントニウスは優秀な将軍とはいえ、パルティアに手を出したのが失敗でした。ゲルマンはローマ化できないと悟ったカエサルは、暗殺されなければ遠征予定だったパルティア、どのような遠征を考えていたのか気になる。 パルティアでは敗れたとはいえ全滅せず3万の喪失で留めたのは見事な采配。でも、アクティウムではきちんと闘うこともできずに破滅したようですが、それも史実なのか。次回も楽しみにしています!
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
行政責任者としてローマ東部を再編し、パルティア遠征を実行した将軍としてのアントニウスはなかなかの手腕だが、外交ではパルティア王フラーテス4世に一本取られている。 ローマ軍撤退までの経緯としては ①両軍とも食糧確保が辛くなる②パルティア側がフラーテス王に講和の意志があるとアントニウスに伝わるように工作する(正式な使節は派遣しない)③情報が伝わったアントニウス側から正式な外交使節を派遣する④フラーテス王はローマ使節の要求を突っぱねる⑤交渉は失敗するが、ローマ使節はパルティア側の苦境を察しており、それを踏まえてアントニウスが撤退を決断する こんな感じだが外交交渉の経過のうち、部外者から見えるのは③④⑤のみであり、それも ③‘(最初に)アントニウスが講和のため外交使節を派遣④フラーテス王はローマ使節の要求を突っぱねる⑤‘ローマ側から持ちかけた(形になっている)交渉は失敗し、そのためアントニウスは撤退を決断 みたいに少し違って見えているハズ。パルティア国民や周辺国から見れば、アントニウスの弱腰が強調され、フラーテス4世の「強いイメージ」が際立つ結果となった。 イメージ戦略上フラーテスの勝利、アントニウスの惨敗であり、外交交渉をどう活かすか、という点でフラーテス4世が一枚上手である事は間違いない。 パルティア戦役におけるアントニウス陣営が、若きカエサルの友マエケナスのような人材を欠いていたのは残念だ。
@user-fi2gc6zr8z
@user-fi2gc6zr8z 7 месяцев назад
戦った場所が遠すぎるな。兵站が問題なく補給できる場所は、距離をとればとるほど戦いが難しいんだよねたしか。 …これ、行った距離的にローマのどの名将が戦ったとしても勝てなかったんじゃね?
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
戦略目標、作戦計画という概念が乏しかったのでしょうね・・。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
8:57この答えになり得るものの一つに「アレクサンドロス症候群」がある。かの大カエサルも30歳頃かかっていたほどだ(過去動画「ユリウス・カエサル前半生」7:29参照)。ただコレだけでペルシア湾岸まで行く気になるかは微妙。複合的な理由があるのだろうと想像する。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
敵主力がパルティア弓騎兵である以上、対策のため機動力を犠牲にせざるを得ず、大カエサルのガリア戦役のように迅速な行軍はできない。ガリア戦役以降の経験が活かしづらいパルティアが相手だったのは、アントニウスにとって不運だったと思う。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
フラーテス4世がパルティア王位継承紛争を早めに終わらせて王権の基礎を固めてしまっていたのもアントニウスの不運ですね。部族連合軍をまとめるフラーテス4世の統率力も中々のものです。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
コレだけ大規模な準備をすれば「しおり」の内容もパルティア側にダダ漏れでしょうね。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
アントニウス軍の状況を見るに、若きカエサル陣営の『マエケナス機関(仮)』ほどの私的諜報機関は無かったように思える。
@user-ik8yc9qq9s
@user-ik8yc9qq9s 7 месяцев назад
そして、二人はやった。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
アントニウスは先年のギンダロス山の戦いの経験を生かし、パルティア弓騎兵対策を徹底していた。バッススは防衛戦を戦ったワケだがアントニウスは攻略戦、パルティア城砦各々の堅さ、それを基にした攻略しやすそうなルートの検討など、先の先まで研究する必要があったハズなのだが。そのあたりはローマ軍団の強さに頼って対策を怠ったと言われても仕方ないだろう。「並の」ローマ指揮官が陥りがちな罠にアントニウスほどの将軍が落ちてしまったのが残念…。もし輜重隊を失わなければ事前準備していた攻城兵器が活躍する展開があったのだろうか。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
身内を大量に殺戮したフラーテス4世は鬼畜であるが、彼によって曲がりなりにも王権が盤石で、パルティアが「強い」時に遠征する事になったアントニウスにとって運が悪かった。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
オリジナリティー溢れる大カエサルならアドリブでなんとかしたかもしれないが…コレだけは簡単に真似できないからなぁ。
@boncura821
@boncura821 7 месяцев назад
パルティア遠征は罠だなぁ。アントニウスほどの将軍でも失敗するとは・・・ 結果論だがプラアスパという攻略目標がよくなかったね。 敵地に深く入り込みすぎて兵站が破綻してしまっている。
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
ちょっと遠すぎましたね・・💦 当時の将兵に世界地図を見せたら驚くかもしれません。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
10:17このへんはバッスス軍団の経験が生きているみたい。だが敵もさるもの引っ掻くもの…
