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度重なる暴力沙汰で貴族社会から姿を消す 藤原道兼の子孫のその後【光る君へ】 

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参考文献
繁田信一『殴り合う貴族たち』
amzn.to/4ba1Wya
平雅行『公武権力の変容と仏教界 中世の人物 京・鎌倉の時代編. 第3巻』
amzn.to/44yQc5W
江田郁夫『中世宇都宮氏』
amzn.to/4brvfw3
野口実『東国武士と京都 (同成社中世史選書 19)』
amzn.to/3JTzyEM
今泉定介『故実叢書 尊卑分脈(洞院公定)』
dl.ndl.go.jp/pid/771956/1/109
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関白になってわずか10日ほどで亡くなった藤原道兼ですが、道長を息子の後見人にしていたことで、子供たちは権力者の座は失うも没落は免れました。
ただし、息子の兼隆は従者を殺すなどたびたび世間を騒がせ、道兼の孫にあたる藤原兼房は宮中での度重なる暴力沙汰で兼隆すら涙を流すほどの問題児に成長してしまいます。
道兼の血筋は鎌倉幕府の13人の合議制のメンバーにもなった八田知家に繋がるとされ、道兼の名は源氏 平氏が大半を占める関東で燦然と輝くこととなりました。
今回は、度重なる暴力沙汰で貴族たちから恐れられた藤原道兼の息子 孫の生涯、武士の世で道兼の名が語り継がれるきっかけとなった宇都宮氏 八田氏と道兼の関係について紹介します!
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【画像引用】
大河ドラマ光る君へ公式サイト
www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1...
#光る君へ #藤原道兼 #鎌倉殿の13人 #大河ドラマ

Опубликовано:

 

8 май 2024

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Комментарии : 17   
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke 2 месяца назад
名を残しても子孫は不明、、栄枯盛衰ですね。。 源義朝の玉木宏さん、やっぱりかっこ良すぎる
@rekishock
@rekishock 2 месяца назад
当チャンネルに一定数いるとされる八田殿ファンにとっては少し残念な結果となってしまいました。 動画内の説明の歯切れが悪いように、この辺りの系図関係はほとんど不明となっています。
@kamenriderlove
@kamenriderlove 2 месяца назад
0:51 2年前の大河(「鎌倉殿の13人」)との繋がりがここにも。
@user-el1pz5nu5b
@user-el1pz5nu5b 2 месяца назад
光る君への道兼の暴力性は息子からなのか 鎌倉殿のあの人との繋がりあるのか
@tomohiroichikawa7671
@tomohiroichikawa7671 2 месяца назад
結果的に子孫になる小田氏治は「どうする家康」の登場人物、結城秀康の家臣として福井でなくなったと聞きます。子孫がまひろが住んでいる場所付近でなくなったのは運命的です。
@user-nn6kx9km9c
@user-nn6kx9km9c 2 месяца назад
八田さん懐かしい。道兼の子孫というのはわかる気がする。 やはり道兼家系はバイオレンスの血が流れている。
@cancan5892
@cancan5892 2 месяца назад
兼房、かなりヤバイ人ですね!これだけ暴力事件を起こしていると、粗暴を通り越して何か精神疾患があったのではないか?!とすら感じてしまいます。血縁の濃い結婚を繰り返している藤原氏ですから。そんな彼が、公卿になれなかったのは当然として、歌人としては優秀だったとは意外でもあり、脈々と受け継がれてきたこれまた藤原氏の血筋の流れを見出します。そしてこの出自が後の関東武士八田知家や宇都宮氏へと繋がるというのも、凄いです。祖先が道兼であれ道長であれ、貴族社会と交流の深い一族は関東では稀有の存在であり、別格だったでしょう。そういう背景からも、道兼が貴族社会では忘れ去られても、関東武士の間で関白まで上った人物として語り継がれることになったのも、思いがけないことであり歴史の複合性を感じます。
@fujitaka_wis
@fujitaka_wis 2 месяца назад
宇都宮家の初代、藤原宗円が道兼の子孫ということになってるので、その流れである八田家もそう称しているわけですね。 実際には動画にもあるとおりその土地の有力者が正統性担保のために自称してるのが有力みたいですねえ。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 2 месяца назад
鎌倉時代下野守護だった小山氏は藤原秀郷の直系子孫と称してましたが、近年の研究ではそもそも秀郷自体が藤原一族の一員と自称していた説があるくらいですもんね。
@user-zx8pk6tb1z
@user-zx8pk6tb1z 2 месяца назад
八田さん出てきて嬉しい
@vianeplus
@vianeplus 2 месяца назад
親子三代札付きだったのか、武士にとってはある意味ステータスなんだろうけど。 久しぶりに頼綱の名が出て面白いと思った。
@MUSASI40
@MUSASI40 2 месяца назад
徳川氏が新田の末裔を名乗ったのと同じ流れかな 子孫が没落してるから名乗っても否定される心配は少ないし
@user-qq1oz2fw1j
@user-qq1oz2fw1j 2 месяца назад
10:47 暴力事件を繰り返しても、受領にはなれる!降格処分ですが、寛大ですよ。現代人がやったら、間違いなく刑務所行きです。 とはいえ平安時代でも、庶民がやったらダメだったでしょう。藤原氏の権力があったからこそ、受領で済んだかもしれません。 貴族は得だな!!!!!
@asjioafshosda
@asjioafshosda 2 месяца назад
八田〜
@user-dq3tn3mg2i
@user-dq3tn3mg2i 2 месяца назад
確かに道隆と道長の子供は有名であるけど道兼の息子は?
@hiropon9
@hiropon9 2 месяца назад
一方で戦国時代まで下ると、あの最弱武将、小田氏治につながる。何でそうなった?
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 2 месяца назад
小田氏治は足利氏の血も引いてますからね。
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