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青函連絡船 船内放送 函館―青森 

急行宗谷
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録音:1978年(昭和53年)3月8日。
青函連絡船を取り上げたいと思いつつ、毎度のことながら写真が無く、画面の作りようがありませんでした。それでも営業案内などを入れてなんとか作ってみました。
音声は長いので、お聞き苦しい箇所をできるだけ削除しながら、短めに編集しました。不自然な個所もありますがご了承ください。
旅の行程としては、以前公開した「急行せたな」の続きになります。

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21 авг 2024

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Комментарии : 100   
@user-dt4pp3sp3q
@user-dt4pp3sp3q 13 дней назад
ありがとうございます。とても懐かしいです。函館から青森の音声や動画は圧倒的に少いので、とても有り難いです。これから上野に向う、ワクワク感があります。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 12 дней назад
こちらこそご視聴とコメント有難うございます。 連絡船の上り便に乗ると、青森から各方面へ接続列車があって、録音していても楽しかったです。
@user-hz7ip5dq5d
@user-hz7ip5dq5d Год назад
まさか令和の時代に青函連絡船の音声が聴けるなんて嬉しい限りです。中学生時代に周遊券で北海道を旅行したあの頃を思い出しました。音声並びに関連画像のUPありがとうございます😊
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
インターネットを詳細に検索したことはないのですが、RU-vid以外のサイトも含め、どこかしらに連絡船の放送が公開されているかな・・・と勝手に思っていましたが、そうでもないようですね。 遠くになった昭和、楽しかった旅の記憶を思い出していただけましたら何よりです。
@nyanpeco1401
@nyanpeco1401 Год назад
今では、遠い昔のこととなった青函連絡船の船内放送は珍しいことで、懐かしく聴かせてもらいました。 出航のドラの合図、ホタルの光、かすかな重低音の汽笛はかつての記憶を呼びさまします。 航海の緊張とこれからの長い旅程の期待が同時にありました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
早速のご視聴とコメント有難うございます。青函連絡船ももう遠い昔のことになってしまいました。 昔の情景を思い出して頂けましたら何よりです。 「あぁ、これから陸を離れるんだ・・・」という不安のような、独特の緊張感があったことを思い出します。
@user-cv8tl5xc3r
@user-cv8tl5xc3r Год назад
函館駅と青森駅に活気が溢れていた時代ですね…。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
最盛期には連絡船に積み残されないようにホームを走ったそうですが、そんな時代も遠い過去になってしまいました。
@user-zi5sf4uz9m
@user-zi5sf4uz9m Год назад
上野発のゆうずるで青森に着いたときは大雪でした。肩をすぼめて連絡船羊蹄丸に乗り込み雪の海峡に乗り出しました。あの時、津軽海峡〇景色という歌が流行っており、まさにそのとうりでした。画像にもあった小さな毛ガニののった海峡ラーメンを食べた記憶があります。あまりにも揺れがひどくレストランが閉店しました。凍てついたガラス越しに見た函館山が思い出されました、連絡船が無くなるということで仲間で旅に出ました。懐かしい音源ありがとうございます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
思い出の投稿を有難うございます。映画の一場面のように情景が目に浮かびます。楽しかった旅の記憶がよみがえり、懐かしさを感じて頂けましたら何よりです。 昭和40年代末、私が初めて北海道を訪れた時も雪の季節でした。青森行きの夜行列車で目覚め、車窓に雪景色を見た時は「ああ、北国へ来たんだ・・・」と感激しました。初めての青函連絡船もなんだか異国の地へ渡るような気がしたものでした。たくさんの人の、それぞれの思いを乗せて連絡船が航海していたのですね。