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
以下あくまで感想。若きカエサルには強大なアントニウス陣営に挑戦する意志が感じられるが、「パルティア戦役の時点では」アントニウスにいずれは若きカエサルを打倒しよう、という明確な意志が感じられない気がする。外征で勝利しローマ最高の栄誉を得て、名実ともに大カエサルの後継者となる、までは感じられるがそれが「若きカエサル打倒」までいってないように見える。挑まれれば相手になるが、従えば許す余裕がある感じ(ナメているのかも)。「子供扱い」気分から抜けきってないからなのか。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
アントニウス麾下に補給・軍才ともに優れたバッススが健在だったならどうなっていたのだろうか…
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
21:50口で争うのが仕事の元老院議員とはいえ、この状況で軍団兵を説得したアヘノバルブスも相当口が達者だったのだろう。(コレって何かの伏線?)この人以前は解放者側で海軍率いてたよね。
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
このアヘノバルブスかなり有能に思えます。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
前回動画は若きカエサルのターン、今回はアントニウス。受けるイメージ(実像はともかくあくまでイメージ)としては若きカエサルが「柔」、アントニウスが「剛」。「柔よく剛を制す」と言いますが、はたして。
@belsuzukius5794
@belsuzukius5794 7 месяцев назад
作戦を支援しなかったあー君の『計画通り!』みたいな話で済まさずに、アントニーは将軍としてはちゃんと強いことが再確認できました。 後の皇帝達も含め、相性の悪いパルティアやオリエントと関わると評価が落ちてそうですね。
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
ユーフラテス川からむこうは、民族性や価値観が違いすぎますよね。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
26:36自身の王権固めのため身内を大量に殺戮したフラーテス4世の一方的な口約束を、素直に信じる将軍はいないだろう(と信じたいが、ローマの将軍にはそういう人が時々いるので…)。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
最初の地図を見た時の感想。アントニウスは早過ぎたコンスタンティヌスだったのではないか(もちろん単純比較はできません)。この時代のローマ人としては珍しく、アントニウスはローマ市へのこだわりが弱く、かつ東方を重視していたからです。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
以下単なるお節介。 過去動画「ナウロクス沖の海戦」と比べ、アカリウス様達のワイプ窓内立ち位置が微妙に移動していますね。ゆかりさんは吹き出し表現・ため息どちらも左側に出るのでこの位置で支障は無いですが、アカリウス様は左上に吹き出し表現、ため息は右下と対角線上に出るのでどちらも欠けがちとなりワイプ窓中での本人の位置どりが難しいようです。 私見としては吹き出し位置での表現はゆかりさんよりアカリウス様の方が種類が多く、アカリウス様が今回の位置では表現が大きく欠けて解りづらいものが有り、「ナウロクス沖の海戦」動画の位置がベターだと考えます。ため息が犠牲にはなりますが…。 編集技術に無知で無責任な立場から申し上げれば、ワイプ窓が正方形🟧ならば表現の欠損は少なくできると思われます。 あくまで個人の「位置」意見ですので、平たい顔属州民(笑)として執政官ルキア殿の判断に従います。ご検討いただければ幸いです。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
ギンダロス山の戦い後、バッススがパルティア進軍のインペリウムを得ていれば付け入る隙はあった気がする。アントニウスが準備を進める間、フラーテス4世も王権を固めるための時間が稼げたワケだ。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
案内人や逃亡奴隷など、クラッススに比べアントニウスには運命の女神フォルトゥーナの加護があったようだ。彼にとってのソレはオクタヴィアだったのか、クレオパトラだったのか…
@user-xw5jt5dg9p
@user-xw5jt5dg9p 7 месяцев назад
これだけの人員物質を用意できるアントニウスの優秀と司令官としての漢気よ それに対して若きカエサルのへっぽこさよ もう全部アグリッパとフォルトゥーナに愛されてるだけのボンボンにしか見えない。
@user-dq3tn3mg2i
@user-dq3tn3mg2i 7 месяцев назад
アントニウスもクレオパトラとの結婚でローマにおける地位と名声を全て失う‼️
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
デメリットも大きいですね・・。
@cina6167
@cina6167 7 месяцев назад
アントニウス軍団も情報収集はしていたでしょうが、深いレベルでの諜報戦では自国内で戦うパルティア側に敵わなかったようですね。
@user-eg4mf2fn5i
@user-eg4mf2fn5i 7 месяцев назад
ありがとうございます!
@SPQRJapan
@SPQRJapan 7 месяцев назад
ありがとうございます、助かります✨
Далее
最強スパルタの末路!
25:32
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would you eat this? #shorts
00:36
Просмотров 2,4 млн
СОБАКИ ГОЛОДАЮТ ИЗ-ЗА ЛЕРЫ 🥲
01:00