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卑弥呼と桃太郎の鬼退治伝説 〜倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)〜 

まほろばチャンネル
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各地の神社に伝わる話などをつなげてお話を作って見ました。
参考サイト
mb1527.thick.jp/momosohime.html
参考文献
oomoto.net/sub3-j.html
#卑弥呼,#桃太郎,#鬼

Опубликовано:

 

17 июл 2020

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Комментарии : 61   
@yukizokin
@yukizokin 3 года назад
温羅の妻を奉ることで和解するとか、物部氏の鏡を信仰として取り入れることで和解する。日本文化的な心的メカニズム。納得いきます。興味深い話の紹介が聴けて良かったです。
@jardins-du-cosmos
@jardins-du-cosmos 3 года назад
卑弥呼=姫巫女 で固有名詞ではなく代々引き継がれた役職名のような気がします。 各部族に姫巫女と呼ばれる人が居り卓越した能力を顕した能力者が伝承として各地にエピソードを残したのではないでしょうか? 夢と浪漫が広がります。
@yukizokin
@yukizokin Год назад
これ見るの三度目ですけど、何度聞いてもいい話ですね。
@user-vj6uh9rw2g
@user-vj6uh9rw2g 4 года назад
このチャンネルの絵が好き
@banterinbanban
@banterinbanban 3 месяца назад
卑を使っている=中国の方の思想、漢字変換、中華思想変換だと、考えてます。中学校数学教員です。 私たちの祖先がどのように敬われた呼び名か、とても心震わされた動画です(*´ー`*)
@user-vj6uh9rw2g
@user-vj6uh9rw2g 4 года назад
素晴らしい内容でした。
@user-oe4id5fy3c
@user-oe4id5fy3c 3 года назад
魏志倭人伝に記載された「卑弥呼」の最有力候補とされる倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)の説話を非常に解かりやすくまとめられている。当時(3世紀)の人々にとって非常に有名な説話であったし、百襲姫命は日女命(ヒメミコトまたはヒミコ)と呼ばれていたことも判明している。内容的には魏志倭人伝に記載された卑弥呼に関する内容とそっくりである。
@user-fw5jy1zf7y
@user-fw5jy1zf7y Год назад
日女命。 読みは、単純にヒメのミコトではなくて、 ヒルメの命(ミコト) ↑の表記される女性があまた様々な系図に現れますが、 意味は単なるお姫様。 ではなくて、神(幸の神信仰(原神道))と不離一体と信仰された 姫巫女を意味します。 因みに、 ヒメミコ、 ヒルメのミコトが 中国人には ヒミコ。に聞こえたらしい。 中華思想のマニュアルにより 卑弥呼。と表記したらしい。
@yamatotakeru2008
@yamatotakeru2008 3 года назад
とても素晴らし内容で感心しました、確か温羅は百済からの遺民の首領だったような
@TheTakachu
@TheTakachu 3 года назад
@この花 さん、3世紀半ばなら、秦氏の大量(およそ30万人)渡来と合致しますね。 京都の太秦や、岡山県総社市にも秦という地名があり、移り住んだという説がありますね。
@TheTakachu
@TheTakachu 3 года назад
@この花 さん、根拠というかソースは覚えてないんですが、複数の動画や記事を目にしております。秦氏でググってみるといかがでしょうか?