@nanalinn
@nanalinn Месяц назад
×ゆうずる→⚪︎ゆうづる
@user-ps8he6ql6r
@user-ps8he6ql6r Год назад
松前丸は函館ドッグで建造された船ですよね。津軽丸とともに早めに引退したので乗ったことはありません。 大雪丸、摩周丸、羊蹄丸にお世話になりました。中でも羊蹄丸が一番の思い出。ブリッジを見学させてもらったり…。最近出版された連絡船の本にいろいろ説明してくださった方の写真があり、感慨にふけってしまいました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
人それぞれに思い出や愛着があるのですね。思い出の投稿を有難うございます。
@nanalinn
@nanalinn Месяц назад
ちなみに今青函フェリーで運航している「はやぶさⅡ」「はやぶさⅢ」は函館どつくで建造された船です。「はやぶさ」も函館どつくですが、こちらは室蘭造船所で建造されました。もう一隻の「あさかぜ21」は宮城県の造船所で建造されました。こちらは共栄運輸の傘下に入る前の北日本海運の時代に建造された船で唯一異彩を放っています。(北日本海運は傘下に入った後共栄運輸に吸収され、社名も青函フェリーに改められた)
@user-fs3bl4fj7v
@user-fs3bl4fj7v Год назад
ご苦労様です。船内放送かこれいいものを聞きました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
有難うございます。青函連絡船ももう遠い昔になってしまいましたね。
@SadoleNijino
@SadoleNijino Год назад
自分の世代が修学旅行で連絡船を利用した最後の世代です。それ以降はトンネルか飛行機になっているようです。卒業後も自分自身はまだ青函トンネルを通ったことがありません。少し前に函館港に係留中の連絡船を見学してきましたが、やはり懐かしかったですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
この録音をした頃は青函トンネルなど遠い未来のことと思っていましたが、気が付けば青函t連絡船は遠い昔のことになってしまいました。
@yuuharupapa
@yuuharupapa Год назад
待ってました(笑) 連絡船車内放送ありがとうございます 北海道新幹線になった今でも、車内から陸奥湾を見ると 連絡船時代を思い出します
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
「待ってました」のお言葉感謝いたします。青函連絡船の人気は承知しているものの、自分の公開作には自信がなかったものですから。 江差線の車窓から函館湾を眺めると、「あそこを連絡船で通ったんだな・・・」と感慨深かったものです。
@user-nj7cj1zz8j
@user-nj7cj1zz8j Год назад
入場券で船に入れたとは知りませんでした。船内のワゴン販売もあったんですね。青森で酒田や一ノ関行きの中距離鈍行に接続してるのも時代を感じます
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
乗船口ではしっかり係員が立って乗船名簿を回収していたので、入場券では船内に入れないはずなのですが、融通をきかせていたのか、その辺はよくわかりませんね。 お弁当は席を確保したら、売り切れないうちに売店前の立ち売りで買ったものでした。 東北、奥羽本線の鈍行列車は旧型客車が当たり前の時代でしたね。
@user-vi8lv6lr6l
@user-vi8lv6lr6l Год назад
一度だけ青函連絡船の寝台を利用した事があります。 お盆の時期で夜行便の船内は大混雑。 寝床の確保にと寝台券を購入、ほぼ満席でしたが4時間の船旅に寝台は贅沢でした。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
寝台体験は羨ましいです。夜行便は2回しか乗ったことがなく、閑散期でしたので、勿論自由席でした。
@OJIROU30
@OJIROU30 Год назад
貴重な資料を公開していただき、 ありがとうございます
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
有難うございます。「資料」というよりは、「娯楽」として楽しんで頂けましたら幸いです。
@ユウジ-t9i
@ユウジ-t9i Год назад