@user-nu3cz8md5s
@user-nu3cz8md5s 3 года назад
ねこねこ日本史でも卑弥呼までがねこ傑作です可愛です
@user-ux4tg1mr8g
@user-ux4tg1mr8g 4 года назад
更新お疲れ様です。 はたして、鬼は文字通りの「鬼(魔物化物)」だったのか。それとも何かの象徴・例えなのか……。
@socrateos
@socrateos Год назад
海賊だったんでしょうね。島を根城として行き交う船や近隣の人々を略奪していた、というのですから。
@happy-gg2rc
@happy-gg2rc 4 года назад
毎回興味深く視聴させていただいてます。瀬戸内海の女木島の鬼退治の話しで 吉備国の鬼の事をナレーションでは「おんら」と 言ってましたが 地元では「うら」と 云います。 その 温羅の話もも伝説として残されてます。今回の桃太郎伝説は香川県のお話でしたが 海を挟んだ岡山県もまた 桃太郎伝説のお話しもありますので もし 機会があれば 岡山県の桃太郎伝説も紹介していただきたいです。 まほろばチャンネルこれからも楽しみにしてます。
@mahorobachannel
@mahorobachannel 4 года назад
温羅 は うら なんですね。失礼しました。また、ご指摘有り難う御座います。 吉備津彦命のお話も文章はほぼ出来ているのですが、絵を描くのがこれからでアップはもう少し先になります。
@nhshinboy
@nhshinboy 3 года назад
まほろばチャンネル その「うら」を切ったことから「裏切り」という言葉が生まれたらしい。73世武内宿禰によると。
@happy-gg2rc
@happy-gg2rc 3 года назад
@@nhshinboy さん❗️ そうなんですね😊知りませんでした。裏切りの語源なんですね‼️教えていただき ありがとうございますm(_ _)m
@asa01053
@asa01053 Год назад
@@happy-gg2rc 浦島太郎!鬼
@banterinbanban
@banterinbanban 3 месяца назад
やり取り、知識更新。おもろー(*´ー`*)
@user-sh8tc8xw7m
@user-sh8tc8xw7m 4 месяца назад
勉強になります。讃岐ー吉備ー大和を回って箸墓古墳に眠っているんですね。お疲れ様です。工学博士芸人 遼子規キンジロウ
@user-bz9ub4vk1g
@user-bz9ub4vk1g 3 года назад
鬼の正体は当時の海賊か何かかなあ
@sugarboy7754
@sugarboy7754 11 месяцев назад
縄文人の末裔かも
@80fire71
@80fire71 3 года назад
温羅とは高度に組織された私拿捕水軍だった…? 吉備津彦命は敵方首魁の娘と和解して和平協定まで結んでいたとは!
@YM-kl6lo
@YM-kl6lo 3 года назад
古事記の次はどの順番で見ていけばよいのか?番号がついていると有難い
@user-nb5cp1qo5o
@user-nb5cp1qo5o 4 года назад
島にいた。と言う事から海賊(後に出てくる村上水軍)のような存在だったのかもしれませんね。
@user-li2gs8cx3t
@user-li2gs8cx3t 3 года назад
村上水軍はのちに森藩主、久留島公。しかし禄高が少なく築城を許されずに陣屋でしたよ。日本のアンデルセンと言われる口承文学の久留島武彦卿。私の曾祖父は最後の藩主の弟。松平伊豆守が藩主久留島公に宛てた古文書を父から譲り受けました。村上水軍って海賊なんだよね。懐かしい。自慢話ではございません。
@user-jr9xm4co6e
@user-jr9xm4co6e 3 года назад
え桃太郎伝説想像の100倍ふっっっるいな もっと古今物語くらいだと思ってた
@heysiri5752
@heysiri5752 3 года назад
おんらじゃなくてうらじゃね 吉備津彦神社に桃太郎祀られてるし
@Shiny-user-cb8ti8le8h
@Shiny-user-cb8ti8le8h 3 года назад
ヤマトの民は銅鐸 物部の民は銅鏡 なんですね🎵
@user-tz9tu8nx5m
@user-tz9tu8nx5m 2 года назад
この当時の国名は王の苗字が国名になります。魏志倭人伝他三誌にも倭のヤマト国の記術があります。漢字はヘンとツクリで構成されており、ツクリの方だけ音読みします。そうすると、ヤマトかヤマトウの発音になります。
@asa01053
@asa01053 Год назад
魏の鬼のことですね!外国人
@user-tk1kn4em6e
@user-tk1kn4em6e 6 месяцев назад
吉備津彦が来る前の吉備は何と言う地名だったのだろう?
@asa01053
@asa01053 3 года назад
前の声でお願いします ももそ姫の襲うは卑弥呼の卑しいと同じ差別用語ですね。悪く当て字にされてますね。意図的に。
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 4 года назад
卑弥呼の時代に、桃太郎さんが登場ですか?桃太郎さんは吉備津彦で、四道将軍の一人ですから、大分、時代をスリップして卑弥呼の時代に来たのですか?物語は、いろんな形に変化するのですね。楽しかったです。
@mahorobachannel
@mahorobachannel 4 года назад
キビツヒコとモモソヒメは兄妹なのですが
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 4 года назад
@@mahorobachannel ワカタケヒコの尊と、卑弥呼さんが兄妹みたいですけど、そこに、桃太郎さんと、ワカタケヒコの尊が重なり登場しています。
@urakusp
@urakusp 3 года назад
モモソヒメは卑弥呼です。モモソヒメは崇神天皇の叔母で、四道将軍を派遣したのは崇神天皇とされています。ですから時代はあっています。吉備津彦と合わせて四道将軍として派遣されたのは、会津に派遣された叔父の大彦がいます。大彦はモモソヒメの神託により埴安の乱を鎮圧しました。その8代後の子孫はオワケといい、埼玉県の稲荷山鉄剣を作り、始祖が大彦である旨を金の象嵌に残しました。大彦は、四道将軍として会津に赴く途中で、埼玉の支配を確かなものとするために、子孫を残したものです。オワケは雄略天皇に杖刀人として仕えたと記述されていますから、世代的にも崇神天皇と大と合致します。つまり、鉄剣の象嵌のお陰で、大彦、崇神、モモソヒメが卑弥呼の活躍した250年頃と合致することが証明されました。そして崇神天皇以前の系譜から、神武天皇以降の実在もほぼ確実になりました。崇神天皇の前の天皇は実在しないという津田左右吉の欠史八代説は稲荷山鉄剣により打ち砕かれたのです。残念なのは、日本の腐った古代史学者は、この後に及んでも盲目的に、古事記日本書紀の記述をデタラメとして、欠史八代に固執していることです。
@burny8434
@burny8434 3 года назад
卑弥呼 桃太郎伝説?