青函連絡船は、物心がつく前から離れられない欠かせられない船でした。 内地の秋田で生まれ、小児喘息でオフクロの実家がある釧路で学校にあがるまで育ちました。 それから、内地に戻り夏休みは急行千秋や急行むつ、急行しらゆきなどで渡道してました。 松前丸は、一度だけ乗船しました。 売店で、うなぎ弁当を購入してその当時の掛け紙はいまだにコレクションしています。 連絡船の最終便の八甲田丸にも乗船しました。 当時の乗船証明書もコレクションしています。 ただ、石狩丸と檜山丸だけは乗船出来なかったのが今でも悔やまれます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
青函連絡船の記憶が子供の頃の思い出と重なる部分が多いのですね。 多くの人の、様々な思いを乗せて航海していたのだな・・・とあらためて感じます。
@nanalinn
@nanalinn Месяц назад
石狩丸と檜山丸は先に退役した津軽丸と松前丸の置き換え船として貨物船だった船を改造して再就航させた船です。居住性が悪く評判は良くありませんでした。
@user-wy6ge2ck7g
@user-wy6ge2ck7g Год назад
松前丸ということは、昭和57年以前の音源ですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
1978年(昭和53年)3月の録音です。
@hiro825yc
@hiro825yc Год назад
幼少期に団体旅行で何丸か忘れましたが、函館真夜中0時台出航便に乗ったことがありました。(この一回のみ) 確か、座席ではなく、カーペット床にゴロ寝してた記憶で。 放送は殆んど聞いて無かったので、今回のアップで初めて聞いた様なモノです。 青森到着後は、大阪行き特急白鳥に乗って京都まで。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
連絡船の夜行便から早朝の青森で乗り換え、京都までとは幼少の身には大変な長旅だったことでしょう。でも羨ましいです。
@user-ej8bb2is5y
@user-ej8bb2is5y Год назад
青函連絡船の食堂のメニューに海峡ラーメンというのがありましたね ホタテなどの海鮮がたくさん入っていた記憶があります
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
海峡ラーメンは人気メニューの一つでしたね。 自由席で弁当を食べることが多かったので、ラーメンはほんのちょっぴり贅沢な気分でした。
@sarah_connor48
@sarah_connor48 Год назад
昨年まで青森駅って降りたこと無かった。青森駅は走るところだった。なぜか羊蹄丸ばかりで、松前丸はあまり縁が無かったなぁ。何もかも皆懐かしい。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
青森駅、私も同じです。北海道に行き始めてから何年かは乗り換えるだけで、下車したことがありませんでした。
@bibilu2007-man
@bibilu2007-man Год назад
青函連絡船は、当時全部乗ったのですが、津軽丸と松前丸はもう廃止されていました。 スタンプもメダルも全部集めました。 海峡ラーメンを食べたいです! 連絡船待合室は、青森、函館共24時間開いていて伯養軒が夜通しやっていたのを覚えています。 53年10月前だと思うのですが、はつかりが5往復しかないというのは結構意外でした。 連絡船の窓口では、自由席売っていますという放送はずっと流れていました。どのくらいの人の利用があったかはわかりませんが結構な収入になるのでしょうね
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
全部の船に乗ったとはすごいですね。私の場合は記憶が曖昧ですし、初めの頃は何丸か意識せずに乗っていたものですから・・・。津軽丸と松前丸はJRになる前に引退したのですね。 録音当時のはつかりは全車指定で、自由席ができてエル特急になった時は、ちょっと安っぽくなった気がしたものでした。
@user-xd5cp8zp9k
@user-xd5cp8zp9k Год назад
今から40年前、転勤で米沢へ。 帰省は、はつかり11号・連絡船・北海への乗り継ぎ。青函夜行の利用でしたね。帰りは、おおとり・青函連絡船・はくつるのパターン。八甲田丸と松前丸との縁が…この放送が懐かしいですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