@burny8434
@burny8434 3 года назад
岡山・鳥取・島根【神話や伝承】 岡山に残る桃太郎伝説 吉備国【岡山の地】 吉備津彦【きびつひこ】
@762forest_railway
@762forest_railway 3 года назад
ダイアモンド映像
@user-gt6bk9ch7f
@user-gt6bk9ch7f 3 года назад
地方の伝承にのっとった非常によく考えられた動画ですね。私もこのストーリーが真実だと思います。ただ実弟の五十狭芹彦が登場しないのは少々不自然な気がします。 鬼が島で鬼を討ったのは異母弟の稚武彦、吉備の温羅を討ったのは実弟の五十狭芹彦(吉備津彦)ではないでしょうか。
@user-zq5hl3rh8m
@user-zq5hl3rh8m 4 года назад
まことに申し訳ないのですが、これは三世紀ころの話と思いますけど、瀬戸内海では船の航行はまだ出来ていません。瀬戸内海が開削されるのは雄略帝の時代です。 大和から出発したとしたら、あるのは河内湖までの野菜の買い出し舟程度です。勿論、構造船などない時代。 ちょっと、違和感がありますね。
@user-gt6bk9ch7f
@user-gt6bk9ch7f 3 года назад
瀬戸内海は筏でも渡れます
@user-zq5hl3rh8m
@user-zq5hl3rh8m 3 года назад
@@user-gt6bk9ch7f 筏でしか航行できないその先に大国があるというイメージが湧きません。畿内に当時どのような産業があったのかもはっきりしませんし、そんな辺境地から魏に使者を出す動機も良くわかりません。 瀬戸内海は、横断ではなく、縦断なので、水夫の水先案内がなければ、構造船の往来は不可能というのが常識です。(専門家の受け売り) 魏からの使者が博多辺りで筏に乗り換えて河地湾まで来たというのは無理芸でしょう。3世紀~5世紀くらいまでの大陸からの航路は、朝鮮半島南部→九州→日本海沿岸→丹後方面→敦賀→琵琶湖→畿内です。 村上水軍(宗像海人族の子孫?)ですら、能島から大阪まで到着するのに数日要していますし、3世紀、漕ぎ手は人力なので一日で進める距離は限られている。ところが瀬戸内海には地形的な理由から当時泊地はなかったと言われています。当然陸上ルートも開発されていない。 おっと、桃太郎の話でしたね。桃太郎なら、筏でGoもあったと思います。鬼が海賊であった可能性は大いにあると思います。 が、だとすれば、やはり5世紀以降の話で、卑弥呼と結びつけるところに無理があるというのが、私が言いたかったことです。海賊が瀬戸内海に跋扈するのは、通行料を取るためで、それなりに船の往来がなければ、商売として成立しません。 5世紀に吉備の乱という吉備氏が新羅と結託して、雄略帝に反旗を翻したという話がありますが、桃太郎の説話はこのときの戦闘?(あったかどうかは不明)が元ネタかなと思っています。(個人の感想です) 暇なモノで、話が長くなりました。
@user-zu9fd2gc9k
@user-zu9fd2gc9k 3 месяца назад
呪術ではない。
@user-fw5jy1zf7y
@user-fw5jy1zf7y Год назад
大倭途途日百襲日女命。 と1人の名前の様にされていますが、 出雲の伝承では 先ず、百襲日女命 (登美大王家(孝霊ら海王朝を物部を利用して一掃(大和を喪失した孝霊らは出雲王国~播磨、吉備を軍事占領して吉備王国を建てた)。物部が追撃に忙しくしている間隙を縫ってちゃっかり大王に即位した。、 三輪大王と呼ばれた(孝元天皇、大田田根子、八咫烏)の姉。) が三輪山の幸の神信仰の神々の姫巫女に就任。 ビデオではハショッテいましたが、 百襲日女命は 自分たち出雲族の幸の神信仰に根差しなかがら、 荒ぶる侵略者の物部を宥め、懐柔する妙案を機転を効かして捻り出したのが 大榊を根こそぎ引き抜いてきて 大榊の根子(最高神、男神のシンボルの一つ。