米沢も冬場は雪が多いイメージがあり、苦労されたことと思います。帰省は楽しみだったことでしょう。 当時を思い出し、懐かしさを感じて頂けましたら何よりです。 その当時でも米沢から青森へは、秋田経由より福島経由の方が便利だったのですね。
@dreamliner0801
@dreamliner0801 Год назад
今日も貴重な記録をありがとうございます。生涯で2往復だけ青函航路に乗りました。 85年に初めて乗った時に強烈に覚えているのは、変なところなのですが、船内の自販機で売っていた缶ジュースの缶。 当時「250ml缶」といえばスリムで細長いものしか知りませんでしたが、船内の250ml缶は350ml缶を寸詰まりにしたようなずんぐりむっくりのものでした。 北海道仕様なのか連絡船仕様なのかは確認しそこないましたが、未知の北海道に渡る「異国感」が倍増したのを覚えています。 そしてロビーのテレビでは、日航機事故の生存者発見のニュースが繰り返し流れていました。 この時船内で父親が買ってくれた「青函連絡船77周年記念入場券」は、どこに行ったかなぁ…
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
そういえば当時、連絡船も含め、北海道内で缶ジュースといえば350ml入りが主流だったという印象があります。またひとつ忘れかけていた記憶がよみがえりました。 RU-vidを続けている楽しみのひとつが、多くの方が旅の思い出を寄せてくださることです。思い出の投稿を有難うございます。
@tomiyakaratomikawa
@tomiyakaratomikawa Год назад
北海道コカコーラボトリングとみちのくコカコーラボトリングの仕様ではサイズの違いがあり、北海道は350ccが主流。 連絡船は青函船舶鉄道管理局で函館が基地になっていますので、自販機などは北海道仕様で発売、その後は250ccのショート缶も発売していました。
@user-df3fg3jj1u
@user-df3fg3jj1u Год назад
連絡船の寝台を利用した事が有ります、機関室の真上に有るんでしょうね、遥か下からエンジンの音が聞こえました。(出港時)
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
寝台は利用したことがありませんでした。4時間余りでは短すぎる気がしたものですから。 でも一度体験しておきたかったです。
@anklady
@anklady Год назад
遠い記憶が蘇ってきました。松前丸は貨物船改造でしたね。青函連絡船用に製造された八甲田丸や摩周丸の乗船はありますが、内部レイアウトが違っていたように思います。私も船内では鮭三平汁定食、海峡ラーメンを食べましたが、深夜便のラーメンは知りませんでした。 中学高校時代は夏場混雑の積み残し回避の為、グリーン指定席を奮発したので、一般席は記憶がありません。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
青函連絡船がまだ混んでいた、昭和40年代末から、50年代初頭の頃はいつも自由席ばかりでした。 乗客が減り、トンネルが完成すれば連絡船も無くなる・・・という頃になってから「今のうちに」とグリーン席を体験したものでした。 今、連絡船があれば、友人と船内グリルで居酒屋気分で杯を重ねた事でしょう。
@tomiyakaratomikawa
@tomiyakaratomikawa Год назад
津軽丸・松前丸が引退後、貨物専用の檜山丸・石狩丸が旅客改造されたと思います。
@user-vl7dn7we7b
@user-vl7dn7we7b Год назад
自分上野から夜行急行八甲田で朝青森着き足早に連絡船て渡ってました、乗船したら海峡ラーメン🍜🍥食べてました。 帰りには道内で知り合った人達と函館で待ち合わせ「10人ほど」連絡船に乗船して夕方の便で道内を後にしていました。 海峡ラーメン🍜🍥が定番でした、美味しかったなぁ~~て脳裏に残ってます。 東京と北海道往復には夜行急行と連絡船と海峡ラーメンが自分に取って一番です。
@user-vb9xy7ee9h
@user-vb9xy7ee9h Год назад
立冬も過ぎて、どんどん日が短くなっていきますね。 ついに、ついに、青函連絡船ですね! 青森駅から上野駅まで、急行「津軽」には何度か お世話になりました。なぜか、東北本線経由でなく 時間のかかる奥羽本線経由が好きでした。 青森-函館の航路普通運賃が900円なのですね。 「松前丸」以外の連絡船の音源もあるのでしょうか? もし、ありましたら、是非配信をお願いしたいです。 いつも、貴重な配信ありがとうございます!