大王、天皇を根子と言う理由)を 衆目に曝し、 その枝には物部が拝礼を強要した 道教に由来する神や獣が彫刻された 円形の青銅鏡を取り付けました。 ↑、出雲族にと鏡が重要なのではなくて、 その形状が丸い、円形で有った事が女神の形代(シンボル)の一つで有った事が 幸いした。 ただし、出雲族が侵略者の物部が信仰する道教由来の神や獣を拝礼する事はあり得ないため、 ひっくり返して 鏡面を衆人側に向けたのがミソ! それでも物部の 青銅鏡には違いないので、 あれほど忌避していた 自分たちの青銅鏡を 出雲族がこぞって我先に熱心に拝む姿を 目の当たりにした 物部らは溜飲を下げると共に かくも姫巫女とは尊くも権威の高いモノかと 崇敬の念を新たにして 宗教戦争は漸くにして終息して 百襲日女命の主宰する大祭に 出雲族と物部らが我先にとこぞって参拝。 再び平和が訪れた。 この平和を人々は 百襲日女命の平和と称賛しあった。 また、困難な激しい争乱を瀬織(仲介、終息させ和平を成す事)を成し得た 姫巫女、百襲日女命を特に 瀬織津日女命と称え奉った。 百襲日女命の後継者が トトビ日女命。 だと言う。
@user-fw5jy1zf7y
@user-fw5jy1zf7y Год назад
@@user-kp5jb9hs2r トヨ媛命 (大和の百襲日女命(1世紀末頃~2世紀の人)から約100年程後の 3世紀末頃の人。 出身は九州の豊国 (最大版と は北九州、更に四国の西半分、周防長門等迄) 月読尊(宇佐神宮の主神)の姫巫女。 倭入りして豊来入媛命。 大和では 月読尊は稚日女神と崇敬された。 更に魏帝国から亡母、 宇佐 豊玉媛命が魏帝国から冊封(叙任)されていた爵位、 親魏倭王。 を正式に継承して、 親魏倭王 豊媛命(豊来入媛命) となる。 (記紀は、彼女を、 豊鋤入媛命。と改ざんした。) )
@user-ms1ns8jo5w
@user-ms1ns8jo5w 3 года назад
温羅 おんら❌ うら⭕️ ちなみに温羅には妻がいて、討たれた温羅の首を神社の竈に埋めていたら毎晩吼えて安眠妨害されていた。が、妻を巫女とし温羅を祀らせ釜を炊いて占いをさせたら鎮まった。 以来この神社(吉備津神社)で行われる竈での占いは「鳴釜の神事」と呼ばれるようになった。
@mahorobachannel
@mahorobachannel 3 года назад
ウィキペディアも間違っていると言うことですね。
@user-ji8qd4ni1b
@user-ji8qd4ni1b 4 года назад
この童話は旧約聖書のモーゼをパクった話なんだよね。
@スメラ皇
@スメラ皇 4 года назад
寧ろ、逆かもしれないですよ。
@user-ji8qd4ni1b
@user-ji8qd4ni1b 4 года назад
@@スメラ皇 この桃太郎の童話は古事記からきてる。古事記が書かれたのは712年。
@mahorobachannel
@mahorobachannel 4 года назад
古事記は、伝承によるものを文字に起こしたので、その起源は旧約聖書とは比べものにならないくらい古いですよ
@user-ji8qd4ni1b
@user-ji8qd4ni1b 4 года назад
@@mahorobachannel へー。時の権力者次第な部分があるからその辺りは何も言えないや
@スメラ皇
@スメラ皇 4 года назад
古事記も唐の絡みもあって、編纂された古事記(漢字)がスタートみたいになっているけど、実際は滅んだ物部時代から古事記(神代文字)のような歴史書はあった。
@スメラ皇
@スメラ皇 4 года назад
私の個人的な推測だが、、 おそらくエリアは関東だろ? 昔話は何故か近畿から九州あたりにスポットおいているが、それがキナ臭い。北海道、東北、北陸、関東、辺りは何故か太古の話に出てこない。明らかに意図を感じざる得ない。 後、鬼とかで抽象化しているが、間違いなく、何処かの人種だろう。
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