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
青函連絡船の下り便は本州の人が北海道へ、逆に上り便は道内の人が本州へ渡る憧れかな・・・と、勝手に思い込んでおります。上り便を選んだのは、北海道在住の方に聴いて頂けたら・・・という思いからです。 いずれにしても、多くの人の夢を乗せて航海していたのですね。 他にも録音があるにはあるのですが、なかなか成功がないうえ、乗る便がほぼ同じでしたので・・・この時間の便はわたしにとっても異例でした。
@ari3ari
@ari3ari Год назад
2:21 今や漁船(漁業用海岸局)のみ取り扱いの無線電報も来年早々にサービス終了。普通電報は着岸後に原書を公社に渡していたかと思いますが、時刻表の表記は初めて気付きました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
電報には馴染みがないので、コメントを興味深く拝見させて頂きました。 昭和30年代の末、祖父の訃報が電報で届いたことが印象的でした。当時は一般家庭に電話がなく、電報が主要な通信手段だったのですね。
@ari3ari
@ari3ari Год назад
@@kyuukou-souya コメントありがとうございます。通信長さんの主な業務は国鉄海岸局との業務通信(遅延に伴う列車接続調整など)でしたが、他の商船などと共に電電公社の海岸局へ無線電報を送り込んでいました。最終期の全船に公衆電話が付いたのが昭和39年だったようなので、それまでは重要な通信手段だったかと思います。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
@@ari3ari 様。たまに乗るだけの旅行者には全く知ることができない裏方さんの話、とても興味深いです。 陸上を走る鉄道と違って、船や飛行機など陸を離れる交通機関にとって「通信」は生命線であることを改めて感じます。有難うございます。
@user-eg1wm4mi6b
@user-eg1wm4mi6b Год назад
入場券には、旅客車内には立ち入ることはできません、と書いてあるけど、懐かしい録音を聴くと必ず発車前アナウンスで早く降りるように言いますね。本当は駄目だけど、別れを惜しんで発車間際まで乗り込んでしまう人情に配慮した現場判断が定着したもんだと、最近になりようやく理解することができた。 今回は上り便の貴重な録音。 摩周丸船内ショップでもCDが売られてましたが、道民には上京するワクワク感が思い出されます!
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
CDが販売されているとは知りませんでした。
@a-ki876
@a-ki876 Год назад
遅くなりましたが拝聴させていただきました。 青函連絡船は弘前大学に進学したこともあり、昭和60年から昭和63年までに帰省等で10往復以上乗船しました。 学生時代に友人仲間と(廃止直前の)連絡船を深夜に貸し切ってイベントをしたことも今となっては懐かしい思い出です。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
貸切でイベントとは豪華で羨ましい限りです。きっといい思い出になったことと思います。
@user-vl7dn7we7b
@user-vl7dn7we7b Год назад
青函連絡船良く乗船していました。 摩周丸八甲田丸が使い易かったですが、その他は青函丸等も乗船していました。 写真やホルダー船内で食べた箸の袋やレシートを記念に残しています。、懐かし~動画ありがとうございます🙇
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
青函連絡船も次第に遠い昔のことになってきましたね。RU-vidを介して多くの方と思い出を語れたら嬉しいです。
@nanalinn
@nanalinn Месяц назад
今の青函航路は銅鑼は鳴らさないし、このような船内放送もない。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Месяц назад
青函連絡船が健在な頃に、民間のフェリーに乗ったことがありますが、やはり青函連絡船の方が情緒がありました。 鉄道連絡船ということで独特の雰囲気だったのですね。
@3poko
@3poko Год назад
3:19こんな情景が大好きです。往時を思い出します。座席は自由席グリーンですよね。OKはんの書かれた「はつかり」の速さで思い出したのですが、急行「くりこま」も駿足っぷりが当時から名を馳せていた記憶があります。この時刻表を見ても、仙台まではつかりは4時間半弱、くりこま2号は4時間47分ですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
くりこま2号は途中で気動車急行を追い抜く電車急行でしたね。 青森着16時05分の22便を受ける昼行特急がないため、特急並みにしたのでしょうね・・・
@hiroshia5789
@hiroshia5789 Год назад
はつかりの普通席よりもくりこまのグリーン車でした。でも食堂車のある特急がランクを感じました。
@user-gb7ro9zv5z
@user-gb7ro9zv5z Год назад
とても懐かしいです。ありがとうございます。 自分は連絡船に3往復乗ったことがあります。普通席、グリーン自由席(座敷)、グリーン指定席、夜行便で普通席が満席だったときはグリーン船室のソファですごしたりしたことも。旅先からその地の絵はがき書いて郵便局で観光スタンプを押してもらって自宅笑に送るのがマイブームでした。連絡船の喫茶室?ではがき書いてたら酔ってしまったこともありました。イカの定食、塩ラーメン美味しかった。 それと気づいたのですが、優等列車の列車番号振りが下り奇数、上り偶数になる前なんですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
楽しい旅の思い出が記憶によみがえりましたら何よりです。 初めて青函連絡船連絡船に乗った昭和40年代末にはたくさんの人が乗っていましたが、この録音の数年後、乗客は急激に減っていたような印象です。そして廃止前には再び大勢の人で賑わったことでしょうね。 そういえば旅先で友人に絵葉書を書いたりしたものでした。今ではメールでしょうね・・・
@user-sl9pb3zg3u
@user-sl9pb3zg3u Год назад
函館に停泊しているメモリアルシップ摩周丸を見学に行った時に現役の青函連絡船に函館↔青森に乗船したボランティアのガイドさんから当時のお話を聞いた事が有ります。この連絡船の片道分の燃料は3000㍑消費すると聞き驚きました。次は青森県アスパムに有る八甲田丸を見学に行ってみたいです‼️
@okhan
@okhan Год назад
松前丸は乗ったことがないな この時間帯でもはつかりで東京まで帰れるんだね 53.10改正直前で東北特急が最も速かった時代
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
松前丸はJRになる前に引退したのですね。ウィキペディアによれば北朝鮮に渡ったそうですね。
@kumoha42andUrara
@kumoha42andUrara Год назад
お疲れ様です😃 青函連絡船乗ってみたかったです。宇高連絡船もそうですが、終夜運航だったのでそれに接続する列車も個性派が多かったですね。最近は長距離列車がないので乗っていても面白味に欠けますね。。。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
日本全国の広域輸送を担っていた国鉄の意気込みを感じますね。連絡船内よりむしろ、その前に乗った「急行せたな」の方が青森からの接続列車を詳しく案内していました。
@sugisato4091
@sugisato4091 Год назад
お弁当や青函連絡線グリルの価格表に目が行ってしまいました。 当時の船内コーヒーは230円、現在新幹線内でホットコーヒー頼めば350円のため、現在の物価値に換算したい場合、約1.5倍乗じると良いのが分かりとても面白く良かったです。 当時の資料ありがとうございました。🙌
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
連絡船グリルはちょっと高めかな・・・という印象ですが、列車で言えば食堂車でちょっぴり贅沢な気分ですね。
@tetsuchiba87
@tetsuchiba87 Год назад
青函連絡船の寝台って1回しか使ったことが無かったんですけど(青森で「白鳥」〜函館から「北斗1号」乗継)・・・昼間の便でも寝台利用って可能だったんでしょうか?。 それ以外は2等船室ばかりの利用でした。 むしろ、青函連絡船廃止後、その余韻を味わいたいと乗った青森〜室蘭間のフェリー。 時間が掛かるからと個室に乗った記憶が有りますが、室蘭に着いたのが19時頃だったと記憶。 青森まで寝台特急からのフェリー乗船で、室蘭まで昼便ながら爆睡した覚えが有ります。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
時刻表では寝台利用は「運航時間中」とありますので昼間でも利用できたのではないかと推測いたします。一方でネットで検索すると昼間は使えなかったような記述もあり、確かなことはわかりません。 友人の車で旅行した時は民間のフェリーを利用しましたが、やはり国鉄の連絡船の方が、長旅用にいろいろ設備もあり、情緒がありました。
@user-by8tx8jz7n
@user-by8tx8jz7n Год назад
それにしても現在も鉄道以外の道路は青函連絡線ですね。つまり現在 過去に走っている していた津軽海峡 豊予海峡 紀淡海峡 関門海峡 瀬戸海峡フェリーの船内放送もお願い出来ませんか?
@kiro80gut
@kiro80gut Год назад
松前丸も何度か乗船しました。津軽丸に続いて引退が早かったですね。 ああ、食堂の窓際の席に着いて海原を見ながら海峡ラーメン(塩味で!!☝)食べたい~~(;^^)ヘ..
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
早く青函トンネルができないかな・・・と思った昔。 青函連絡船にまた乗りたいな・・・と思う今。
@user-rq2he3lt8z
@user-rq2he3lt8z Год назад
家の亡くなった爺ちゃんが一時期乗務員でした この船が廃船になってからは摩周丸に乗ってました 造りは良かった船みたいでしたけど色々と他の連絡船と違う箇所があって乗務員の方には評判良くなかった船だって聞きましたよ 状態は良かっただけに勿体なかったって言ってました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
乗組員のご家族の方にご視聴頂けて光栄です。乗客には詳しいことは知る由もなく、いつも楽しい船旅でした。
@user-rq2he3lt8z
@user-rq2he3lt8z 5 месяцев назад
@@kyuukou-souya 松前丸は午前10時の出航だったのですね 爺ちゃんが松前丸→摩周丸の乗務員で納得しました 家族が本州方面に行く時は何故かこの時間の摩周丸でした 松前丸廃船後同じ時間帯の船に乗務員も移動したのだと思われますね! 子供の頃は決まって往復摩周丸ばかりで嫌でしたけど笑
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 Год назад
海峡ラーメンが懐かしいですね...
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
海峡ラーメン、人気メニューでしたね。
@hiroshia5789
@hiroshia5789 Год назад
青函連絡船は旅情がありました。現在の八戸〜苫小牧の太平洋フェリーとは違う趣きを感じます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
確かにそうですね。友人の運転する車で北海道へ行った時は民間のフェリーに乗りましたが、やはり青函連絡船の方が情緒がありました。
@nanalinn
@nanalinn Месяц назад
太平洋フェリーは苫小牧-仙台間は生活航路みたいなところがあるが、仙台-名古屋間はクルーズ船の趣がある、一回乗っただけで二つの船を乗った気分になれるから、存在価値はある。
@hiroshia5789
@hiroshia5789 Месяц назад
@@nanalinn ちなみに八戸〜苫小牧は本州と北海道の物流航路の性格が強く旅情は感じられませんね。
@user-dw6zu5eb8t
@user-dw6zu5eb8t Год назад
到着の30分位前から船内に歌が流れた記憶があります。「~の色は赤く赤く、」(正確でないと思います)と言ったフレーズがあったのですが、なんと言う曲か分かる方いらっしゃいますか?
@asakazetwilight
@asakazetwilight Год назад
懐かしいなあ( ;∀;) 24系25形「はくつる」で青森について初めて乗船し渡道、帰りは583系「はつかり」に乗り換えました これが最初で最後の青函連絡船往復で、翌年には青函トンネルが開通。 それから10数回渡道してますが、やはり一番いい思いです(^^)/🚄
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
夜行列車で青森に着いて連絡船に乗り換える・・・何とも味わい深く、いい思い出ですね。
@user-cg7oc7cx4m
@user-cg7oc7cx4m Год назад
青函連絡船にシャワー設備が有るとは知りませんでした。当方、廃止の2か月前に函館0時30分発青森行の連絡船に乗りましたが、この時は記憶違いじゃ無ければ、シャワー設備は無かったと記憶してます。あれば、利用したかもしれませんね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
シャワー設備について詳細はわかりませんが、連絡船末期には閉鎖することもあったのでしょうか(?)
@user-cg7oc7cx4m
@user-cg7oc7cx4m Год назад
@@kyuukou-souya 当時高校生なので、詳しくは分かりませんが、青函連絡船はJR北海道の運航なので、国鉄分割民営化、又は国鉄末期に閉鎖・使用停止になった可能性は有りますね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Год назад
@@user-cg7oc7cx4m 様。青函トンネル開業前の1988年2月号の時刻表では、石狩丸、檜山丸(←共に貨物船改造ですね)には「寝台、グリーン、喫茶室なし」との記載があり、「各船便にシャワー」と記載があり、石狩丸、檜山丸には設備がなかったということでもなさそうですね。 JRになってからシャワーをやめたということではなく、多分、他の理由だろうと想像いたします。
@user-cg7oc7cx4m
@user-cg7oc7cx4m Год назад
@@kyuukou-souya 様、返信ありがとうございました。当方、ヤフオクで購入した1986年12月の大型時刻表を確認してみます。
@user-rh5kh9wr9z
@user-rh5kh9wr9z Год назад
貨物船から改造の石狩丸か檜山丸に乗船したのでは?改造船は深夜便で客扱いをしていたと思うので。この船だと確かにシャワーも食堂もグリーン席もありません、時刻表には食堂、グリーン船室が無い旨の表示がされていました。それ以外の船は終航までシャワーも使用出来たと思いますが
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